用語集

新市場創造

エフェクチュエーション理論における市場の捉え方。市場は「発見する」ものではなく、ステークホルダーとの相互作用を通じて「構築する」もの。Sarasvathy (2001)のエフェクチュアル・ロジックの核心概念。

目次

しんしじょうそうぞう

市場構築Market CreationNew Market Creation

市場は「見つける」ものか、「つくる」ものか

新しい事業を始めるとき、多くの人はまず「市場はどこにあるか」を探そうとする。市場調査を行い、顧客セグメントを特定し、TAM(Total Addressable Market)を算出する。この発想の前提には、 市場はすでにどこかに存在しており、起業家はそれを発見して参入する という世界観がある。

しかし、iPhoneが登場する前に「スマートフォン市場」は存在していたか。Airbnbが生まれる前に「個人間宿泊シェア市場」を予測できた調査会社があったか。これらの市場は、起業家が行動し、ステークホルダーと関わり合う中で事後的に立ち現れたものである。Sarasvathy(2001)は、こうした現象をエフェクチュエーション理論の中核に据えた。

Sarasvathyの市場観: 構築としての市場

Sarasvathy(2001)は、市場を 「発見する対象」ではなく「構築される産物」 として捉えた。熟達した起業家27名を対象としたシンク・アラウド実験の中で、彼らの多くは市場分析から出発するのではなく、手持ちの手段から出発し、ステークホルダーとの相互作用を通じて市場の輪郭を形作っていた(Sarasvathy, 2001, pp. 249-251)。

Sarasvathy(2008)はこの市場観を「エフェクチュアルな市場創造」として体系化した。ここでの市場とは、起業家とステークホルダーが コミットメントを交換する過程で「共構築」される社会的構成物 である(Sarasvathy, 2008, pp. 100-112)。市場の形状は事前に決まっているのではなく、誰が参加し、何をコミットするかによって変わり続ける。

Causation的市場観との対比

新市場創造の概念を理解するうえで、 Causation(因果推論)的市場観との対比 が欠かせない。両者の違いは単なる手法の差ではなく、「市場とは何か」という存在論レベルの断絶にある。

Causation: 市場は「発見」するもの

Causation的アプローチでは、市場は起業家の行動とは独立に存在する客観的実体として扱われる。起業家の仕事は、市場調査・セグメンテーション・ターゲティングを通じて有望な市場を「発見」し、最適なポジションを確保すること。Porter(1980)の競争戦略論やKotler(1991)のマーケティング・マネジメントが典型的な例である。

Effectuation: 市場は「構築」するもの

エフェクチュエーションでは、市場は起業家とステークホルダーの相互作用を通じて構築される。 市場の境界は事前に定まっておらず、参加者のコミットメントが蓄積される過程で事後的に輪郭を持つ 。この見方は、Weick(1995)のセンスメイキング理論とも親和性が高い。

比較軸CausationEffectuation
市場の存在論客観的実体。発見される社会的構成物。構築される
起業家の役割市場の分析者・参入者市場の共創者
出発点市場機会の特定手持ちの手段(Bird-in-Hand)
不確実性への対応予測と分析で低減ステークホルダーとの共創で吸収
顧客の位置づけターゲット(対象)共創パートナー

5原則との関連: 市場創造を駆動する2つの原則

新市場創造は、エフェクチュエーションの5原則のうち、特に クレイジーキルト原則とレモネード原則 によって駆動される。

クレイジーキルト原則と市場の共創

クレイジーキルト原則は、ステークホルダーからコミットメントを獲得し、そのコミットメントが新たな手段と目的を生み出す動態を記述する。市場創造との関連は直接的だ。 初期のステークホルダーが持ち込むリソースと制約が、市場の形状そのものを規定する

たとえば、ある起業家が知人の工場経営者に製造パートナーとしてのコミットメントを得たとする。その工場の技術的特性が製品仕様を方向づけ、製品仕様が顧客層を限定し、その顧客層との対話がさらに製品を進化させる。市場は、こうしたコミットメントの連鎖の中で姿を現す(Sarasvathy & Dew, 2005)。

レモネード原則と偶然の市場化

レモネード原則——予期せぬ事態を脅威ではなく機会として活用する姿勢——は、市場創造と深く結びつく。 当初想定していなかった用途・顧客・チャネルが偶然から生まれる 。これは例外ではなく、むしろ新市場の常態である。

Read et al.(2009)は、エフェクチュアルな起業家が「計画どおりの市場」ではなく「行動の結果として立ち現れた市場」に対応する柔軟性を持つことを示した。予期せぬ顧客からの問い合わせ、想定外の利用方法の発見、競合の撤退による空白——これらの偶然が市場の形を変えていく。

実務への応用: 市場調査の限界を超える

市場調査が機能しない領域

新市場創造の視点は、 従来の市場調査が原理的に機能しない領域 を明確にする。顧客自身がまだ認識していないニーズについて、アンケートやインタビューで正確な回答は得られない。存在しない製品カテゴリの市場規模を推定する調査は、前提そのものが成り立たない。

プレコミットメント・ベースの市場形成

エフェクチュエーション理論が提示するのは、 プレコミットメントを通じた市場形成 という代替的な道筋である。

  1. 手持ちの手段から始める: 自分が誰で、何を知っていて、誰を知っているかを棚卸しする(Bird-in-Hand原則)
  2. 最初のステークホルダーを巻き込む: 許容可能な損失の範囲内で、知人・元同僚・取引先に声をかけ、コミットメントを獲得する
  3. コミットメントが市場を形づくる: 参加者が持ち込むリソースと制約によって、製品と顧客の輪郭が具体化する
  4. 偶然を取り込む: 想定外の反応やフィードバックをレモネード原則で活用し、市場の方向を修正する

このプロセスでは、市場は計画の「出力」ではなく、行動の「副産物」として創発する。

市場調査の呪縛から自由になる

「市場が見えないから動けない」——この思考の罠を解くのが、新市場創造の概念である。 市場は見つけるものではなく、行動とコミットメントの蓄積から立ち現れるもの だ。手持ちの手段を棚卸しし、身近なステークホルダーに声をかけるところから始めてみる。市場の姿は、動き始めた後に見えてくる。


引用・参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Sarasvathy, S. D., & Dew, N. (2005). New market creation through transformation. Journal of Evolutionary Economics, 15(5), 533–565.
  • Read, S., Dew, N., Sarasvathy, S. D., Song, M., & Wiltbank, R. (2009). Marketing under uncertainty: The logic of an effectual approach. Journal of Marketing, 73(3), 1–18.
  • Porter, M. E. (1980). Competitive Strategy: Techniques for Analyzing Industries and Competitors. Free Press.
  • Weick, K. E. (1995). Sensemaking in Organizations. Sage Publications.
  • サラス・サラスバシー(加護野忠男 監訳, 高瀬進・吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.

関連用語

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