目次
従来モデルの前提:意図が行動を駆動する
起業家教育の効果測定において、長年にわたり支配的であったのが「動機づけ偏重モデル」である。このモデルは、教育が学生の起業家的自己効力感(Entrepreneurial Self-Efficacy: ESE)を高め、その自己効力感が起業家的意図(Entrepreneurial Intention: EI)を形成し、最終的に意図が起業行動を駆動するという線形的な因果連鎖を前提としている。
Ajzen(1991)の計画的行動理論(Theory of Planned Behavior)に基づくこのモデルでは、「意図が高まらなければ行動は起きない」とされる。したがって教育の成功は「起業家的意図の向上」で測定され、意図が向上すれば教育は成功、向上しなければ失敗という評価が定着していた。
しかし、ミャンマーで実施されたランダム化比較試験(RCT)は、この長年の前提を根本から覆す衝撃的な知見を提示した(The Impact of Action Planning after Causation-and-Effectuation-Based Entrepreneurship Education, PMC, 2023)。
研究の背景:GDP17.9%減の極度逆境
ミャンマーの経済的・政治的危機
この研究が実施された時期のミャンマーは、ビジネスにおいて想定しうる最も過酷な環境にあった。新型コロナウイルスの世界的流行に加え、2021年の政治的混乱により、同国のGDPは17.9%減少し、雇用は8.9%縮小した。国際機関の推計によれば、国民の約半数が貧困ライン以下の生活を余儀なくされ、経済活動は著しく停滞していた。
このような極度の逆境下で、多くの人々は既存の雇用機会を失い、「アンダードッグ(負け犬)起業」と呼ばれる生存のための自営業への移行を余儀なくされていた。起業は選択ではなく、生き延びるための手段であった。
なぜ極度逆境下でRCTを実施したのか
研究チームがこの過酷な環境を研究対象として選択したのには明確な学術的理由がある。従来の起業家教育研究の多くは、先進国の比較的安定したマクロ環境下で実施されてきた。しかしエフェクチュエーション理論が本来想定する「極度の不確実性」は、先進国の教室環境では限定的にしか再現できない。ミャンマーの危機は、エフェクチュエーション理論が真に機能するかどうかを検証する、まさに自然実験的な環境を提供したのである。
RCTの研究デザイン
10日間の統合教育プログラム
研究チームは、ミャンマーの大学生83名を対象に、10日間にわたる包括的な起業家教育プログラムを実施した。このプログラムの特徴は、因果論(Causation)とエフェクチュエーション(Effectuation)の両方を統合的に教授した点にある。学生は事業計画の策定(因果論的アプローチ)と、手中の鳥からの出発・許容可能な損失の評価・ステークホルダーとの協働(エフェクチュアル・アプローチ)の双方を学んだ。
行動計画介入(API)の設計
10日間の教育プログラム終了後、参加者は無作為に介入群と対照群に割り付けられた。介入群に対してのみ、**行動計画介入(Action Planning Intervention: API)**が実施された。
APIは、健康行動プロセス・アプローチ(Health Action Process Approach: HAPA)と社会的認知理論(Social Cognitive Theory: SCT)に基づく「ボリション(意志的)介入」である。具体的には、学生に「ビジネスを始めるにあたって、何を、いつ、どこで、どのように行うか」を具体的に計画させるものであった。
HAPAモデルは、行動変容において「動機づけフェーズ(motivation phase)」と「意志フェーズ(volitional phase)」を区別する。動機づけフェーズでは自己効力感や結果期待が意図を形成し、意志フェーズでは具体的な行動計画が意図を実際の行動へと変換する。APIはこの意志フェーズに介入するものであった。
結果1:起業家的自己効力感(ESE)の有意な向上
行動計画介入の第一の効果は、学生の起業家的自己効力感(ESE)の有意な向上であった(b = 1.24, p = 0.00)。APIを受けた学生は、対照群と比較して、不確実性に対処する自身のスキルに対する自信を明確に深めた。
この結果は予測可能なものであった。具体的な行動計画を立てるプロセスは、学生に「自分にもこれができる」という自己効力感を提供する。HAPAモデルの理論的予測とも整合しており、エフェクチュエーション教育が自己効力感の向上に寄与するという先行研究の知見を追認するものであった。
結果2:起業家的意図(EI)の負の直接効果——衝撃的知見
しかし、第二の結果は研究者自身にとっても衝撃的であった。行動計画介入は、起業家的意図(EI)に対して有意な負の直接効果をもたらしたのである(b = −0.18, p = 0.03)。
APIを受けた学生は、受けなかった学生と比較して、「今すぐ起業したい」という意図が低下した。従来の動機づけ偏重モデルに従えば、この結果は教育の「失敗」を意味する。自己効力感が向上したにもかかわらず、起業意図が低下するという一見矛盾した結果は、どのように解釈されるべきか。
冷静なリスク評価としての意図低下
研究チームは、この意図の低下を教育の失敗ではなく、むしろ教育の成功の証拠として解釈している。エフェクチュエーションの原則——特に「許容可能な損失」——を通じてビジネスの過酷な現実と直面し、具体的な行動計画を立てたことで、学生はミャンマーの極端なマクロ経済的・政治的リスクの大きさを冷静に評価したのである。
GDP17.9%減、雇用8.9%減という環境下で「今すぐ起業する」という意図は、楽観的というよりも非現実的である。行動計画を具体的に策定するプロセスは、抽象的な「起業したい」という願望を、「いつ、どこで、何を、どのように」という具体的な現実認識へと変換する。この変換の過程で、学生は起業の困難さとリスクの大きさを正確に認識し、非現実的な意図を一旦保留したのである。
エフェクチュエーションの観点からは、この「意図の保留」こそが合理的な判断である。許容可能な損失の原則は、「投下するリソースの上限を冷静に評価せよ」と求める。極度の経済危機下で、学生がリスクの大きさを正確に認知したことは、エフェクチュエーションの原則が正しく内在化された証拠と解釈できる。
結果3:機会認識行動の劇的な向上——意志的経路の発見
b = 7.89, p = 0.01の直接効果
このRCTの最も重要な発見は、第三の結果にある。起業家的意図(EI)が低下したにもかかわらず、行動計画介入が実際の**「機会認識行動」**に与える直接的な効果は、極めて強くポジティブであった(b = 7.89, p = 0.01)。
APIを受けた学生は、対照群と比較して、ビジネス機会を認識し探索する具体的な行動——市場調査、潜在的パートナーとの対話、資源の棚卸し、小規模な実験的試行——を劇的に増加させた。これは「起業したい」という意図が低下したにもかかわらず、「機会を認識し行動する」という実際の行動は向上したことを意味する。
直列媒介分析が証明した意志的経路
研究チームは直列媒介分析(serial mediation analysis)を実施し、APIから機会認識行動に至る経路を詳細に分析した。その結果、行動計画介入は「動機づけの経路(motivational path)」——すなわちESE → EI → 行動という間接経路——を介さずとも、**直接的に行動を引き起こす「意志的経路(volitional path)」**が存在することが証明された。
この発見の学術的インパクトは甚大である。従来のモデルでは、教育 → 自己効力感 → 意図 → 行動という線形的な連鎖が想定されていた。意図が形成されなければ行動は起きないというのが前提であった。しかしミャンマーRCTは、意図と行動が**デカップリング(分離)**しうることを実証したのである。
動機づけ偏重モデルの限界
意図測定の落とし穴
この研究結果は、起業家教育の効果を「起業家的意図の変化」のみで測定してきた従来の研究アプローチに根本的な疑問を投げかける。もし教育が意図を低下させたが行動を向上させた場合、その教育は「失敗」なのか「成功」なのか。意図のみを測定すれば「失敗」と判定されるが、行動を測定すれば「成功」と判定される。
この問題は、意図と行動のデカップリングが起こりやすい環境——すなわち不確実性が極めて高い環境——において特に深刻となる。ミャンマーのような極度の逆境下では、冷静なリスク評価に基づく意図の低下は合理的であり、それにもかかわらず機会認識行動が向上することは、教育が真にレジリエントな行動能力を育成した証拠である。
エフェクチュエーション固有のメカニズム
このデカップリングは、エフェクチュエーション教育に特有のメカニズムによるものと推察される。エフェクチュエーションの「手中の鳥」原則は、壮大な目標の設定(=意図)よりも、手元にある資源からの出発(=行動)を重視する。「許容可能な損失」原則は、期待リターンの最大化(=意図の強化)よりも、失ってもよい範囲内での小さな実験的行動を促す。
つまりエフェクチュエーション教育は、その本質において、「強い意図の形成」ではなく「即座の行動の開始」を志向している。意図が低下しても行動が向上するという一見パラドキシカルな結果は、実はエフェクチュエーション理論の核心的メカニズムが正しく作動したことの証左なのである。
HAPAとSCTに基づくAPIの理論的基盤
動機づけと意志の二相モデル
HAPAモデルは行動変容を「動機づけフェーズ」と「意志フェーズ」の二相に区分する。動機づけフェーズでは自己効力感や結果期待が意図を形成し、意志フェーズでは行動計画が意図を行動へと変換する。ミャンマーRCTの結果はこの二相モデルと整合しており、意志フェーズへの介入が動機づけフェーズを経由せずとも行動を引き起こしうることを起業家教育の文脈で初めて実証した。
SCT(Bandura, 1986)における自己効力感の概念は、エフェクチュエーションの「手中の鳥」と親和性を持つ。APIがESEを向上させたという結果は、行動計画の策定が学生の手中の鳥の認識を強化したことを示唆している。
教育実践への示唆
行動測定と行動計画の教育への統合
ミャンマーRCTの実践的示唆は二つある。第一に、起業家教育の効果測定において「行動」を測定対象に含める必要性である。意図の変化のみでは教育効果を正確に評価できない。第二に、APIの有効性が実証されたことで、教育プログラムに行動計画策定のセッションを組み込むことの合理性が裏付けられた。
ミャンマーRCTが覆した常識——意図と行動は必ずしも連動しない——は、エフェクチュエーション教育の本質を照射するものであった。不確実性が極度に高い環境において、冷静なリスク評価に基づいて意図を保留しながらも、手中の鳥から出発して具体的な機会認識行動を開始する。これこそが、エフェクチュエーション教育が育成すべき真のレジリエンスである。
関連記事として「エフェクチュエーション教育」、「アフリカの起業とエフェクチュエーション」も参照されたい。
参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Ajzen, I. (1991). The Theory of Planned Behavior. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 50(2), 179–211.
- Bandura, A. (1986). Social Foundations of Thought and Action: A Social Cognitive Theory. Prentice-Hall.
- Schwarzer, R. (2008). Modeling Health Behavior Change: How to Predict and Modify the Adoption and Maintenance of Health Behaviors. Applied Psychology, 57(1), 1–29.
- The Impact of Action Planning after Causation-and-Effectuation-Based Entrepreneurship Education. PMC, PMC10376794, 2023.