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なぜ優秀な学生ほどエフェクチュエーションに抵抗するのか
エフェクチュエーション理論の教育効果は、ランダム化比較試験や準実験デザインを含む多数の実証研究で裏付けられている。しかし、その教育現場における実装は必ずしも順調ではない。特に高等教育機関において、教員がエフェクチュエーション教育を導入しようとしたとき、予想外の強い抵抗に直面するケースが報告されている(Effectuation in the Undergraduate Classroom, Education + Training, 2017)。
注目すべきは、この抵抗が学業成績の低い学生ではなく、むしろ従来の教育システムにおいて高い評価を受けてきた優秀な学生に顕著に現れる点である。彼らは「与えられた課題に対して正解を導き出す」という因果論的アプローチに長年最適化され、それによって成功を収めてきた。その彼らに「正解のない不確実性の中で、自らの手段で行動せよ」と求めることは、学業的アイデンティティそのものへの脅威となる。
学習者中心主義への移行とアイデンティティの脅威
Student-Centred Learning Identity Threatsとは何か
エフェクチュエーション教育への抵抗の根底にあるのは、「学習者中心主義への移行に伴うアイデンティティの脅威(Student-Centred Learning Identity Threats)」である(To Persist or Not to Persist, International Journal of Entrepreneurial Behavior & Research, 2025)。
従来の高等教育では、教員が知識を体系的に伝達し、学生がそれを吸収して試験で再現するという「教員中心型」のモデルが支配的である。このモデルにおいて学生のアイデンティティは「知識の受容者」として安定している。何を学ぶべきかは教員が定義し、正解は教科書に記載されており、評価基準は明確である。
エフェクチュエーション教育はこのモデルを根本的に転換する。「何を問題とするかは自分で決めよ」「正解は存在しない」「手元にある資源から出発し、行動を通じて学べ」——このような学習者中心のアプローチは、従来型教育で培われた学業的アイデンティティと正面から衝突する。Sarasvathy(2008)が提唱した「非予測的コントロール」の論理は、「予測と計画」に習熟した学生にとって、自らの有能さの否定として経験されるのである。
29チーム事例に見る3つの反応パターン
29の学生チームを対象とした詳細な事例研究は、エフェクチュエーションのクラスに直面した学生チームが、大きく3つの反応パターンに分かれることを明らかにしている。
**第一の反応は「無関心(Apathy)」**である。不確実性から逃避し、学習プロセスに対して無関心を装うことで自らを心理的に守る反応である。これらの学生は表面上はクラスに参加しているが、実質的にはエフェクチュエーションの原則に取り組むことを避け、従来の受動的な学習態度へと後退(revert)する。「指示を出してくれれば従う」という姿勢は、教員中心型モデルへの回帰であり、エフェクチュエーションが求める能動的な探究の放棄を意味する。
**第二の反応は「拒絶(Rejection)」**である。数回のセッションの後、エフェクチュエーションのプロセス全体を「非科学的で不合理なもの」として明確に拒絶する。これらの学生は、「なぜ綿密な事業計画を立てないのか」「なぜ市場調査に基づく予測をしないのか」と疑問を呈し、エフェクチュエーションの教育アプローチそのものの妥当性を否定する。この反応は、因果論的パラダイムへの強いコミットメントの表れであり、新しい認知的枠組みを受け入れることが、既存のアイデンティティの放棄を意味すると感じるがゆえに生じる。
**第三の反応は「持続(Persistence)」**である。アイデンティティの脅威を感じながらも、それを乗り越えるための内的・外的条件を満たし、行動を通じた学習プロセスに適応し続ける。これらの学生は、初期の不快感や混乱を経験しながらも、エフェクチュエーションの原則を段階的に内在化していく。持続に至る学生は、不確実性を「脅威」から「学習の機会」へと再定義する認知的転換を達成している。
第一の障壁:初心者の限界(Noviceness)
手中の鳥が空である問題
エフェクチュエーションの5原則の出発点は「手中の鳥」——「自分が何者であるか(Who I am)」「何を知っているか(What I know)」「誰を知っているか(Whom I know)」という既存の手段から始めることである(Sarasvathy, 2008)。しかし、実務経験を持たない学部生にとって、この出発点そのものが困難を生む。
18歳から22歳の学部生の多くは、自らの職業的コンピテンス、専門知識、ビジネスネットワークをほとんど持っていない。「あなたは何者か」と問われても、明確なプロフェッショナル・アイデンティティを持たず、「何を知っているか」と問われても、教科書から得た知識しかなく、「誰を知っているか」と問われても、ビジネス上のネットワークは皆無に等しい。
エフェクチュエーションの理論は、熟達した起業家(エキスパート・アントレプレナー)の思考プロセスから帰納的に導出されたものである。熟達した起業家は豊富な「手中の鳥」を持っているからこそ、それを起点に新たなベンチャーを創造できる。初心者はその鳥がほぼ空であるため、理論の最初のステップで躓くのである。
自己認識の支援設計
この障壁を克服するためには、学生が自覚していない手持ち資源を可視化する支援が必要である。趣味、人間関係、アルバイト経験、大学で学んだ知識——学生が「取るに足らない」と見なしている資源も、エフェクチュエーションの視点からは有効な出発点となりうる。教員の役割は「手中の鳥を使え」と指示することではなく、学生が気づいていない鳥の存在を発見させることにある。
第二の障壁:学校プロジェクトと現実世界の乖離
許容可能な損失がバーチャルになる問題
エフェクチュエーション教育の第二の障壁は、安全な教室環境で実施されるプロジェクトが「バーチャルな演習」にとどまり、学生が「許容可能な損失」をリアルなリスクとして知覚できないことである。
教室内のプロジェクトでは、失敗しても成績に影響しない(あるいは影響が限定的な)場合が多い。学生は「最悪の場合に何を失うか」を真剣に評価する必要がなく、リスクテイクの意思決定が形骸化する。現実のビジネスでは、時間、資金、評判、人間関係といった実質的なリソースが賭けられており、許容可能な損失の判断は切実なものとなる。この切実さの欠如が、エフェクチュエーション教育を「お遊び」に矮小化するリスクを生む。
当事者意識の設計
この障壁への対処として有効なのが、学生に実質的なリソースを投下させるプログラム設計である。バブソン・カレッジのFMEプログラムでは、学生が実際に事業を運営し、資金を調達し、年度末に清算するというフルサイクルを経験する(Neck et al., 2014)。このような設計では、学生は「自分の時間と労力」という実質的なコストを支払っており、許容可能な損失の判断がリアルなものとなる。
第三の障壁:正当性の欠如
「幼稚園のお遊戯」問題
エフェクチュエーション教育の第三の障壁は、教育プロセスとインストラクターの正当性(legitimacy)が学生に認知されないことである。綿密な財務モデルの構築や市場分析のフレームワークの適用といった、従来のMBA教育における「知的な厳密さ」の代わりに、「まずは手元にあるもので行動し、パートナーを探せ」と促すエフェクチュエーションの教育スタイルは、学生に「幼稚園児のお遊戯のようだ(like going back to kindergarten class)」と受け取られるリスクを孕んでいる。
この認知は、高等教育機関における教員の専門性に対する信頼を損ない、学習プロセスそのものの正当性を失わせる。学生は「このような非体系的なアプローチを教える教員は、本当に専門家なのか」と疑念を抱き、結果として教育内容への関与が低下する。
学術的権威との接合
正当性の障壁を克服するためには、エフェクチュエーション理論の学術的基盤を明示的に提示することが重要である。Sarasvathyの原著論文がAcademy of Management Reviewに掲載された事実、9,897社を対象としたメタ分析がJournal of Business Venturingで発表されている事実、ランダム化比較試験による厳密な効果検証が行われている事実——こうした学術的エビデンスの提示が、「非科学的なアプローチ」という誤解を解く鍵となる。
足場かけ設計:3つの障壁を統合的に克服する
シミュレーションからPBLへの段階的移行
3つの障壁を統合的に克服するための教育設計として、段階的な足場かけ(scaffolding)が提唱されている。
第一段階では、シミュレーション・ゲームを通じてエフェクチュエーションの原則をリスクフリーな環境で体験させる。ゲーム内のキャラクターやリソースが「手中の鳥」として提供されるため、初心者の限界が障壁とならない。また、失敗が安全に保証された環境では、正当性への疑問も抑制される。
第二段階では、小規模なプロジェクトを通じて学生自身の「手中の鳥」を少しずつ動員させる。チーム内での自己紹介やスキルの棚卸しを通じて、学生が自らの資源を認識・言語化する支援を行う。
第三段階で、フルスケールのPBLへと移行する。ここでは学生が実際のステークホルダーと交渉し、リアルなリソースを投下してプロジェクトを推進する。第一段階と第二段階を経た学生は、エフェクチュエーションの原則をすでに体感的に理解しており、PBLにおける不確実性をアイデンティティへの脅威ではなく、学習の機会として受け入れる準備が整っている。
教員の役割の再定義
足場かけ設計においては、教員の役割も再定義される必要がある。従来の「知識の伝達者」から「学習プロセスのファシリテーター」への移行が求められる。教員は正解を教えるのではなく、学生の探究プロセスを支援し、適切なタイミングで理論的枠組みを提供する能力が必要となる。この教員の役割転換は、教員自身にとってもアイデンティティの脅威となりうる点に留意すべきである。
障壁の認識が教育設計を変える
エフェクチュエーション教育の3つの障壁——初心者の限界、学校プロジェクトと現実世界の乖離、正当性の欠如——は、理論の本質から構造的に生じるものである。これらの障壁を無視してエフェクチュエーション教育を導入すれば、学生の無関心や拒絶を招き、教育効果は著しく低下する。
しかし、これらの障壁を認識し、段階的な足場かけによって対処すれば、学生のアイデンティティの脅威を緩和しながら、行動を通じた学習プロセスへの適応を促すことが可能である。エフェクチュエーション教育の成否は、理論の「何を教えるか」だけでなく、「どのように教えるか」という教育設計の精緻さにかかっている。
関連記事として「エフェクチュエーション教育」、「エフェクチュエーションを実務で活かす」も参照されたい。
参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Neck, H. M., Greene, P. G., & Brush, C. G. (2014). Teaching Entrepreneurship: A Practice-Based Approach. Edward Elgar Publishing.
- Effectuation in the Undergraduate Classroom: Three Barriers to Entrepreneurial Learning. Education + Training, 59(7/8), 780–799, 2017.
- To Persist or Not to Persist: Understanding Student Team Responses to Student-Centred Learning Identity Threats. International Journal of Entrepreneurial Behavior & Research, 31(5), 1194–1215, 2025.