用語集

クレイジーキルトの原則

競争分析よりもパートナーシップを重視し、コミットメントを持つステークホルダーとの協力関係を構築するエフェクチュエーションの原則。

目次

くれいじーきるとのげんそく

Crazy Quilt Principleクレイジーキルトパッチワーク原則

競合を分析する前に、仲間を集めるべきではないか

新規事業の立ち上げにおいて、「まず競合分析をしよう」という発想は広く浸透している。ポーターのファイブフォース分析やSWOT分析を駆使し、市場における競争ポジションを明確にしてから参入戦略を立てる。これはコーゼーション的な意思決定の典型であり、既存市場への参入においては有効なアプローチである。しかし、市場そのものが存在しない、あるいは定義できない状況において、競合分析に時間を費やすことにどれほどの意味があるだろうか。分析すべき競合が存在しない。顧客セグメントも確定していない。そもそも自分が何を作るかすら確定していない段階で、競争戦略を議論するのは時期尚早である(Sarasvathy, 2008, p. 67)。

パッチワークキルトという比喩の意味

クレイジーキルトの原則(Crazy Quilt Principle)は、エフェクチュエーションの5つの原則の一つであり、事前の競争分析に基づく戦略的パートナーシップではなく、自発的にコミットメントしてくれるステークホルダーとの協力関係の構築を重視する原則である(Sarasvathy, 2008, pp. 67–82)。

「クレイジーキルト(Crazy Quilt)」とは、統一的なデザインパターンを持たず、さまざまな形・色・素材の布切れを自由に縫い合わせて作るパッチワークキルトのことである。通常のキルトは事前にデザインを決め、そのデザインに合う布を選んで裁断する。しかしクレイジーキルトでは、手元にある布切れをそのまま受け入れ、それぞれの個性を活かしながら一枚のキルトに仕上げていく。この比喩は、起業家がパートナーを「戦略的に選ぶ」のではなく、「自ら手を挙げてくれた人々と共に事業の方向性を形作っていく」プロセスを的確に表現している。

自己選択的ステークホルダーとは

クレイジーキルトの原則において中心的な概念が「自己選択的ステークホルダー(Self-selecting Stakeholders)」である(Sarasvathy, 2008, p. 70)。これは、起業家が戦略的に選定したパートナーではなく、起業家のアイデアやビジョンに共感し、自らの意思でリソースやコミットメントを提供する人々を指す。

Sarasvathy(2008)の実験で観察された熟達した起業家たちは、ターゲット顧客を定めてから製品を設計するのではなく、自分のアイデアに関心を示した人々との対話を通じて製品の仕様や市場の方向性を柔軟に変化させていた。ある起業家は「最初の顧客が、実は最高の共同創業者になった」と語り、別の起業家は「投資家ではなく、最初に注文してくれた人が事業の方向を決めた」と述べた(Sarasvathy, 2008, pp. 71–73)。

競争分析アプローチとの対比

コーゼーション的な発想では、まず市場を分析し、競合の強み・弱みを把握した上で、自社に足りないリソースを補完できるパートナーを「戦略的に」選定する。パートナー選定は計画の一部であり、事業戦略に合致するかどうかが判断基準となる。

これに対してクレイジーキルトの原則では、パートナーは事前の計画に基づいて選ばれるのではなく、事業のプロセスの中で自然に現れる。そして重要なのは、パートナーの参画が事業の方向性そのものを変化させるという点である(Sarasvathy, 2008, p. 75)。パートナーが持ち込むリソース、知識、ネットワークは新たな「手段」となり、それまで見えなかった可能性を開く。結果として、当初の構想とはまったく異なる事業が生まれることも珍しくない。

クレイジーキルトを実践する3つのステップ

  1. 「何を求めるか」ではなく「何を提供できるか」を発信する: 自分の持つスキル、知識、ネットワーク、アイデアを積極的に周囲に共有する。SNSでの発信、勉強会での登壇、ブログの執筆など、形式は問わない。重要なのは、自分が何者であり何を持っているかをオープンにすることである
  2. 手を挙げた人を受け入れる: 発信に対して関心を示した人々と対話を始める。その際、自分の計画に合うかどうかで選別するのではなく、相手が何をコミットメントしてくれるかに注目する。Sarasvathy(2008)は「コミットメントの交換(exchange of commitments)」がクレイジーキルトの核心であると述べている(p. 76)。この対話の進め方についてはエフェクチュアル・アスクの技法が参考になる
  3. パートナーの参画に応じて方向性を柔軟に調整する: 新たなパートナーが持ち込むリソースや視点を受け入れ、事業の方向性を進化させる。「計画通りに進めること」よりも「パートナーとの協働から生まれる新しい可能性」を優先する姿勢が重要である

この原則が特に有効な人

  • 一人で事業を考え続けており、仲間やパートナーの見つけ方が分からない人
  • 「完璧なチームを揃えてから始めよう」と考えて動けなくなっている人
  • 社内新規事業で他部署の巻き込み方に悩んでいるイントレプレナー
  • オープンイノベーションやエコシステム構築に取り組む企業のイノベーション担当者
  • 起業家コミュニティの運営や起業支援に携わっている人

今日、自分のアイデアを誰かに話してみよう

クレイジーキルトの原則を実践する最も簡単な第一歩は、自分が温めているアイデアを誰かに話すことである。完成度は問わない。「こんなことを考えている」と伝えるだけで十分である。その反応が、最初の一枚の布切れとなる。誰が興味を示し、どんな提案をしてくれるかは予測できない。しかし、その予測不可能性こそが、クレイジーキルトの原則が持つ創造的な力の源泉なのである。200回を超えるワークショップで観察された傾向として、クレイジーキルト実践の出発点は「完璧なピッチ」ではなく、「手中の鳥の棚卸し結果を気軽に共有する」という行動であることが多い。


引用・参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Dew, N., Read, S., Sarasvathy, S. D., & Wiltbank, R. (2011). On the entrepreneurial genesis of new markets: Effectual transformations versus causal search and selection. Journal of Evolutionary Economics, 21(2), 231–253.
  • サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.

関連用語

エフェクチュエーション 自己選択的ステークホルダー コミットメント