目次
- 著者
- スチュアート・リード, サラス・サラスバシー, ニック・デュー, ロバート・ウィルトバンク
- 原著者
- Stuart Read, Saras Sarasvathy, Nick Dew, Robert Wiltbank, Anne-Valérie Ohlsson
- 出版社
- Routledge
- 出版年
- 2016年
- ISBN
- 978-1138365674
- 原題
- Effectual Entrepreneurship (2nd ed.)
なぜ「詳読ガイド」が必要か
Stuart Read, Saras Sarasvathy, Nick Dew, Robert Wiltbank, Anne-Valérie Ohlsson の5名による共著『Effectual Entrepreneurship』(第2版, Routledge, 2016)は、エフェクチュエーション理論の標準的テキストとして世界20カ国以上のMBAプログラムで採用されている。
しかし原著は英語で書かれており、日本語版は存在しない。さらに、5名の著者がそれぞれ異なる学術的バックグラウンドと問題意識を持ち寄った書であるため、各章の「なぜこのような議論をしているのか」という著者の意図が分かりにくいと感じる読者が多い。この詳読ガイドは、5著者の問題意識と学術的背景を整理することで、原著をより深く読むための補助線を提供することを目的とする。
スチュアート・リード:IMDとグローバル起業家教育の視点
本書の筆頭著者であるスチュアート・リード(Stuart Read)は、スイスのIMD(International Institute for Management Development)で起業家教育を担当してきた研究者・教育者である。彼の問題意識は「起業家教育の有効性」にある。
リードが本書で中心的に担った役割は、エフェクチュエーション理論を「教えられるもの(teachable)」として設計することだった。Sarasvathy(2008)の原著が理論構築に重点を置いたのに対し、リードは「この理論をどうすれば教室で効果的に教えられるか」という教育設計の問いを持ち込んだ。
本書第1章の冒頭に示される「起業家的専門知識は習得可能なコンピテンシーである」というテーゼは、リードの教育者としての信念を反映している(Read et al., 2016, p. 5)。「生まれつきの起業家が存在する」という才能論を退け、「適切な訓練によって起業家的思考は誰でも習得できる」という学習論に立つ本書の立場は、リードの影響なしには成立しなかったと言える。
サラス・サラスバシー:理論の守護者として
エフェクチュエーション理論の原提唱者として、サラス・サラスバシー(Saras D. Sarasvathy)は本書においても理論的な正確性の番人としての役割を担った。
サラスバシーの問題意識の核心は、1997年の論文以来一貫して「不確実性の下での意思決定に固有のロジックが存在する」という点にある(Sarasvathy, 2001, p. 244)。原著 Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise(2008)で詳述した理論を、より広い読者に届けるための「翻訳」として本書を位置づけていた。
本書で特にサラスバシーの視点が色濃く出ているのは、コーゼーションとエフェクチュエーションの対比を論じる第2〜3章と、飛行機のパイロット原則を扱う第8章である。「予測できる範囲でコントロールする(コーゼーション)」対「コントロールできる範囲で予測を不要にする(エフェクチュエーション)」という対比の鮮明さは、サラスバシーの理論的貢献の核心を示している。
ニック・デュー:認知科学と意思決定論の橋渡し
ニック・デュー(Nick Dew)は、アメリカ海軍大学院(Naval Postgraduate School)の研究者であり、認知科学・意思決定論の視点からエフェクチュエーション理論に貢献してきた。
デューの問題意識は「起業家はどのように情報を処理し、判断を下すか」という認知的プロセスにある。Dew et al.(2009)が Strategic Entrepreneurship Journal に発表した「Affordable Loss: Behavioral Economic Aspects of the Plunge Decision」は、許容可能な損失原則の行動経済学的な基盤を提示した重要な実証研究であり、本書第5章の理論的背景として組み込まれている。
本書でデューの貢献が最も明確に現れるのは、第5章(許容可能な損失)と第3章(エフェクチュアルな思考の認知的特性)である。「損失回避」という行動経済学の知見とエフェクチュエーションの許容可能な損失概念の接続は、デューがいなければ本書に盛り込まれることはなかっただろう。
ロバート・ウィルトバンク:エンジェル投資とリターンの実証分析
ロバート・ウィルトバンク(Robert Wiltbank)は、ウィラメット大学(Willamette University)の研究者であり、エンジェル投資家のポートフォリオ行動と投資リターンに関する実証研究で知られる。
Wiltbank & Boeker(2007)の研究は、エンジェル投資家がエフェクチュエーション的なアプローチ(許容可能な損失ベースの投資判断、予測より関係構築の重視)をとる傾向があり、そのアプローチが投資リターンと正の相関を持つことを示した実証研究として重要である。この知見は本書における「エフェクチュエーションは有効か」という問いへの実証的な答えを与えるものである。
本書第3部「応用と展望」において、エフェクチュエーション的な投資・資金調達の視点が組み込まれているのは、ウィルトバンクの研究的バックグラウンドによるところが大きい。
アンヌ=ヴァレリー・オールソン:INSEADと欧州文脈での検証
アンヌ=ヴァレリー・オールソン(Anne-Valérie Ohlsson)は、INSEADの研究者・教育者であり、第2版から著者に加わった(初版では著者クレジットなし)。
オールソンの貢献は、エフェクチュエーション理論の欧州・国際的文脈での適用と検証にある。フランス・ヨーロッパの起業家エコシステムでの教育経験を持つ彼女の参加は、第2版で充実したケーススタディの多様性(アメリカ中心から国際的な事例への拡張)に反映されている。
5著者の問題意識が交差する点:「誰でも起業家になれる」
5名の著者の問題意識は、それぞれ異なる角度から「起業家的思考の普遍性と習得可能性」という一点に収束する。
リードは「教えられる」という確信を、サラスバシーは「理論的に正確な」フレームワークを、デューは「認知科学的に根拠のある」説明を、ウィルトバンクは「実証データに支えられた」有効性を、オールソンは「国際的に通用する」文脈適応性を——それぞれ持ち寄った。
本書の冒頭に置かれた “Effectuation is not just a description of what some people do; it is a prescription for what all people can learn to do.”(エフェクチュエーションは一部の人物の行動記述ではない。すべての人が学び取ることのできる処方である)という宣言は、5名の共通した問題意識の最も簡潔な表現である(Read et al., 2016, p. 1)。
詳読のためのロードマップ
原著を読む際の優先順位を以下に示す。
まず読むべき章(入門者向け):
- 第1章「The Expert Entrepreneur」— エフェクチュエーションとは何か、なぜ重要かの概観
- 第4章「Bird in Hand」— 最も直感的で実践に直結しやすい原則
- 第6章「Lemonade」— 実務で最も即効性を感じやすい原則
深く読むべき章(実務応用向け):
- 第9章「Corporate Effectuation」— 大企業での新規事業開発への応用
- 第5章「Affordable Loss」— 意思決定フレームワークとしての厳密な理解
理論的背景を深めるために(研究者・上級者向け):
- 第2〜3章(コーゼーションとの対比と理論的背景)
- Sarasvathy(2008)原著との並読
本書と Sarasvathy(2008)の関係は相補的である。理論の深みを知りたい場合は原著を、実践への橋渡しを求めるなら本書を——という使い分けが最も効果的な活用法である。
書誌情報
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., Wiltbank, R., & Ohlsson, A.-V. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge. ISBN: 978-1138365674.
関連文献
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Dew, N., Sarasvathy, S. D., Read, S., & Wiltbank, R. (2009). Affordable loss: Behavioral economic aspects of the plunge decision. Strategic Entrepreneurship Journal, 3(2), 105–126.
- Wiltbank, R., & Boeker, W. (2007). Returns to Angel Investors in Groups. Ewing Marion Kauffman Foundation.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.