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計画の脆弱性と危機時の意思決定パラダイム
COVID-19パンデミックは、精緻な事業計画に依存していた企業ほど危機対応が遅れるという構造的問題を浮き彫りにした。確率分布すら推定できないナイト的不確実性のもとでは、目標の最適達成手段を選択するコーゼーション的アプローチは機能不全に陥る(Sarasvathy, 2001)。この事実が、手持ちの手段を起点に行動するエフェクチュエーション理論への学術的関心を急速に高めた。
Korber & McNaughton(2018)は、レジリエンスと起業家精神の関係を体系的に整理し、危機対応の理論基盤を提供している。同研究の最大の貢献は、レジリエンスを「元の状態に戻る力(Bouncing Back)」という静的概念から、ショックを吸収して新たな次元へ進化する「前方への跳躍(Bouncing Forward)」という動的プロセスへと再定義した点にある。
6つの研究ストリーム
Korber & McNaughton(2018)は、レジリエンスと起業家精神が交差する6つの学術的対話を特定した。起業家の心理的資本としてのレジリエンス、危機が起業意図を誘発するトリガーとしての機能、組織レジリエンスを高める起業家的行動、マクロレベルのレジリエンスへの貢献、失敗からの学習と再起、そして回復と変革の継続的プロセスである。とりわけ第3のストリーム「組織レジリエンスを高める起業家的行動」と第6のストリーム「変革プロセスとしてのレジリエンス」は、エフェクチュエーション理論の実践と直接的に対応する。手中の鳥原則は手段の柔軟な活用を、クレイジーキルト原則はネットワーク構築を、レモネード原則は予期せぬ事態の機会変換を、それぞれ方向づけるからである。
レモネード原則とアービトラージ機会
危機時のエフェクチュエーション的行動において、最も変革的な役割を果たすのがレモネード原則である。予期せぬネガティブな事象を回避すべき障害ではなく、新たな価値創造の素材として活用する思考様式を指す(Sarasvathy, 2008)。
Khurana et al.(2022)は、北米の8つの蒸留所を対象とした詳細なケーススタディを通じて、パンデミック下でのレモネード原則の実践が単なる楽観主義ではなく、市場におけるアービトラージ(裁定取引)機会の迅速な認識と実行を伴う合理的な経済行動であることを示した。外的ショックは特定の資源に対する需給の不均衡を瞬時に生み出す。エフェクチュエーション的企業は、自社リソースの本来の用途を白紙に戻し、この需給ギャップに資源を即座に投下することで、危機をキャッシュフローと社会的価値の両方に変換した。
ディズエフェクチュエーションという限界
一方で、Nelson & Lima(2020)の研究は重要な限界条件を示している。レモネード原則を実践するためのリソースが手元にあっても、危機によるトラウマや心理的ショックが過大な場合、意思決定者が凍りつき行動を起こせない「ディズエフェクチュエーション(Diseffectuation)」という現象が観察される。エフェクチュエーションの不作為ともいえるこの現象は、Korber & McNaughton(2018)が示した心理的資本としてのレジリエンスが、エフェクチュエーションを駆動する不可欠な前提条件であることを裏づけている。
産業別ピボット事例の分析
AirAsiaのエコシステム・エフェクチュエーション
Radziwon et al.(2022)が分析したエアアジアの事例は、大企業がエフェクチュエーションを適用した最も劇的なケースである。2020年4月時点で保有フリートの98%が地上待機となり本業収入が途絶した同社は、コスト削減による縮小均衡ではなく「デジタル・ライフスタイル企業」への転換を選択した。
同社が実践したエコシステム・エフェクチュエーションの核心は、自社インフラの外部開放にある。Eコマースプラットフォーム「Ourshop」を中小企業に開放し1週間で1,000社以上が加盟、貨物・ラストマイル配送の「Teleport」、金融ライセンスを活用したフィンテック「BigPay」、機内食ノウハウを転用した地上レストラン「Santan」を展開した。乗務員はデジタル人材としてリスキリングされ、既存の人的資本が新事業の推進力となった。航空会社という枠組みが崩壊した巨大な「レモン」を、東南アジアのデジタル経済圏における総合プラットフォーマーへの飛躍という「レモネード」へと変容させたのである。
ドイツ・デジタルビアガーデンとfsQCA分析
ドイツ・ミュンスター地方の飲食起業家143名を対象としたfsQCA(ファジィ集合質的比較分析)研究は、エフェクチュエーション実践の精緻な知見を提供している。特筆すべきは、12のパートナー企業が連携して立ち上げた「デジタル・ビアガーデン」である。各店舗が個別にテイクアウトを行うコストとリスクを共有するため、デジタルプラットフォーム上で共通の注文・決済システムを構築し、自転車配達による都市物流モデルを即席で生み出した。クレイジーキルト原則と手中の鳥原則が高度に融合した結果であり、単独企業による需要予測を放棄し、相互依存的ネットワークを通じてデリバリーインフラと顧客体験を共創した点が革新的であった。
Ever/Reve Burgerのアイデンティティ再定義
シカゴの高級レストラン「Ever」は、ミシュラン3つ星レストラン「Grace」の元シェフが率いる店舗であった。パンデミック発生時、高級テイクアウトメニューへの移行を試みたが収益モデルが破綻。そこで高級レストランとしてのブランドアイデンティティに固執せず、ファストフードスタイルの「Reve Burger」事業を導入した。高度な厨房設備と料理人のスキルという手中の鳥を、大衆デリバリー需要というレモネードに適応させた事例である。
蒸留所から手指消毒液へ
Khurana et al.(2022)が詳細に記録した蒸留所のピボットは、レモネード原則の典型例である。飲食店閉鎖でアルコール飲料需要が変動するなか、手指消毒液の深刻な供給不足を機会と捉えた蒸留所は、高濃度アルコールという原材料、蒸留の化学的知識、既存の瓶詰めラインを転用し、飲料から衛生用品へ瞬時にピボットした。平時であれば法規制やブランドイメージの観点から実行されない行動が、危機下では社会的要請とキャッシュフロー維持を両立するエフェクチュエーション的決断として合理性を持った。
コーゼーションとエフェクチュエーションの両利き
パンデミック後の実証研究がもたらした最も重要な理論的進展は、「極端な不確実性下ではエフェクチュエーションのみが有効」という二項対立を覆し、両論理の同時並行的適用(アンビデクステリティ)こそが組織レジリエンスの条件であると実証した点にある。
イタリアのホスピタリティ産業SME 80社を対象としたPLS-SEM(部分最小二乗構造方程式モデリング)およびNCA分析による研究は、このダイナミクスを統計的に証明した。コーゼーションは組織の**準備態勢(Preparedness)を直接的に高め、エフェクチュエーションは組織のアジリティ(俊敏性)**を直接的に高める。優れた経営者は、キャッシュフロー管理や従業員安全確保などコントロール可能な領域には計画的手法を適用しつつ、未知の顧客ニーズや新規チャネル構築には柔軟なエフェクチュエーション的戦略を用いるという「認知的・合理的な羅針盤」を機能させていた。
この結論は、ドイツのfsQCA研究で特定された「計画的ソリスト(コーゼーション優位)」と「ヘッジ型ネットワーカー(エフェクチュエーション優位)」という複数の等結果性パスの存在とも符合する。両論理は相互排他的ではなく、不確実性の度合いに応じて動的にブレンドされるべき補完的な経営ツールであることが、学術的に確立されたといえる。
危機を変革の契機とするために
パンデミックという地球規模のショックは、予測不可能な未来に備える最良の手段が予測モデルの精度向上ではないことを証明した。手元の手段を正確に把握し、許容可能な損失の範囲で実験を繰り返し、多様なパートナーと共創しながら、予期せぬ事態すらも価値創造の素材とする。エフェクチュエーション的行動の不断の実践こそが、Bouncing Backを超えたBouncing Forwardとしての真のレジリエンスを生み出すのである。
関連記事として「レモネードの原則」、「エフェクチュエーションとレジリエンス」も参照されたい。
参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Korber, S., & McNaughton, R. B. (2018). Resilience and entrepreneurship: A systematic literature review. International Journal of Entrepreneurial Behavior & Research, 24(7), 1129–1154.
- Khurana, I., Dutta, D. K., & Ghura, A. S. (2022). Crisis and arbitrage opportunities: The role of causation, effectuation and entrepreneurial learning. International Journal of Entrepreneurial Behavior & Research, 28(5), 1258–1282.
- Radziwon, A., Bogers, M., Chesbrough, H., & Minssen, T. (2022). Ecosystem effectuation: Creating new value through open innovation during a pandemic. R&D Management, 52(2), 376–390.
- Nelson, R. E., & Lima, E. (2020). Effectuations, social bricolage and causation in the response to a natural disaster. Small Business Economics, 54(1), 281–300.
- Bosatto, R., & Lima, E. (2023). Effectuation and entrepreneurship facing crises: A review. Revista de Empreendedorismo e Gestão de Pequenas Empresas, 12(3), e2250.
- Monllor, J., Pavez, I., & Pareti, S. (2022). Effectuation and causation configurations for business model innovation in the gastronomic industry during the COVID-19 pandemic. Frontiers in Psychology, 13, 786948.
- サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.