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起業家教育のパラダイム転換
ビジネススクールにおける起業家教育は長らく、市場分析に基づく事業計画書の作成を中核に据えてきた。しかし、この因果論(コーゼーション)偏重の教育モデルに対する批判は年々強まっている。Nielsen & Stovang(2015)は、デザイン思考とエフェクチュエーションを統合した教育フレームワーク——DesUni(Design University)モデル——を提唱し、起業家教育の根本的な転換を試みた。
本稿では、DesUniモデルの構造を詳細に分析し、伝統的教育の何が問題なのか、DesUniモデルがどのような代替案を提示しているのか、そしてそれがエフェクチュエーション理論の教育的実装としてどのような意義を持つのかを論じる。
伝統的起業家教育の構造的欠陥
事業計画偏重の問題
既存の起業家教育が依拠する暗黙の前提は、「事業の成功は精緻な事前計画によって達成される」というものである。学生は市場調査を行い、競合分析を実施し、財務予測を立て、ビジネスプランの完成度を競う。この教育モデルの問題は、Linton & Klinton(2019)やPiperopoulos(2012)が指摘するように、初期のアイデアや機会の深い探求を欠いたまま、計画文書の作成技術に焦点が偏る点にある(Nielsen & Stovang, 2015)。
事業計画書は、予測可能な市場環境においては有効な意思決定ツールとなりうる。しかし、市場カテゴリーそのものが未確立の状況——すなわちエフェクチュエーションが最も力を発揮する極度の不確実性下——では、事前の市場予測は不可能であり、計画の精緻さはむしろ誤った確信を生むリスクをはらむ。
なぜ因果論的教育が存続するのか
Nielsen & Stovang(2015)は、この非効率な教育モデルが存続している理由を二つ挙げている。第一に、投資家や金融機関がビジネスプランに基づく予測可能性を求めるため、教育もそれに応じる圧力が働く。第二に、経営管理論のパラダイムに慣れ親しんだ教育者にとって、事業計画の作成指導は**「教えやすい」**からである。
「what is」から「what might be」へ
伝統的教育は「すでに存在するもの(what is)」や「かつて存在したもの(what has been)」の分析に重点を置く。既存の産業構造、過去の成功事例、確立された管理理論を教授することが中心となり、学生を現実の創造的実践から切り離してしまう。DesUniモデルは、この分析的パラダイムから**「何があり得るか(what might be)」**という未来志向のデザイン的パラダイムへの転換を要求する(Nielsen & Stovang, 2015)。
この転換は、Sarasvathy(2008)の「未来は予測するものではなく、自らの手で創造するものである」というエフェクチュエーションの中核的テーゼと完全に一致する教育的転回である。
DesUniモデルの二重構造
DesUniモデルは、単なるカリキュラムの一部変更ではなく、教育手法・知識の扱い方・教員と学生の関係性・教室環境・評価基準に至るまでの包括的な変革を要求するフレームワークである(Nielsen & Stovang, 2015)。その構造は、内側のコアコンポーネントと外側の支援コンポーネントの二重構造として設計されている。
内側のコンポーネント——育成すべき資質
内側のコンポーネントは、学生が獲得すべき中核的な起業家的資質である。
**デザイナー的想像力(Imagination)**は、現在の制約を超えて未来の可能性を構想する能力である。既存の枠組みにとらわれず、「もし〜だったら」という仮説的思考を通じて新たな価値空間を想像する力が含まれる。エフェクチュエーションの「飛行機のパイロット」原則——予測ではなくコントロールに重きを置く——が、この想像力の方向性を規定する。
**デザイナー的行動力(Action)**は、不完全な情報の下で素早く形にし、試し、学ぶ能力である。分析の完了を待たずに手を動かすという姿勢は、エフェクチュエーションの「許容可能な損失」原則に基づくリスク管理と直結している。
**デザイナー的マインドセット(Mindset)**は、曖昧さへの耐性、失敗を学習機会と捉える態度、他者との協働への開放性を含む総合的な思考態度である。「レモネード原則」——予期せぬ事象を機会に転換する——の日常的な実践がこのマインドセットの中核にある。
外側のコンポーネント——育成のためのインフラ
外側のコンポーネントは、内側の資質を育成するための教育環境とインフラである。
**知識(Knowledge)**は、理論知と実践知の双方を含む。従来の一方的な知識伝達ではなく、実践の中で理論を参照し、理論によって実践を省察するという循環的な知識の運用が求められる。
**デザイン手法(Design methods)**は、ブレインストーミング、プロトタイピング、ペルソナ設計、カスタマージャーニーマップなどのデザイン思考の実践的ツールキットである。エフェクチュエーションが欠く「具体的に何を形にするか」の戦術的手法を提供する。
**ファシリテーション型教育(Facilitated teaching)**は、教員の役割を「知識の伝達者」から「学習プロセスのファシリテーター」へと転換する。教員は正解を教えるのではなく、学生が自ら問いを立て、試行錯誤する過程を支援する。
**生息域と文化(Habitat and culture)**は、学習が行われる物理的・心理的環境の設計である。詳細は後述するが、スタジオベースの環境への移行が核心的要素となる。
**評価(Assessment)**は、DesUniモデルの最も革新的な要素の一つである。最終的なビジネスプランの完成度ではなく、学習プロセスそのものが評価の対象となる。自己評価、ピアアセスメント、多様なステークホルダーからの360度フィードバックなど、オーセンティックな評価が重視される(Nielsen & Stovang, 2015)。
6つの学習領域——発散と収束の交互運動
DesUniモデルの実践的な核心は、学生が6つの学習領域を反復的に行き来するプロセスにある。これらは線形に進行するのではなく、フィードバックループを通じて前後に反復(イテレーション)される。
1. 現在の発見(Discover the present)——収束的思考
既存の状況やユーザーの抱える現実の課題を深く理解する段階である。デザイン思考の「共感」に相当し、エフェクチュエーションにおける手持ちの手段の確認——「自分は何を知っているか」「誰を知っているか」——の出発点となる。ここでの収束は、広大な現実世界から焦点を当てるべき領域を特定する作業である。
2. 未来の構想(Envision the future)——発散的思考
現実の制約を一時的に取り払い、望ましい未来のシナリオやソリューションを想像する段階である。「what might be」の探求がここで本格化する。既存の産業構造や技術的制約にとらわれない自由な発想が奨励され、エフェクチュエーションの「飛行機のパイロット」原則——未来は予測するものではなく創るもの——が思考の基盤となる。
3. 将来可能性の感知(Sense future potential)——収束的思考
構想した未来のシナリオの中から、現実的なビジネス機会を見出し、焦点を絞る段階である。技術的な実現可能性、ビジネスとしての成立性、そして自らの手段で到達可能な価値創造の芽を評価する。「許容可能な損失」原則に基づくスコーピングがここで機能する。
4. 他者との相互作用(Interact with others)——発散的思考
教室外の多様なステークホルダー、チームメンバー、潜在的ユーザーとの対話を通じた共創の段階である。エフェクチュエーションの**「クレイジーキルト」原則**——競争的分析ではなくパートナーシップの構築——の直接的な実践の場となる。他者のコミットメントを獲得することで、利用可能な手段が拡張され、プロジェクトの方向性が動的に変化する。
5. 理論への回帰(Go to theory)——収束的思考
直感的なアイデアやプロトタイプの結果を、アカデミックな理論や既存の知見と照らし合わせ、その妥当性を検証・補強する段階である。この領域が組み込まれていることが、DesUniモデルを単なる「やってみよう」的なワークショップから区別する。実践知と理論知の往復運動が、学習の深度を担保する。
6. 斬新な人工物の創造(Novel artifacts)——発散的思考
実際にプロトタイプを作成し、物理的または概念的な成果物として具現化する段階である。許容可能な損失の範囲内で行われる実験的アプローチであり、「早く安く形にする」という原則が貫かれる。ここで創造された人工物は、次の反復サイクルにおける「現在の発見」の対象となり、学習の螺旋を推進する。
発散と収束の交互構造
6つの領域を俯瞰すると、収束→発散→収束→発散→収束→発散という規則的な交互運動が浮かび上がる。この構造は、デザイン思考のダブルダイヤモンドモデルが示す発散—収束のリズムと、エフェクチュエーションの動的なプロセスモデルの双方を教育的に実装したものといえる。
スタジオベース環境への移行
DesUniモデルは、学習環境の物理的設計にも具体的な変革を要求する。伝統的な一斉授業型の座席配置——教員が前方に立ち、学生が一方向に向かって座る形式——は、知識の伝達には適するが、共創的な学習には不向きである。
DesUniモデルが提唱するのは、スタジオベースの環境への移行である。学生同士が向き合い、壁面にはビジュアルプロトタイプやアイデアスケッチが共有され、自由な移動と対話が可能な空間設計が求められる(Nielsen & Stovang, 2015)。
この環境設計は、単なる空間の装飾的変更ではない。物理的な空間が思考と行動のモードを規定するという認識に基づいている。対面配置は対話を促進し、プロトタイプの可視的共有はアイデアの具体化を加速し、自由な移動は偶発的な出会いと情報交換を生む。エフェクチュエーションの「クレイジーキルト」原則が自然に発動する環境の設計といえる。
教育エコシステムとしてのDesUni
DesUniモデルの最大の貢献は、エフェクチュエーションとデザイン思考の統合を、個別のワークショップやカリキュラムの追加ではなく、教育エコシステム全体の変革として提示した点にある。
内側のコンポーネント(想像力・行動力・マインドセット)が育成すべき資質を定義し、外側のコンポーネント(知識・手法・ファシリテーション・ハビタット・評価)がその育成環境を設計し、6つの学習領域が具体的な学習プロセスを構造化する。この三層構造が有機的に連動することで、学生はデザイナーの認知構造とエフェクチュエーションの行動様式を同時に体得するのである(Nielsen & Stovang, 2015)。
起業家教育の焦点は、「起業後の管理手法の習得」から「未知の問題を解き明かすための認知的・実践的プロセスの体得」へと引き上げられる。DesUniモデルは、この転換を実現するための包括的な設計図を提供している。
関連記事として「エフェクチュエーション教育」、「エフェクチュエーション vs デザイン思考」も参照されたい。
参考文献
- Linton, G., & Klinton, M. (2019). University entrepreneurship education: A design thinking approach to learning. Journal of Innovation and Entrepreneurship, 8(1), 1–11.
- Nielsen, S. L., & Stovang, P. (2015). DesUni: University entrepreneurship education through design thinking. Education + Training, 57(8/9), 977–991.
- Piperopoulos, P. (2012). Could higher education programmes, culture and structure stifle the entrepreneurial intentions of students? Journal of Small Business and Enterprise Development, 19(3), 461–483.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.