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パンデミックが若年層の起業家精神に残した刻印
COVID-19パンデミックは、経済活動の停止や企業の危機対応にとどまらず、パンデミックを社会人形成期に経験した若年層の起業家的アイデンティティと職業観に対して、不可逆的な変容をもたらした。2024年から2025年にかけて発表された一連の実証研究は、この世代特有の起業観がエフェクチュエーション理論と深い構造的親和性を持つことを明らかにしている。
従来の起業家精神研究において、若年層の起業意図(Entrepreneurial Intention: EI)は主にAjzen(1991)の**計画的行動理論(Theory of Planned Behavior: TPB)**の枠組みで分析されてきた。TPBは、行動に対する態度、主観的規範、知覚された行動統制感の3変数が起業意図を規定するとする理論であり、過去30年にわたってEI研究の支配的なパラダイムであった。しかし、パンデミックという前例のないシステミック・ショックは、TPBの前提そのものを揺るがす現象を生じさせ、新たな理論的枠組みの必要性を浮き彫りにした。
米国大学生31名の質的研究——起業の再定義
研究デザインと理論的統合
米国の大学生31名を対象とした質的研究は、TPB、レジリエンス理論、エフェクチュエーション理論の3つを統合するという方法論的に野心的なアプローチを採用した。学生のナラティブ(語り)を3つの理論的レンズから同時に分析することで、単一の理論では捉えきれない複合的な起業観の変容を描き出している。
「富の追求」から「自己決定権の確保」へ
この研究が明らかにした最も重要な知見は、パンデミックを経験した学生たちが起業の意味を根本的に再定義していることである。従来の起業研究において、起業の動機は大きく「機会追求型(Pull factor)」——市場機会の発見と富の創造——と「必要性駆動型(Push factor)」——失業や経済的困窮からの脱出——に分類されてきた。
しかし、パンデミック世代の学生たちの起業観は、このいずれのカテゴリーにも完全には収まらない新たな類型を示していた。彼らは起業を、単なる財務的リターンや富の追求という経済的動機からではなく、圧倒的な経済的不確実性の海を生き抜くための自己決定権(Agency)と柔軟性の確保という、本質的なレジリエンス戦略として捉え直していたのである。
不確実性への認知的転換
パンデミック以前の世代にとって、不確実性は起業の「リスク」として認識され、それを最小化するための事業計画や市場調査が重視されていた。しかし、パンデミック世代は、不確実性そのものが常態であるという世界観を前提としている。大企業や安定した雇用が一夜にして揺らぎうるという経験は、「安全な選択肢」という概念そのものへの根本的な懐疑を生み出した。
この世界観は、エフェクチュエーション理論の認識論的基盤と構造的に一致する。Sarasvathy(2001)が「未来は予測するものではなく、自らのコントロールと行動によって創り出すもの」と定義したエフェクチュエーションの根本命題は、パンデミック世代にとって理論的主張ではなく、生活実感に根ざした直感的な真実として受容されている。
サイドハスルの実験——手中の鳥原則の自然発生的実践
ロックダウン下の起業実験
研究が観察したもう一つの重要な現象は、学生たちがパンデミックによるロックダウン中、大規模な事業計画を立てるのではなく、サイドハスル(小規模な副業やギグワーク)の実験を行っていたことである。
彼らの行動パターンは、意図せずしてエフェクチュエーションの手中の鳥原則を体現していた。自らの限られたスキル(デザイン、プログラミング、語学、料理など)、限られた時間(授業やアルバイトの合間)、そしてアクセス可能なデジタルプラットフォーム(Etsy、Fiverr、Instagram、YouTube等)を最大限に活用し、許容可能な損失の範囲内で小さな実験を繰り返すという行動パターンが顕著に見られた。
計画不在の合理性
注目すべきは、これらのサイドハスルのほとんどが、詳細なビジネスプランや市場調査に先立って開始されていたことである。学生たちは「まず売れるかどうかやってみる」「反応を見てから方向を決める」という姿勢を自然に取っていた。
コーゼーション的な観点からは、この計画不在の行動は「無謀」と映りうる。しかしエフェクチュエーション的な観点からは、予測不可能な環境において、小さなリソースで実験を開始し、市場からのフィードバックに基づいて方向性を修正するという極めて合理的な行動として解釈できる。パンデミック世代は、エフェクチュエーション理論を学習した結果ではなく、不確実な環境への適応行動として自然発生的にエフェクチュエーション的論理を獲得したと見ることができる。
デジタルプラットフォームの役割
サイドハスルの実験を可能にした環境要因として、デジタルプラットフォームの存在が決定的に重要である。かつての起業実験には、物理的な店舗、在庫、配送手段といった初期投資が必要であった。デジタルプラットフォームは、これらの障壁を劇的に低下させ、許容可能な損失の範囲をほぼゼロに近づけた。学生がスマートフォン一つで始められるデジタルサービスの提供や、在庫を持たないドロップシッピングモデルの活用は、エフェクチュエーションの許容可能な損失原則が最も先鋭的に実現される環境を提供している。
タイRMUTT 1,064名のSEM研究——エコシステムと起業意図
大規模定量研究の設計
米国の質的研究が深い洞察を提供する一方で、タイのラジャマンガラ工科大学(RMUTT)の学生1,064名を対象とした2025年発表のSEM(構造方程式モデリング)研究は、デジタル化時代における若年層の起業意図の規定因を大規模な定量データによって検証している。
起業家エコシステム(ECO)と知覚された起業家志向(PEO)
この研究が検証した主要な構成概念は、**起業家エコシステム(Entrepreneurial Ecosystem: ECO)と知覚された起業家志向(Perceived Entrepreneurial Orientation: PEO)**の二つである。
起業家エコシステム(ECO)とは、大学のインキュベーション施設、メンタリングプログラム、起業家コミュニティ、デジタルインフラ、資金調達機会といった外部環境の支援体制を包括する概念である。知覚された起業家志向(PEO)とは、個人がどの程度自己をイノベーティブでプロアクティブ、かつリスクテイキングな存在として知覚しているかを測定する概念である。
SEM分析の結果、ECOとPEOの両方が学生の起業意図(Entrepreneurial Intention: EI)に対して強力な正の影響を与えることが統計的に確認された。さらに、ECOがPEOを媒介としてEIに間接的に影響を与えるという経路も有意であった。
エフェクチュエーションとの接続
この研究においても、外部のエコシステムの活用と内部の動機付け要因とを結びつける理論的枠組みとしてエフェクチュエーションの概念が取り入れられている。デジタルツールを活用した機敏なリソース利用——ブリコラージュ的(bricolage)なアプローチ——が起業の成功要因として強調されており、エフェクチュエーションの手中の鳥原則との理論的連続性が示されている。
エコシステムの存在は、エフェクチュエーションのクレイジーキルト原則——ステークホルダーとのパートナーシップによる不確実性の共有と削減——の制度的基盤として解釈できる。大学やインキュベーターが提供するネットワーキングの機会は、学生起業家がクレイジーキルト的なパートナーシップを構築するための場を提供し、個人レベルのエフェクチュエーションをメソレベルの組織的実践へと拡張する媒介機能を果たしている。
二つの研究の統合的解釈
米国の質的研究とタイの定量研究は、方法論も文化的背景も異なるが、収斂する知見を提供している。
第一に、パンデミックを経験した若年層は、起業をレジリエンス戦略として位置づけている。富の追求や夢の実現という従来の起業動機に加えて(あるいはそれに代わって)、不確実な環境における自己決定権の確保と適応力の獲得という動機が前景化している。
第二に、デジタルプラットフォームとエコシステムの充実が、エフェクチュエーション的行動の障壁を劇的に低下させている。手中の鳥原則の「手元にある手段」がデジタルツールによって拡張され、許容可能な損失原則の損失閾値がプラットフォーム経済によってほぼゼロに近づき、クレイジーキルト原則のパートナー探索がエコシステムによって促進されている。
第三に、起業教育のパラダイム転換の必要性が示唆されている。両研究の知見は、高等教育機関におけるアントレプレナーシップ教育が、伝統的なビジネスプラン作成の指導から、複雑性をナビゲートし、少ないリソースで実験を繰り返し、組織的レジリエンスを構築するスキルの育成へと根本的にシフトすべきであることを強く示している。
アントレプレナーシップ教育への含意
コーゼーション偏重からの脱却
従来のアントレプレナーシップ教育は、ビジネスプランコンテストに象徴されるように、コーゼーション的スキル——市場調査、財務予測、競合分析、戦略策定——の習得に重点を置いてきた。これらのスキルは引き続き重要であるが、パンデミック世代の実態は、教育内容のリバランスが必要であることを示している。
エフェクチュエーション的スキルの育成には、行動を通じた学習が不可欠である。座学による理論の理解だけでなく、実際にサイドハスルを実験し、フィードバックを受け、ピボットを経験するという、体験的な学習プログラムの設計が求められる。イタリアのSME研究が示した「認知的・合理的な羅針盤」の能力——コーゼーションとエフェクチュエーションを状況に応じて使い分ける認知的柔軟性——は、教科書の学習だけでは獲得しがたく、反復的な実践経験のなかでのみ発達する。
デジタルネイティブ世代の起業特性
パンデミック世代は同時にデジタルネイティブ世代でもある。デジタルプラットフォームの活用能力は、この世代の「手中の鳥」の中核的構成要素となっている。タイのRMUTT研究が示したデジタルツールを活用したブリコラージュ的アプローチの重要性は、起業教育においてデジタルリテラシーと起業家的思考の統合が急務であることを意味する。
パンデミックが若年層の起業観に与えた影響は、一時的な現象ではなく、世代的な価値観の転換として長期的な効果を持つと考えられる。エフェクチュエーション理論は、この新世代の起業行動を理解し、支援するための理論的枠組みとして、今後ますます中心的な役割を果たすであろう。
関連記事として「エフェクチュエーション教育」、「エフェクチュエーションとレジリエンス」も参照されたい。
参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Ajzen, I. (1991). The theory of planned behavior. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 50(2), 179–211.
- Korber, S., & McNaughton, R. B. (2018). Resilience and entrepreneurship: A systematic literature review. International Journal of Entrepreneurial Behavior & Research, 24(7), 1129–1154.
- Bosatto, R., & Lima, E. (2023). Effectuation and entrepreneurship facing crises: A review. Revista de Empreendedorismo e Gestão de Pequenas Empresas, 12(3), e2250.
- Monllor, J., Pavez, I., & Pareti, S. (2022). Effectuation and causation configurations for business model innovation in the gastronomic industry during the COVID-19 pandemic. Frontiers in Psychology, 13, 786948.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.