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「正しい戦略」を立てたはずなのに、なぜうまくいかないのか
ビジネススクールで学んだフレームワークを駆使し、綿密な市場調査を行い、精緻な事業計画書を作成した。にもかかわらず、新規事業が思うように進まない——こうした経験を持つビジネスパーソンは少なくない。問題は計画の質ではなく、計画というアプローチそのものにある可能性がある。従来の経営学が前提とする「まず目標を定め、最適な手段を選択する」というロジックは、市場が安定し予測可能な環境では有効である。しかし、不確実性が極めて高い状況では、そもそも前提となる「予測」自体が困難である。予測が当たらない環境で、予測に基づく計画を立てることに、どれほどの意味があるのだろうか(Sarasvathy, 2001, p. 243)。
同じ壁にぶつかった起業家たちの発見
この疑問は、経営学者 Saras D. Sarasvathy を長年悩ませてきた問いでもあった。Sarasvathy はカーネギーメロン大学で人工知能の父と呼ばれる Herbert Simon のもとで学び、人間の意思決定プロセスに強い関心を持っていた。彼女は博士課程の研究で、熟達した起業家27名を実験室に招き、架空の事業課題に取り組んでもらった。起業家たちは、MBA が教える「あるべき姿」とはまったく異なるアプローチで問題を解いていた。彼らは市場規模の推定から始めなかった。競合分析もしなかった。代わりに、**「自分は何を持っているか」「失っても許容できる範囲はどこか」「誰と一緒にやれるか」**を考えていたのである。この発見が、エフェクチュエーション理論の出発点となった(Sarasvathy, 2008, pp. 3–12)。
2つのロジックの構造的比較
Sarasvathy は、起業家の意思決定には2つのロジックが存在することを明らかにした。**因果論的ロジック(Causation)とエフェクチュエーション的ロジック(Effectuation)**である(Sarasvathy, 2001, p. 245)。以下、6つの観点から両者を比較する。
1. 出発点:目標か手段か
コーゼーションは、あらかじめ明確な目標を設定し、その達成に必要な手段を調達するアプローチである。たとえば「3年以内にシェア15%を獲得する」という目標を掲げ、そのために必要なマーケティング予算、人員、技術を逆算して揃えていく(Sarasvathy, 2008, p. 25)。
エフェクチュエーションは逆である。手元にある3つの手段——「自分は何者か(Who I am)」「何を知っているか(What I know)」「誰を知っているか(Whom I know)」——から出発し、それらの手段で達成可能な複数の目標を想像する(Sarasvathy, 2001, p. 245)。この原則を「手中の鳥の原則」として単独で詳説している。
2. リスクへの対処:期待リターンか許容可能な損失か
コーゼーションは、複数の選択肢の中から期待リターンが最大となるものを選ぶ。NPV(正味現在価値)やROI(投資利益率)による意思決定がこれに該当する。
エフェクチュエーションは、「いくらまでなら失っても大丈夫か」という許容可能な損失(Affordable Loss)を基準にする。最大リターンではなく、最悪のケースを想定して行動する(Sarasvathy, 2008, pp. 35–50)。詳しくは「許容可能な損失の原則」を参照されたい。
3. 他者との関係:競争分析かパートナーシップか
コーゼーションは、市場の競争環境を分析し、競合に対する差別化戦略を立てる。Porter の Five Forces 分析が典型例である。
エフェクチュエーションは、競争相手の分析よりも、早い段階でコミットメントしてくれるパートナーを見つけることを重視する。Sarasvathy はこれを「クレイジーキルトの原則」と名付けた。パッチワークのように、協力者が持ち寄る布(リソース)によってキルト(事業)のデザインが決まっていく(Sarasvathy, 2008, pp. 67–82)。
4. 偶然への態度:回避か活用か
コーゼーションは、予期せぬ出来事をリスクとして回避しようとする。計画通りに進めることが成功の条件である。
エフェクチュエーションは、予期せぬ出来事を機会として活用する。「レモネードの原則」——人生がレモンをくれたら、レモネードを作ればいい——という発想である(Sarasvathy, 2008, pp. 51–66)。
5. 未来への姿勢:予測かコントロールか
コーゼーションは「未来を予測できる限り、コントロールできる」と考える。過去のデータやトレンド分析に基づいて将来を予測し、それに適応する戦略を立てる。
エフェクチュエーションは「コントロールできる限り、予測する必要はない」と考える。起業家は受動的に未来に適応するのではなく、能動的に未来を創造する主体である(Sarasvathy, 2001, p. 252)。
6. 比較表
| 観点 | コーゼーション | エフェクチュエーション |
|---|---|---|
| 出発点 | 目標(Goal-driven) | 手段(Means-driven) |
| リスク基準 | 期待リターン最大化 | 許容可能な損失 |
| 他者との関係 | 競争分析 | パートナーシップ |
| 偶然への態度 | リスクとして回避 | 機会として活用 |
| 未来への姿勢 | 予測して適応 | コントロールして創造 |
今日から使える「状況判断フレームワーク」
では、実務でどちらのアプローチを選べばよいのか。以下の3つのステップで判断できる。
- 不確実性のレベルを診断する: 対象市場は既存か新規か。顧客ニーズは明確か不明か。技術は確立されているか未知か。不確実性が高いほどエフェクチュエーションが有効である
- 手持ちの手段を棚卸しする: 自分・チーム・組織が持つリソース(人的ネットワーク、専門知識、既存アセット)を洗い出す。手段が豊富ならエフェクチュエーション的に動きやすい
- 損失許容ラインを設定する: 時間・資金・評判のそれぞれについて「ここまでなら失っても許容できる」ラインを明確にし、そのライン内で最初の一歩を踏み出す
どちらが優れているのか——補完的関係の理解
Sarasvathy は、どちらのアプローチが絶対的に優れているとは主張していない。両者は補完的な関係にある(Sarasvathy, 2008, p. 73)。不確実性が高い状況ではエフェクチュエーションが有効であり、比較的安定した環境——既存市場でのシェア拡大、業務効率化、リピート商品の展開——ではコーゼーションが適切である。
実践の現場では、この使い分けは理論よりもはるかに直感的に起こる。新規事業の初期段階で「まず計画を立てよう」という組織の圧力と「まず誰かに話してみよう」という起業家の本能の間に生じる緊張感は、コーゼーションとエフェクチュエーションのせめぎ合いそのものである。
Chandler et al.(2011)の実証研究は、この補完的関係を定量的に確認している。起業家は状況に応じて両方のロジックを使い分けており、新規事業の初期段階ではエフェクチュエーションが支配的で、事業が成長し安定するにつれてコーゼーション的なアプローチの比重が増す傾向がある(Chandler et al., 2011, p. 383)。
こんな人に特に読んでほしい
- MBA ホルダーで新規事業に携わっている人: 学んだフレームワークが機能しない場面で、もう一つの選択肢を持てるようになる
- スタートアップの初期メンバー: ピボットを繰り返す中で、手段ドリブンの思考法が判断の指針になる
- 研究開発部門から事業化を目指す技術者: 技術(What I know)を起点にしたエフェクチュエーション的アプローチとの親和性が高い
- 経営企画部門で戦略立案を担当している人: コーゼーションとエフェクチュエーションの使い分けを組織に導入する際の理論的根拠を得られる
次のステップ:今週中に「小さな実験」を一つ始めよう
2つのロジックの違いを頭で理解するだけでなく、実際に体験することが重要である。今週中に、事業計画書を書かずに**「手持ちの手段で始められる小さな実験」を一つ実行**してみることを勧める。その実験の結果——成功であれ失敗であれ——が、次のアクションのための新しい手段となる。それがエフェクチュエーションのサイクルである。
引用・参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Chandler, G. N., DeTienne, D. R., McKelvie, A., & Mumford, T. V. (2011). Causation and effectuation processes: A validation study. Journal of Business Venturing, 26(3), 375–390.
- サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.