目次
クレイジーキルトの「求心力」は何か
エフェクチュエーション理論のクレイジーキルトの原則は、起業家が自己選択的なステークホルダーと事前コミットメントを結び、共に新たな市場や事業を創り上げるプロセスを記述する(Sarasvathy, 2001)。しかし従来の議論は、パートナーがなぜコミットメントを提供するのかという「動機」について、経済的リターンの期待を暗黙の前提としてきた。
ウガンダやガーナにおける持続可能なアントレプレナーシップの実証研究は、この前提に修正を迫る。極貧や環境破壊が日常的に存在する環境では、経済的リターンの期待だけではパートナーシップの形成と維持を説明できない。こうした環境でクレイジーキルトの求心力として機能しているのが、**コンパッション(Compassion:思いやり・共感)**である。
コンパッションの概念定義
感情ではなく行動のプロセス
コンパッションは日常的な「同情」とは学術的に区別される。組織行動論における定義に従えば、コンパッションは三つの要素から構成される。第一に、他者の苦しみに対する認知的気づき(Noticing)。第二に、その苦しみに対する情動的共鳴(Feeling)。第三に、苦しみの軽減に向けた**行動的反応(Acting)**である。
最も重要なのは第三の要素であり、これがコンパッションを単なる感情からエフェクチュアルな行動へと変換するメカニズムとなる。コンパッションは「感じること」ではなく「行動を起こすこと」を本質とし、この点でエフェクチュエーション理論の行動志向性と深く共鳴する。
起業の第三の動機類型
従来の起業家精神研究では、起業動機は「機会追求型」と「必要迫られ型」に大別されてきた。新興国の社会起業家の行動分析からは、この二分法で捉えきれない第三の類型——コンパッション駆動型——が浮かび上がる。市場機会の発見でも生存のための自営業でもなく、「他者の苦しみを自らの行動で軽減したい」という内発的使命感が事業の起点となる動機類型であり、資源が極端に乏しい環境でも行動を開始する強力なエネルギー源となる。
経済的目標と社会的目標の統合
極限の制度的空白における二重の要求
サハラ以南のアフリカでは、極貧、森林伐採、水質汚染といった課題が存在する一方、それに対処する制度的インフラ(政府支援、NGO介入、国際的資金フロー)さえも極めて脆弱である。こうした環境で持続可能なアントレプレナーシップを追求する起業家は、経済的目標と社会的目標を切り離せない。経済的に持続可能でなければ社会的インパクトは実現できず、社会的インパクトのない事業は地域社会の支持を得られないためである。
手中の鳥としての固有知識
開発途上国の起業家が持つ「手中の鳥」は先進国とは質的に異なる。MBA的ネットワークやデジタルプラットフォームの代わりに、生活とコミュニティから得た**固有知識(Indigenous Knowledge)**を保有している。実証研究が示す特徴的な行動が、「固有知識と近代科学の融合」である。伝統的な植生知識や気候パターンの経験的理解に近代科学を掛け合わせ、現地素材を用いた代替燃料の製造や低コスト衛生設備の改善を実現する。手中の鳥は固定的リソースリストではなく、起業家の認知的再構成によって拡張可能な動的概念であることを示している。
金銭的報酬欠乏下でのパートナーシップ維持
経済的合理性の限界
クレイジーキルトの原則では、パートナーの自己選択的コミットメントは経済的期待によって動機づけられると暗黙に想定されてきた。しかし極貧層や環境破壊地域を対象とする社会起業では、金銭的報酬がパートナーシップの動機として構造的に欠乏している。NGO、国際機関、ボランティア、地域リーダーがコミットする動機は、経済的計算とは異なる次元に存在する。
コンパッションが生む共感的コミットメント
コンパッションに基づく使命感は、金銭的報酬を超えたパートナーシップの求心力として機能する。パートナーの自己選択的コミットメントは経済的期待ではなく価値観の共鳴によって生じ、この共感的コミットメントは二つの点で経済的動機より強靭である。
第一に、経済的動機のパートナーシップはリターンの不実現で解消されるリスクが高いが、コンパッションに基づくコミットメントは困難が続くからこそ維持される。苦しみが続く限り、コンパッションの動機は持続するからである。第二に、経済的利害が一致しない多様なアクター——農家、宗教指導者、教育者、国際ボランティア——を、共通の価値観を媒介として一つのネットワークに編み込むことが可能となる。
プルリアクティビティによる持続性の確保
コンパッション駆動型の起業は経済的リターンが限定的であるため、起業家自身の生存をも脅かしかねない。この課題への対応が**プルリアクティビティ(Pluriactivity:複業化)**である。社会起業としての活動と、安定的キャッシュフローを生む商業的収益活動を同時展開し、個々の事業での損失を「許容可能」な範囲に抑える。先進国のポートフォリオ分散投資と構造は類似するが、動機が異なる。コンパッション駆動型事業を「持続可能に継続するための生存戦略」として機能しているのである。
ウガンダ・ガーナの実証的知見
ネットワーク・エントリーとブリッジング
実証研究は、コンパッション駆動型のクレイジーキルトが個人レベルを超え、ネットワーク・エントリーのメカニズムとして機能することを示している。極限の制度的空白では単独の事業展開が法外な取引コストを伴うため、起業家はブリッジング・ネットワーク——異なるコミュニティやセクターを橋渡しする連携体——を形成し、集団で制度的空白を克服する。
コンパッションはこのブリッジング・ネットワークの接着剤として機能する。地域農家、都市部NGO、国際研究機関、宗教団体という異種アクターの統合には経済的合理性を超えた共通目的が必要であり、「この地域の人々の生活を改善したい」というコンパッションがその共通目的を提供する。
持続可能性の三重構造
事例研究は、コンパッションとエフェクチュエーションが融合した持続可能なアントレプレナーシップが三層で構造化されていることを示す。第一層は個人の動機としてのコンパッション。第二層はコンパッションを手中の鳥の評価、クレイジーキルトの構築、プルリアクティビティによる損失管理へと変換するエフェクチュエーションの行動論理。第三層はエフェクチュアルな行動で構築されたクレイジーキルトが、フォーマル制度の代替物としての信頼ベースの制度的インフラを形成するプロセスである。
エフェクチュエーション理論への含意
コンパッションとエフェクチュエーションの接合は、動機の性質がクレイジーキルトの構造と持続性に質的影響を与えるという理論的拡張を提示する。経済的動機とコンパッション動機では、パートナー選択基準、コミットメントの持続性、ネットワーク拡張パターンが構造的に異なる。
この知見は新興国の社会起業に固有の現象ではない。先進国においても社会的課題に取り組む起業家は、経済的リターンだけでは動員困難な領域で活動している。利益動機を超えた「共感の連鎖」が起業家的行動の持続性を支え、制度的空白を超えたパートナーシップを可能にするメカニズムの解明は、エフェクチュエーション理論の射程を経済的起業から社会的起業へと拡張する重要な理論的貢献である。
関連記事として「社会起業とエフェクチュエーション教育」、「エフェクチュエーションとは何か」も参照されたい。
参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and Effectuation: Toward a Theoretical Shift from Economic Inevitability to Entrepreneurial Contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Muñoz, P., & Cohen, B. (2018). Sustainable Entrepreneurship Research: Taking Stock and looking ahead. Business Strategy and the Environment, 27(3), 300–322.
- Khanna, T., & Palepu, K. G. (1997). Why focused strategies may be wrong for emerging markets. Harvard Business Review, 75(4), 41–51.
- Shepherd, D. A., & Williams, T. A. (2014). Local venturing as compassion organizing in the aftermath of a natural disaster. Journal of Management Studies, 51(6), 952–994.
- University of Pretoria (2023). Effectuation and sustainable entrepreneurship in developing countries. AOM Best Paper Proceedings.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.