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大企業でエフェクチュエーションを活用する——社内新規事業への適用

エフェクチュエーションは大企業の社内新規事業にどう活かせるのか。計画重視の組織文化との共存、社内リソースの再定義、段階的な組織導入の方法を論じる。

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目次

大企業の新規事業は、なぜ「計画の完成」で止まってしまうのか

大企業において新規事業を担当した経験のある人なら、次のような光景に覚えがあるだろう。数か月かけて精緻な事業計画書を作成し、役員プレゼンに臨む。しかし「市場規模の根拠が弱い」「収益化の確度が見えない」と差し戻される。計画書を修正し、追加の市場調査を行い、再びプレゼンする。また差し戻される。このサイクルを繰り返すうちに1年が過ぎ、担当者は疲弊し、事業は一歩も前に進まない。問題の根源は、大企業が本質的にコーゼーション(因果論的)なロジックで運営されていることにある(Sarasvathy, 2008, p. 73)。コーゼーションとエフェクチュエーションの概念的違いは「エフェクチュエーションとコーゼーションの違い」で詳しく論じている。既存事業の管理・最適化には「目標を設定し、計画を立て、実行する」というアプローチが有効であり、組織の制度・文化・評価体系がすべてこのロジックに最適化されている。しかし、不確実性の高い新規事業に同じロジックを適用すると、「まだ存在しない市場の規模を予測せよ」という無理な要求が生じるのである。

社内起業家(イントラプレナー)が抱える孤独

この構造的な問題は、新規事業担当者個人の力量とは無関係に生じる。優秀な人材であっても、組織のロジックと新規事業のロジックの矛盾に挟まれて身動きが取れなくなる。Brettel et al.(2012)は、大企業における新規事業開発のプロセスを実証的に分析し、不確実性の高い環境ではエフェクチュエーション的アプローチが事業の成果に正の相関を示すことを明らかにした(Brettel et al., 2012, p. 172)。この研究は、エフェクチュエーションが個人の起業家だけでなく、企業内のイノベーション活動にも適用可能であるという理論的・実証的根拠を提供している。社内起業家が感じる「計画では動かせない」という直感は、学術的にも裏付けられているのである。

企業リソースを「手段」として再定義する

エフェクチュエーションを大企業に適用する際の最初のステップは、組織が持つリソースをエフェクチュエーションの「手段」として再定義することである。Sarasvathy(2008)が提示した3つの手段カテゴリ——Who I am / What I know / Whom I know——を、個人レベルから組織レベルに拡張する(Sarasvathy, 2008, pp. 15-16)。

Who we are(組織のアイデンティティ): 企業ブランド、企業文化、ミッション・ビジョン、そして組織が社会から持つ信頼が含まれる。大企業のブランド力は、スタートアップが持ち得ない強力な手段である。「あの会社がやるなら試してみよう」という顧客の信頼は、新規事業の最初のハードルを大きく下げる。

What we know(組織の知識資産): 技術特許、業界知識、顧客データ、サプライチェーンのノウハウ、品質管理能力など、長年の事業運営を通じて蓄積された知識資産である。これらは個人の起業家には到底持ち得ないスケールの手段であり、適切に活用すれば新規事業に圧倒的な優位性を与える。

Whom we know(組織のネットワーク): 既存顧客、取引先、提携パートナー、業界団体、行政機関との関係がこれに該当する。大企業の新規事業担当者は、個人としてのネットワークに加えて、組織が持つ膨大なネットワークにアクセスできる立場にある。

大企業における「許容可能な損失」の再設計

エフェクチュエーションの許容可能な損失(Affordable Loss)の原則は、大企業においてはより複雑な様相を呈する。個人起業家にとっての許容可能な損失は「貯金からいくらまで出せるか」という比較的シンプルな問いであるが、大企業の場合、損失は金銭的な次元だけにとどまらない

予算としての許容損失: 正式な予算承認を得る前でも、既存の裁量予算や研修費の範囲内で実験できることは多い。100万円の予算がなくても、10万円の裁量予算でプロトタイプの検証は可能である。Chandler et al.(2011)の実証研究は、起業プロセスの初期段階では許容可能な損失に基づく意思決定が支配的であることを示しており、これは企業内新規事業にも当てはまる(Chandler et al., 2011, p. 382)。

キャリアリスクとしての許容損失: 大企業の新規事業担当者にとって、最大のリスクは金銭ではなくキャリアへの影響である。新規事業が失敗した場合の人事評価への影響、元の部署への復帰可能性、社内での評判——これらを事前に把握し、許容範囲を明確にすることが重要である。理想的には、組織として「新規事業の失敗はキャリアに不利にならない」という制度的保証を設けることが、エフェクチュエーション的行動を促進する土壌となる。

時間としての許容損失: 本業との兼務で新規事業に取り組む場合、「週に何時間まで新規事業に使えるか」が許容可能な損失の一つの指標になる。最初は週5時間から始め、手応えが得られたら週10時間、20時間と段階的に増やすアプローチが現実的である。

社内クレイジーキルトの構築——部門横断パートナーの発見

クレイジーキルトの原則(Sarasvathy, 2008, pp. 67-82)を大企業に適用すると、「社内クレイジーキルト」の構築という戦略になる。新規事業の成否は、社内でどれだけの協力者を集められるかに大きく依存する

社内クレイジーキルトの構築は、以下のステップで進める。まず、自分の構想を社内の異なる部門の人間に話す。営業部門、技術部門、カスタマーサポート、経理、法務——それぞれの立場から異なる視点が返ってくる。次に、興味を示した人物に対して「何か一緒にできないか」を打診する。技術部門のエンジニアが「面白いからプロトタイプ作りを手伝ってもいい」と言ってくれれば、それが最初のコミットメントである。法務部門の担当者が「規制面は調べておくよ」と申し出てくれれば、それも重要なコミットメントである。こうして集まった社内パートナーの専門性と人脈が、新規事業に新たな手段をもたらす。

重要なのは、正式な組織図上の権限ではなく、個人間の信頼とコミットメントに基づくインフォーマルなネットワークを構築することである。Brettel et al.(2012)は、企業内でエフェクチュエーション的アプローチが機能する条件として、部門を越えた柔軟な連携の存在を挙げている(Brettel et al., 2012, p. 175)。

エフェクチュエーション・フレンドリーな組織構造

エフェクチュエーションを組織的に活用するためには、個人の努力だけでなく、組織構造・制度の面からも支援が必要である。以下の4つの施策が、エフェクチュエーション・フレンドリーな組織を作る基盤となる。

少額の実験予算制度: 正式な事業計画承認を経ずに、一定額(たとえば50万円)までの実験が申請できる制度を設ける。承認プロセスは簡素化し、結果報告のみを義務づける。

時間的余白の確保: Google の「20%ルール」に代表されるように、業務時間の一部を新規事業の探索に充てる制度は、手中の鳥の原則を組織的に実践するための仕組みである。

失敗の制度的保証: 新規事業の挑戦が人事評価にマイナスの影響を与えないことを明文化する。これは許容可能な損失の範囲を広げることにほかならない。

部門横断の場の設計: 異なる部門のメンバーが自由に交流できる場(社内ハッカソン、イノベーションラボ、ランチ勉強会など)を定期的に設けることで、クレイジーキルトの形成を促進する。

コーゼーションとエフェクチュエーションの共存——両利きの経営との接点

大企業が直面する最も難しい課題は、既存事業の効率的な運営(コーゼーション)と新規事業の探索(エフェクチュエーション)を同時に行うことである。O’Reilly & Tushman(2016)が提唱した「両利きの経営(ambidexterity)」は、「深化(exploitation)」と「探索(exploration)」を組織的に両立させる枠組みであるが、エフェクチュエーション理論はこの「探索」パートに具体的な行動原則を与えるものとして位置づけられる。

既存事業はコーゼーション的に運営する。市場は既知であり、顧客ニーズは明確であり、競合も把握できている。ここでは精緻な計画と効率的な実行が成功の条件である。一方、新規事業の初期段階にはエフェクチュエーション的アプローチを適用する。市場が未知で、顧客ニーズが不明確な段階では、手元の手段から出発し、小さな実験を繰り返し、パートナーを集めながら事業の形を探る。Chandler et al.(2011)は、事業が成長し安定するにつれて意思決定のロジックがエフェクチュエーションからコーゼーションへと移行する傾向があることを実証的に示しており、この移行の管理こそが企業内新規事業の経営課題であるといえる(Chandler et al., 2011, p. 383)。

大企業でエフェクチュエーションが特に有効な場面

  • 新規市場の探索段階: 既存事業の延長線上にない、まったく新しい市場を探る場合。予測データが存在しないため、計画立案型のアプローチが機能しない
  • 技術シーズの事業化: R&D 部門が保有する技術の用途を探索する場合。技術という「What we know」を起点にエフェクチュエーション・サイクルを回すアプローチが有効である
  • 社内ベンチャー制度の立ち上げ: 従業員の自発的な事業提案を促す際、計画書の精度ではなく「手元の手段と許容可能な損失」を評価基準とすることで、提案のハードルを下げられる
  • M&A 後の新規事業開発: 統合後の組織が持つ新たな手段(統合された技術、顧客基盤、人材)を棚卸しし、そこから新事業を構想する場面

組織にエフェクチュエーションを導入する第一歩

大企業にエフェクチュエーションを導入するために、明日からできることがある。まず、新規事業チームのメンバー全員で**「組織の手段の棚卸し」**を行うことである。個人レベルの実践方法については「エフェクチュエーションを実務で活かす」を参照されたい。自社が持つ顧客基盤、技術資産、ブランド、人材、パートナー関係を付箋に書き出し、壁に貼る。次に、「これらの手段を組み合わせて、今月中に始められる小さな実験」を3つ構想する。そして、社内の他部門から1人以上のパートナーを見つけてコミットメントを得る。この一連の行動が、大企業におけるエフェクチュエーション・サイクルの最初の一回転となるのである。完璧な事業計画の承認を待つのではなく、手元の手段で今日できることから始める——それが、計画の壁を突破する最も確実な方法である。


引用・参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Brettel, M., Mauer, R., Engelen, A., & Küpper, D. (2012). Corporate effectuation: Entrepreneurial action and its links to advances in decision-making under uncertainty. Journal of Business Venturing, 27(2), 167–184.
  • Chandler, G. N., DeTienne, D. R., McKelvie, A., & Mumford, T. V. (2011). Causation and effectuation processes: A validation study. Journal of Business Venturing, 26(3), 375–390.
  • Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
  • O’Reilly, C. A., & Tushman, M. L. (2016). Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma. Stanford Business Books.
  • サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.

参考書籍

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