目次
ブリコラージュ概念の原点——『野生の思考』が問いかけたもの
現代の起業家研究において「手持ちの資源から始める」という行動原理を語るとき、しばしば参照されるのが**ブリコラージュ(bricolage)**の概念である。この概念は、フランスの構造主義人類学者 Claude Lévi-Strauss が1962年に刊行した『野生の思考(La pensée sauvage)』において初めて学術的に定式化された(Lévi-Strauss, 1962)。
Lévi-Strauss の問題関心は、西洋近代科学が前提とする合理主義的思考だけが知的営為の唯一の形態なのかという根源的な問いにあった。先住民社会に見られる神話的思考は、近代科学とは異なる論理体系を持ちながらも、それ自体が高度に体系的な知の様式である。この主張を展開するために導入されたのが、「ブリコルール(bricoleur:器用人)」と「エンジニア(engineer:技師)」という二つの認識論的メタファーであった(Lévi-Strauss, 1962, pp. 16–22)。
本稿では、この原典における概念構造を精密に読み解いたうえで、Derrida による脱構築的批判、Jacob による進化論への転用、Ingold による創発性の観点からの再批判、そして Deleuze & Guattari による精神分析的応用を辿り、ブリコラージュ概念が学問領域を横断してどのように展開されてきたかを明らかにする。
ブリコルールとエンジニア——二つの思考様式
エンジニアの演繹的世界
Lévi-Strauss が描くエンジニアは、「科学的思考(scientific mind)」を体現する存在である。エンジニアの作業プロセスは、プロジェクトの全体像を事前に構想するところから始まる。目標を明確に設定し、その達成に必要な理論的計画を描き、要件に完全に合致する専門の道具と材料を外部から調達・創造する。すなわち、目標から手段へと演繹的に進む(Lévi-Strauss, 1962)。
このプロセスにおいて、各要素は特定の目的のために純粋に機能することが求められる。材料は均質であり、互換可能であり、設計図に従って配置される。エンジニアは「全体論的かつ総体化されたシステム(totalizing system)」を構築する存在なのである。
ブリコルールの実践的知性
対照的に、ブリコルールは「野生の思考(savage mind)」を体現する。ブリコルールが出発点とするのは、あらかじめ手元に存在する限られた不揃いな材料の集合——本来は別の用途のために蓄積され、それぞれが固有の歴史と構造的制約を帯びた「断片」の寄せ集めである(Lévi-Strauss, 1962)。
ブリコルールは、これらの断片を新たな方法で組み合わせ、目前の課題を解決する。重要なのは、ブリコルールが用いる材料がエンジニアの均質な素材とは根本的に異なる点である。それらは過去の経験や偶然によって蓄積された記号的・物理的断片であり、もともとの設計意図とは異なる文脈で再利用される。Lévi-Strauss は、各要素の配置を変えるという選択が、漠然と想像されたものとは全く異なる構造全体の完全な再編成をもたらすことを指摘した(Lévi-Strauss, 1962, p. 18)。
二項対立の認識論的意義
この対比は単なる技術論ではない。Lévi-Strauss が描いたのは、二つの根本的に異なる認識論的態度である。エンジニアは世界を理論的モデルに還元し、そのモデルに基づいて世界を再構成する。ブリコルールは世界の断片と直接対話し、その断片が持つ潜在的可能性を引き出しながら、事後的に秩序を編み上げる。
後に経営学においてエフェクチュエーションの「手中の鳥の原則(Bird-in-Hand)」とコーゼーション(因果論)の対比が議論される際、その思想的原型がこのブリコルール対エンジニアの構図にあることは明らかである。Sarasvathy(2001)自身もこの系譜を意識しており、エフェクチュアルな起業家が「手持ちの手段から始める」という行動様式は、Lévi-Strauss のブリコルールの知的遺産を引き継いでいる。
脱構築と進化——概念の批判的展開
Derrida:純粋なエンジニアという神話
哲学者 Jacques Derrida は、Lévi-Strauss が設定したエンジニアとブリコルールの対比そのものを脱構築の対象とした。Derrida の議論の核心は次の点にある——何人たりとも自身の言説の絶対的な起源となることはできず、言語や構文の全体性を無から構築することは不可能である(Derrida, 1967)。
この論理に従えば、**純粋なエンジニアという存在自体が、ブリコルールによって創り出された「神話」**にすぎない。すべての有限な言説や知的営為は、多かれ少なかれ歴史的遺産からの借用に基づくブリコラージュに縛られている。Derrida はこの批判を通じて、エンジニアとブリコルールの絶対的差異を揺るがし、両者の境界が本質的に流動的であることを示した(Derrida, 1967)。
この脱構築的洞察は、起業家研究にも重要な示唆を与える。完全に計画的・演繹的な起業プロセス(コーゼーション)と、完全に即興的・手段駆動的なプロセス(エフェクチュエーション)の間の境界もまた、実践のなかでは常に流動的であるという認識の基盤を提供しているからである。
Jacob:進化のブリコラージュ
生物学者 François Jacob は、Lévi-Strauss のブリコラージュ概念を生物の進化プロセスに適用した。Jacob によれば、**進化とはゼロからの完全な設計ではなく、古いものを絶えず再利用して新しいものを生み出す「ブリコラージュのプロセス」**である(Jacob, 1977)。
自然選択は、既存の構造や機能を全く新しい文脈で転用する。魚の浮袋が肺へと変化し、顎の骨が中耳の骨へと転用される。Jacob の議論は、ブリコラージュが人間の意識的な営みだけでなく、自然界の創造プロセスそのものを貫く普遍的原理であることを示唆した。
この視点は、起業プロセスの理解にも通じる。Baker & Nelson(2005)が後に実証したように、起業家が「本来の用途」を無視して資源を転用する行為は、Jacob が描いた進化的ブリコラージュと構造的に相同である。
Ingold:創発と変容への批判
人類学者 Tim Ingold は2007年の著書において、Lévi-Strauss のブリコラージュ概念に対して異なる角度から批判を加えた。Ingold の論点は、Lévi-Strauss のモデルが「安定した既存要素の単なる再配列」として創造性を捉えている点にある(Ingold, 2007)。
Ingold によれば、実際の生活における創造性は、要素の継続的な創発と変容を伴う。ブリコルールが用いる「断片」は、再配置の過程でそれ自体が質的に変化する。したがって、創造のプロセスは既存要素の組み合わせ論に還元できるものではなく、素材と行為者の間の動的な相互作用のなかで新たな性質が生成される過程として理解されるべきである。
この批判は、Baker & Nelson(2005)が「なだめすかし(coaxing)」と呼んだ行動——素材から本来の物理的限界を超える性能を引き出す実践——を理論的に裏付けるものといえる。ブリコラージュとは単なる「再配置」ではなく、素材との対話を通じた変容的創造なのである。
Deleuze & Guattari:欲望機械としてのブリコラージュ
Gilles Deleuze と Félix Guattari は『アンチ・オイディプス(Anti-Oedipus, 1972)』において、ブリコラージュ概念をさらに急進的な方向へ展開した。統合失調症的プロデューサーの生産様式の特徴としてブリコラージュを見出した Deleuze & Guattari にとって、ブリコラージュは既存のコードや体系を脱領土化し、異質な要素を接続する欲望機械の作動様式そのものであった(Deleuze & Guattari, 1972)。
この読み替えにおいて、ブリコラージュはもはや「限られた手段での工夫」という消極的な概念ではなく、既存の秩序を積極的に解体し再接続する生産的な力として位置づけられる。この視点は、起業家が既存の制度や市場の境界を意図的に無視し、新たな接続を創出する行為の哲学的基盤を提供している。
心理的ブリコラージュ——認知科学への架橋
ブリコラージュ概念の展開は人文学の領域にとどまらない。心理学の分野では、個人の内発的なプロセスとして、以前は無関係であった知識を検索し再結合する認知的メカニズムを指す**「心理的ブリコラージュ(psychological bricolage)」**という概念が構築されている。
Karl E. Weick らによる組織論におけるブリコラージュ研究は、この心理学的基盤の上に構築された。Weick の「センスメイキング(sensemaking)」理論において、組織の構成員が予期せぬ事態に直面した際に手持ちの認知的フレームワークを再結合して状況を理解しようとするプロセスは、まさに心理的ブリコラージュの組織的発現である(Weick, 1993)。
Denzin と Lincoln による質的研究の歴史的レビューにおいても、ブリコラージュのメタファーは、民族誌、言説分析、フェミニズム、マルクス主義など、社会科学と人文学の境界を曖昧にし、多様なパラダイムを統合・再結合するアプローチとして広く定着したことが確認されている(Denzin & Lincoln, 2005)。
起業家行動理論への遺産
Lévi-Strauss が1962年に提示したブリコルールとエンジニアの対比は、半世紀以上を経て、起業家研究における中核的な理論装置の一つとなっている。Derrida の脱構築はコーゼーションとエフェクチュエーションの二項対立を相対化する視座を提供し、Jacob の進化論的応用は資源の転用が自然界にも普遍的に見られる創造原理であることを示した。Ingold の創発性への注目はブリコラージュを変容的プロセスとして理解する道を開き、Deleuze & Guattari はブリコラージュの持つ秩序解体と再接続の生産的力を浮き彫りにした。
これらの知的遺産は、エフェクチュエーション理論が前提とする「手持ちの手段から始める」という行動原理の背後に、はるかに豊かな認識論的伝統が存在することを示している。起業家行動を理解するためには、行動の表層だけでなく、ブリコルールの「野生の思考」がいかにして不確実性のなかで秩序を編み上げるのかという思考様式の深層に立ち返ることが不可欠である。
関連記事として「エフェクチュエーション vs ブリコラージュ」、「Baker & Nelsonのブリコラージュ研究」も参照されたい。
参考文献
- Lévi-Strauss, C. (1962). La pensée sauvage. Plon. (English translation: The Savage Mind. University of Chicago Press, 1966)
- Derrida, J. (1967). L’écriture et la différence. Seuil. (English translation: Writing and Difference. University of Chicago Press, 1978)
- Jacob, F. (1977). Evolution and tinkering. Science, 196(4295), 1161–1166.
- Ingold, T. (2007). Lines: A Brief History. Routledge.
- Deleuze, G., & Guattari, F. (1972). L’Anti-Œdipe: Capitalisme et schizophrénie. Minuit. (English translation: Anti-Oedipus. Viking Press, 1977)
- Weick, K. E. (1993). The collapse of sensemaking in organizations: The Mann Gulch disaster. Administrative Science Quarterly, 38(4), 628–652.
- Denzin, N. K., & Lincoln, Y. S. (2005). The SAGE Handbook of Qualitative Research (3rd ed.). Sage Publications.
- Baker, T., & Nelson, R. E. (2005). Creating something from nothing: Resource construction through entrepreneurial bricolage. Administrative Science Quarterly, 50(3), 329–366.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.