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ゲーム&ウオッチ——新幹線の「暇つぶし」から生まれた携帯ゲーム機の原点

任天堂の横井軍平が新幹線で電卓を暇つぶしに触るビジネスマンを見て携帯ゲーム機を着想。日常の偶然をレモネード原則で製品化した日本ゲーム産業の源流を分析する。

約11分
目次

導入——「枯れた技術の水平思考」が生んだ新市場

ニンテンドーDSやNintendo Switchに至る任天堂の携帯ゲーム機の系譜は、**1980年に発売された「ゲーム&ウオッチ」**にその原点がある。しかし、この製品の着想は研究所での開発会議からではなく、新幹線の車内での何気ない観察から生まれた。

任天堂の開発者横井軍平は、新幹線の中で退屈そうに電卓のボタンを押して遊んでいるビジネスマンを目にした。この偶然の観察が、「電卓の液晶とボタンをゲームに転用する」という着想につながり、やがて世界的なヒット商品と携帯ゲーム機という新しい製品カテゴリーの創造に至った。レモネード原則——予期せぬ事態を梃子として活用する——の典型的事例である。

企業・人物の概要——花札メーカーからの脱皮

横井軍平——「枯れた技術の水平思考」の提唱者

横井軍平(1941-1997)は、同志社大学工学部を卒業後、1965年に任天堂に入社した。当時の任天堂は京都の花札・トランプメーカーであり、電子技術とは無縁の企業であった。

横井は設備保守を担当する一社員であったが、**余暇に自作した伸縮式マジックハンド「ウルトラハンド」**が社長の山内溥の目に留まり、玩具として商品化された。100万個以上を売り上げたこの成功をきっかけに、横井は任天堂の開発第一部のリーダーとなった。

横井の開発哲学は**「枯れた技術の水平思考」**と呼ばれる。最先端技術を追求するのではなく、既に普及して安価になった技術を、まったく異なる用途に応用するという考え方である。この哲学はエフェクチュエーション理論の手段ドリブンの思考と深く共鳴する。

任天堂——伝統企業のイノベーション

1889年に花札製造業として創業した任天堂は、1970年代にはエレクトロニクス玩具の分野に進出していた。しかし、アーケードゲーム機のような大型設備ではなく、家庭で手軽に楽しめる製品を模索していた時期であった。

イノベーションの経緯——電車の中の観察から世界的ヒットへ

新幹線での偶然の観察(1979年頃)

横井軍平が新幹線に乗車していた際、隣の席のビジネスマンが退屈しのぎに電卓のボタンをカチカチと押して遊んでいる姿が目に入った。電卓は本来計算のための道具であるが、手持ち無沙汰な時間にボタンを押すこと自体が一種の「遊び」になっていたのである。

この光景を見た横井は、**「電卓の液晶画面とボタンを使って、小さなゲーム機を作れないか」**と着想した。電卓に使われている液晶技術は既に成熟し、コストも十分に低下していた。「枯れた技術」を「遊び」という新しい用途に転用する——横井の開発哲学が、偶然の観察と結びついた瞬間であった。

製品開発と「ゲーム+時計」の融合

横井は企画を任天堂の社長山内溥に提案し、開発が承認された。製品コンセプトは**「ポケットに入るサイズのゲーム機」**であった。

製品設計において横井が下した重要な判断は、ゲーム機に時計機能を搭載することであった。ゲームだけでは大人のビジネスマンが持ち歩く理由として弱い。しかし、時計として日常的に携帯できるものにゲーム機能がついていれば、**「暇な時間にゲームができる時計」として自然に受け入れられる。この発想から「ゲーム&ウオッチ」**という製品名が生まれた。

爆発的ヒット(1980-1991)

1980年4月に発売された最初のモデル「ボール」は、即座にヒット商品となった。シンプルなゲーム性と手軽な携帯性が評価され、日本だけでなく海外でも人気を博した。

シリーズは1991年まで継続され、全世界で累計4,340万台を販売した。ゲーム&ウオッチの成功は任天堂に莫大な利益をもたらし、後のファミリーコンピュータ(1983年)やゲームボーイ(1989年)の開発資金となった。

十字キーの発明

ゲーム&ウオッチシリーズの中で、横井は**「ドンキーコング」モデル(1982年)において十字キー(D-pad)を発明した**。上下左右の方向入力を一つのボタンで行うこのインターフェースは、後のファミリーコンピュータやゲームボーイにも採用され、ゲームコントローラーの世界標準となった。

エフェクチュエーション原則の分析——「レモネード」の日常観察

日常の偶然を製品に転換する

Sarasvathy(2001)は、レモネード原則において予期せぬ出来事を活用すべき機会として捉えることの重要性を論じている(Sarasvathy, 2001, p. 252)。横井の事例では、新幹線でのビジネスマンの暇つぶしという**極めて日常的な「偶然の観察」**が、製品開発の起点となった。

電卓をいじって遊ぶビジネスマンの姿は、他の多くの乗客も目にしていたはずである。しかし、そこに「製品のアイデア」を見出したのは横井だけであった。日常の中の偶然を意味ある機会として認識する力が、レモネード原則の実践における核心である。

「枯れた技術」と手段ドリブンの思考

Sarasvathy(2008)は、エフェクチュエーション的な起業家が既存の手段(means)から出発して新しい目的を生み出すと述べている(Sarasvathy, 2008, pp. 15-16)。横井の「枯れた技術の水平思考」は、この手段ドリブンの思考と完全に一致する。

電卓用の液晶技術は、1970年代後半には十分に成熟し、価格も低下していた。この「既存の手段」を、計算という「既存の目的」から、ゲームという**「新しい目的」に転用した**のである。最先端技術の開発ではなく、既存技術の創造的再利用が、ゲーム&ウオッチの革新性であった。

「退屈」というレモンの活用

Harmeling(2011)は、偶発性が起業家にとっての資源であると論じている(Harmeling, 2011, p. 293)。ゲーム&ウオッチの事例では、**「移動時間の退屈」**というネガティブな日常体験が、製品の価値提案の根幹となった。

ビジネスマンが新幹線で退屈していたこと自体は「レモン」であった。横井はこの「退屈」を解消する製品を作ることで、退屈というレモンをエンターテインメントというレモネードに転換した。さらに、時計機能の搭載は、「ゲーム機を持ち歩くのは恥ずかしい」という社会的障壁(もう一つのレモン)を、「時計を持ち歩いている」という建前で解消するものであった。

産業の創造

Sarasvathy(2008)が述べる「市場の創造」の観点から、ゲーム&ウオッチは**「携帯ゲーム機」という製品カテゴリー自体を創造した**(Sarasvathy, 2008, pp. 55-60)。1980年以前、ゲームは家庭のテレビに接続するか、ゲームセンターに行くかのどちらかであった。**「ポケットに入れて持ち歩けるゲーム」**という概念は、ゲーム&ウオッチが初めて提示したものである。

実務への示唆——日常の「不満」をイノベーションの種に

ゲーム&ウオッチの事例から、実務家は以下の示唆を得ることができる。

第一に、日常生活の中での人々の「暇つぶし行動」や「不満解消行動」を注意深く観察することである。横井が新幹線で電卓をいじるビジネスマンを観察したように、人々が無意識に行っている行動の中に、製品やサービスの着想が潜んでいる。市場調査では捉えきれない潜在ニーズを、日常の観察から発見する姿勢が重要である。

第二に、最先端技術ではなく「枯れた技術」の新しい応用を検討することである。成熟した技術は安価で安定しており、新しい用途に転用した場合のリスクが低い。技術の最前線を追うだけでなく、既に普及した技術の「別の使い方」を探索することが、コスト効率の高いイノベーションにつながる。

第三に、製品の本質的価値と社会的受容性の両方を設計することである。横井がゲーム機に時計機能を搭載したのは、「大人がゲーム機を持ち歩く」ことの社会的障壁を意識した設計判断であった。技術的に優れた製品であっても、社会的に受け入れられなければ普及しない。使用場面における社会的文脈を考慮した製品設計が不可欠である。

「レモネードの原則」での原則解説と「エフェクチュエーション事例集」も参照されたい。


引用・参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243-263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Harmeling, S. (2011). Contingency as an entrepreneurial resource. Journal of Business Venturing, 26(3), 293-305.
  • 横井軍平・牧野武文 (1997). 『横井軍平ゲーム館——RETURNS』フィルムアート社.
  • Gorges, F. (2010). The History of Nintendo, Vol. 1. Pix’N Love Publishing.

参考書籍

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