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エフェクチュエーションと交渉術 — 不確実な局面での合意形成

エフェクチュエーションの5原則は、伝統的な交渉理論とどう異なるのか。クレイジーキルト原則とパイロットの原則が示す、不確実な環境での合意形成のメカニズムを分析する。

約16分
目次

「テーブルに着かせる」こと自体が交渉の最初の難関

交渉論の古典的テキストは、交渉の場に双方がすでに着席していることを前提としている。Roger Fisher と William Ury が 1981 年に著した Getting to Yes は、「人と問題を切り離せ」「立場ではなく利益に焦点を当てよ」という原則を説くが、それは交渉の 開始時点がすでに確定しているという前提のもとで成立する(Fisher, Ury & Patton, 2011, pp. 17–40)。

ところが、新規事業やスタートアップの現場では、この前提が崩れる。誰を交渉相手とすべきかが分からない。どんな条件を提示すべきかが分からない。そもそも、自分が何を作ろうとしているかすら、まだ定まっていない——。こうした Knightian uncertainty(計測不能な不確実性) に満ちた環境において、従来の交渉理論はそのまま適用できないと Sarasvathy & Botha(2022)は指摘する。

Sarasvathy & Botha(2022)は Negotiation Journal に発表した論文「Bringing People to the Table in New Ventures: An Effectual Approach」の中で、エフェクチュエーションの枠組みが、こうした不確実な交渉局面に理論的な解を与えることを論じた。本稿はこの論文を軸に、エフェクチュエーションの主要原則——とりわけ クレイジーキルト原則パイロットの原則 ——が交渉理論と交差する地点を分析する。

伝統的交渉理論の前提:予測可能な世界を想定する

BATNA と利益ベース交渉のロジック

Fisher & Ury の 原則立脚型交渉(Principled Negotiation) は、4 つの柱で構成される。第一に「人と問題を切り離す」こと。第二に「立場ではなく利益に焦点を当てる」こと。第三に「合意前に多様なオプションを生成する」こと。第四に「客観的な基準に基づいて合意する」こと(Fisher, Ury & Patton, 2011, p. 15)。この枠組みの核心にあるのが BATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement) ——交渉が決裂した場合の最良の代替案——という概念である。BATNA を明確に持つことが交渉力の源泉となる。

この理論が機能するのは、目標が明確で、市場・競合・相手のプロファイルがある程度把握できている状況である。コーゼーション的な意思決定との親和性が高く、目標から逆算して最適な合意点を探るロジックは コーゼーション の構造に対応する。言い換えれば、伝統的交渉理論は「未来は予測可能」または「予測のための情報が入手可能」という前提に立っている。

なぜ不確実な環境では機能しないのか

新規事業の初期段階では、相手の「利益(interests)」が相手自身にも明確でないことが多い。そもそも相手が「この事業に参加することで何を得たいか」を知らない状態で交渉テーブルに着く。顧客になるのか、パートナーになるのか、あるいは共同創業者になるのか——役割すら未決定である。Sarasvathy & Botha(2022)はこの状態を「目標の曖昧性(goal ambiguity)」と「等方性(isotropy)」という 2 つの概念で説明する。等方性とは、何が関連情報で何がノイズかを事前に判断できない状態を指す。

このような状況で BATNA を計算しようとしても、比較基準となる代替案が存在しない。利益ベース交渉では「相手の利益を探れ」と説くが、探るべき利益が不確定なのである。

エフェクチュアル・アプローチの 4 象限

Sarasvathy & Botha(2022)は、交渉のアプローチを「予測(Prediction)」と「制御(Control)」という 2 軸で分類し、4 つの象限を提示した。

高予測低予測
高制御Deal(ディール)Ask(エフェクチュアル・アスク)
低制御Pitch(ピッチ)Help(ヘルプ)

Pitch は、事前に設定した目標を達成するために相手を説得するアプローチである。明確な目的があるが制御力は低い。Deal は、両者が十分な情報を持ち、条件交渉によって最適点を探る古典的な交渉スタイルである。Help は、援助を求める低予測・低制御の受動的なスタンスである。

そして Ask(エフェクチュアル・アスク) こそが、エフェクチュエーション固有のアプローチである。低予測でありながら高制御——つまり、未来を予測せずに、行動によって未来を生成していくスタンスである。これは エフェクチュアル・アスク として独立した概念に昇格しており、熟達した起業家が使う最も重要な交渉技法とされている。

クレイジーキルト原則と交渉:コミットメントの交換として

合意ではなくコミットメントを求める

クレイジーキルト原則 が伝統的な交渉理論と根本的に異なるのは、「合意(agreement)」ではなく「コミットメント(commitment)」を交換の単位とする点である(Sarasvathy, 2008, pp. 67–82)。伝統的な交渉では、双方が条件をすり合わせて最終的な合意文書に到達することがゴールである。しかしクレイジーキルト的交渉では、相手が何らかのリソース、知識、ネットワーク、あるいは時間をコミットメントしてくれること——それ自体が出力物であり、そのコミットメントが次の行動の手段になる。

Sarasvathy(2008)は「コミットメントの交換(exchange of commitments)」という表現を使う。この交換において重要なのは、コミットメントの内容が事前に設定した計画に合致するかどうかではなく、コミットメントが生まれることで新しい可能性の空間が開くかどうかである(p. 76)。パッチワークキルトの比喩どおり、どんな布が加わるかで全体のデザインが変わる。

自己選択的ステークホルダーと逆選択の回避

Fisher & Ury の原則立脚型交渉が「誰を交渉相手とすべきかを選定する」ことを起点とするのに対し、クレイジーキルト原則は 「誰が手を挙げるかを観察する」 ことを起点とする。Sarasvathy(2008)はこれを「自己選択的ステークホルダー(self-selecting stakeholders)」と呼んだ。起業家のアイデアや手段に共感して自ら関与を申し出る人々こそが、最も価値あるパートナーである(p. 70)。

この逆転は重要な含意を持つ。伝統的交渉では、ターゲットを設定し、そのターゲットに向けてアプローチする。しかしエフェクチュアルな交渉では、自分の手中にある手段——スキル、知識、ネットワーク、アイデア——を積極的に発信し、それに共鳴した相手との対話を開始する。Dutta & Packard(2024)はこのプロセスを「カリスマという縫い針と信頼という糸」と表現し、起業家が発信するカリスマが信頼の基盤を形成することで、エフェクチュアル・アスクが機能する条件が整うと論じている。

交渉が目標を変える

クレイジーキルト的交渉のもう一つの特徴は、交渉のプロセスが目標そのものを変容させる点である(Sarasvathy, 2008, p. 75)。Fisher & Ury の枠組みでは、交渉は事前設定された目標を達成するための手段であり、目標自体は一定に保たれる。しかしクレイジーキルト的プロセスでは、新たなステークホルダーが持ち込むリソースや視点によって、事業のビジョンそのものが進化する。

13 年・260 社以上への新規事業プロジェクト共動の経験から言えば、「最初の構想どおりに進んだプロジェクト」はほぼ存在しない。むしろ、最初のコミットメントを提供してくれた人との対話が、事業の本質的な方向性を決定していた。これはクレイジーキルト原則が描くプロセスそのものである。

パイロットの原則と交渉:行動が相手を生む

予測ではなく行動が交渉相手を創出する

パイロットの原則 は、「未来は予測するものではなく、行動によって生成するもの」という信念を表現する(Sarasvathy, 2001, p. 251)。この原則を交渉の文脈に置くと、交渉相手は事前に特定されるのではなく、行動の結果として現れるという含意が生まれる。

伝統的交渉論の文脈では、「誰と交渉するか」は交渉の前段階で決定する。しかしエフェクチュアルな起業家は、行動(プロトタイプを作る、勉強会に登壇する、SNS で発信する)を先行させることで、自己選択的に反応してくる相手が現れる状況を生成する。Sarasvathy & Botha(2022)が描く「Ask」の象限は、この「行動先行・相手後発」の構造を指している。

非予測的コントロールと合意形成

パイロットの原則の核心は 「予測への適応(prediction-based adaptation)」ではなく「非予測的コントロール(non-predictive control)」 である(Sarasvathy, 2001, p. 251)。飛行機のパイロットは風向きや気流を完全に予測できないが、操縦桿を握ることで機体の行方をコントロールする。起業家も同様に、不確実な環境において「自分がコントロールできること」に集中する。

この枠組みで合意形成を捉えると、「最良の合意を計算する」のではなく、「コントロール可能な行動を先に取り、相手の反応から合意の形を発見する」というプロセスになる。これは 手中の鳥の原則 ——手持ちの手段から出発する——とも連動しており、交渉における「持ちかける材料(means)」が、交渉の相手と内容を同時に決定していく。

伝統的交渉理論との統合的理解

補完関係として捉える

エフェクチュアルな交渉アプローチと Fisher & Ury の原則立脚型交渉は、対立するものではなく補完的に機能すると理解することが生産的である。Sarasvathy & Botha(2022)が示した 4 象限モデルでは、Deal 象限——Fisher & Ury のホームフィールド——は、予測可能性と制御可能性が両方高い状況で有効である。

新規事業の文脈では、初期段階(目標未確定・相手未確定)はエフェクチュアル・アスクで始まり、コミットメントが積み重なるにつれて予測可能性が高まり、Deal 型の交渉が有効になる段階へと移行していく。 許容可能な損失の原則 は、この移行プロセスを通じて一貫して機能するリスク管理の軸である。どこまでのリソースをコミットメントとして提供できるかの上限を設定することが、エフェクチュアルな交渉者の守備ラインになる(Sarasvathy, 2008, pp. 35–50)。

BATNA の代わりに「許容可能な損失」を

伝統的交渉では、BATNA が強い側が交渉力を持つ。しかし新規事業の初期段階では、比較可能な代替案が存在せず、BATNA の計算が困難である。エフェクチュエーションが提供する代替的指針は 「自分が失っても許容できる範囲」 の明確化である。これは BATNA の裏面——合意が成立しない場合に失うものの上限——を先に規定するアプローチであり、交渉における心理的安全地帯を確保する機能を持つ。

「この交渉が成立しなくても、ここまでなら許容できる」という基準を持つことで、起業家は過剰な依存なしに相手との対話を開始できる。この心理的余裕こそが、自己選択的ステークホルダーを引き寄せる土台になると筆者は考えている。

実務への示唆:エフェクチュアルな交渉者になるために

3 つの実践原則

1. 手段を先に開示する: 交渉の開始時に「自分が何を求めているか」ではなく「自分が何を持っているか・何ができるか」を示す。クレイジーキルト原則の「布切れを見せる」行為が、相手の自己選択を促す。

2. コミットメントの質を問う: 交渉の成果を「合意文書の存在」ではなく「相手のコミットメントの具体性」で評価する。時間を出してくれるのか、ネットワークを紹介してくれるのか、資金を出してくれるのか——具体性の程度が、関係の深さを測る指標となる。

3. 目標の更新を恐れない: 交渉の結果として自分の目標や事業の方向性が変わることを、失敗ではなく学習として位置づける。パイロットの原則が示すように、操縦しながら目的地を発見するプロセスが、不確実な環境での合意形成の実態である。

こんな人に特に読んでほしい

  • 新規事業の担当者として、社内外の関係者を「巻き込む」交渉に苦労している人
  • スタートアップの創業者として、投資家・パートナー・初期顧客へのアプローチ方法を模索している人
  • 交渉論の研究者・実務家として、エフェクチュエーション理論と交渉理論の接点に関心がある人
  • オープンイノベーション推進担当として、外部パートナーとの協業形成のアプローチを探している人

参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Sarasvathy, S. D., & Botha, H. (2022). Bringing people to the table in new ventures: An effectual approach. Negotiation Journal, 38(1), 11–34.
  • Fisher, R., Ury, W., & Patton, B. (2011). Getting to Yes: Negotiating Agreement Without Giving In (3rd ed.). Penguin Books.
  • Dutta, T., & Packard, M. D. (2024). The needle of charisma and the threads of trust: Advancing effectuation theory’s crazy quilt principle. Journal of Business Venturing, 39(4). https://doi.org/10.1016/j.jbusvent.2024.106314

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