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「使命があれば計画は立てやすい」という幻想
非営利組織の経営に携わる人々が共通して経験する逆説がある。「明確な使命がある」という確信が、かえって意思決定を難しくする。使命が明確だからこそ「使命の実現に最も効率的な手段」を選ぼうとするのだが、資源は常に不足し、寄付者・受益者・行政・地域社会という多様なステークホルダーの期待は時に矛盾し、社会課題の構造は変化し続ける。
非営利組織が直面しているのは、Knight(1921)が定義した「真の不確実性」の領域だ。将来の社会的インパクトを計算することも、寄付者の意向変化を予測することも、原理的に困難である。
Sarasvathy(2008)のエフェクチュエーション理論は、この種の不確実性を「予測によって克服すべき問題」ではなく「行動のプロセスの中で形成する要素」として捉える(pp. 15–30)。この観点は、非営利組織の実践的運営に対して、従来の「戦略計画→実行→評価」モデルとは異なる視座を提供する。
非営利組織とエフェクチュエーションの親和性
Bacq & Janssen(2011)は、社会起業家(Social Entrepreneur)の意思決定パターンを分析し、営利の起業家との共通点として「エフェクチュエーション的な思考様式」を挙げている(Bacq & Janssen, 2011, pp. 748–750)。社会課題の解決というミッションを持ちながら資源を調達し、ステークホルダーとの関係を構築し、予期せぬ出来事に柔軟に対応するというプロセスは、エフェクチュエーションの実践そのものと重なる。
特に以下の3点において、非営利組織はエフェクチュエーション的アプローチと高い親和性を持つ。
第一に、資源制約が「手中の鳥」思考を強制する: 資源が限られているからこそ、「理想の計画を実行するためのリソースを調達する」という発想より「今あるリソースで何ができるか」という問いが自然に生まれる。この問いは、手中の鳥の原則の本質と一致する。
第二に、使命優先の姿勢が「許容可能な損失」を自然に定義する: 営利企業では利益最大化が目的であるため、許容可能な損失の設定には組織的な判断が必要となる。しかし非営利組織では、「使命を損なわない範囲で」という条件が自然な損失上限を設定する。「使命の実現に悪影響を与えるかどうか」が、意思決定の基準となる。
第三に、多様なステークホルダーとの協働が「クレイジーキルト」的実践を促す: 寄付者・行政・企業パートナー・受益者・ボランティアという多様な関係者と連携する非営利組織は、実質的にクレイジーキルト的なネットワーク構築を日常的に行っている。
手中の鳥原則:非営利組織の「三つの財産」
非営利組織が持つ「手中の鳥」を、Sarasvathy(2008)の3軸で整理すると以下のようになる(pp. 20–25)。
Who I am(組織のアイデンティティと使命): 非営利組織の最大の資産の一つが、社会的信頼と使命への献身である。営利企業がなかなか踏み込めない社会課題の領域に、使命を持って長期的に関与してきた組織の存在感は、模倣が困難な競争優位となる。
What I know(課題領域の深い理解): 特定の社会課題に長年取り組んできた非営利組織は、問題の構造・受益者の実情・解決策の限界について、行政や企業が持ち得ない深いドメイン知識を蓄積している。この知識は、新しいプログラムや事業を設計する際の最も信頼できる基盤となる。
Whom I know(コミュニティネットワーク): 受益者コミュニティとの信頼関係、行政との連携実績、同分野の他団体とのネットワーク、企業パートナーとの関係——これらは非営利組織が長年かけて構築してきた「誰を知っているか」の資産である。
許容可能な損失:ミッションドリブンの意思決定基準
非営利組織での許容可能な損失の設定は、営利企業と異なる論理で行われる。Dew et al.(2009)が論じた3軸(金銭・時間・評判)に加え、非営利固有の軸として**「ミッション整合性」**がある(pp. 108–112)。
金銭的損失の上限(非営利版): 「このプログラムが完全に失敗した場合、組織の財務健全性と他の重要プログラムへの影響はどの程度か」。非営利では、新規プログラムの失敗が組織全体を危機に陥れないことが条件となる。
評判リスクの上限: 非営利組織にとって評判は特に重要な資産である。寄付者からの信頼、行政との関係、地域コミュニティからの承認——これらは一度失うと回復に長時間を要する。「この施策が失敗した場合、主要寄付者・行政との関係に深刻なダメージがあるか」という問いが、評判リスク評価の核心となる。
ミッション整合性の上限(非営利固有): 「この施策は、たとえ金銭的に成功しても、組織のミッションから逸れるリスクがあるか」。財政難の非営利組織が、ミッションとは直接関係のない収益事業に傾倒することで、使命感を持ったスタッフが離れ、寄付者からの信頼を失うという事例は少なくない。ミッション整合性を許容可能な損失の軸として明示することが、この罠を避けるための実践的な方法である。
クレイジーキルト原則:非営利における多セクター連携
クレイジーキルトの原則(Crazy Quilt)は、非営利組織が価値を創造する上で最も重要な原則の一つである。Sarasvathy(2008)が示したように、クレイジーキルト的なパートナーシップ形成の特徴は、「誰を選ぶか」ではなく「誰がコミットするか」を起点とする点にある(pp. 70–85)。
非営利組織の多セクター連携を、この観点から再解釈すると以下のことが見えてくる。
企業との連携: 企業が非営利との連携にコミットする動機は多様である。CSR、従業員エンゲージメント、ブランド価値向上、規制対応——動機がいかに異なっても、コミットメントの形成自体がパートナーシップの価値を生み出す。エフェクチュエーション的アプローチは、「なぜ連携するか」の動機を問うより「どんなコミットメントが可能か」を探ることを優先する。
行政との連携: 行政は政策目標に沿った形でのコミットメントを行う。非営利組織がエフェクチュエーション的アプローチを取る場合、「この行政機関が政策目標として持っているもの(コミットメントの素地)」から始め、そこに自組織のミッションとの重なりを見つけることで連携の入口を作る。
他の非営利との協働: 同分野の他団体との協働はしばしば難しいが、「自分たちが持っていないもの(Whom I know の差分)」を持つ他団体とのコミットメント形成は、相補的なネットワークを生み出す。クレイジーキルト的に考えると、競合他団体も「自発的にコミットしてくれる可能性のあるステークホルダー」として位置づけられる。
レモネード原則:社会課題の予期せぬ変化を活かす
社会課題は変化する。パンデミックは貧困・孤立・デジタル格差という既存の問題を激化させながら、新しい形の問題を生み出した。高齢化の進行は介護需要を高める一方で、シニア人材の新しい社会的役割という機会を生み出す。
レモネードの原則(Lemonade)は、この変化を「既存事業の妨害」ではなく「新しい可能性の情報源」として扱うことを求める。非営利組織が直面する予期せぬ変化の代表例を以下に示す。
受益者ニーズの変化: 従来の支援対象者が異なる形のサポートを必要とし始めるとき、コーゼーション型組織は「当初のプログラム計画への影響」として捉えがちである。エフェクチュエーション的には、この変化は「今まで気づいていなかったニーズへの窓口」である。
予期せぬ寄付者のコミットメント: 想定外のセクターからの寄付申し出は、新しいプログラム展開の可能性を示すシグナルである。この「予期せぬコミットメント」をレモネード的に活用することで、組織の事業領域が拡張する。
実践事例的な示唆:エフェクチュエーション的NPO運営の特徴
エフェクチュエーション理論の視点から見ると、成功している非営利組織の多くは、意図せずしてエフェクチュエーション的なパターンで運営されていることが多い。その共通点を以下に示す。
計画より行動を優先する: 完璧な事業計画が完成してから動くのではなく、「今できることから動き始め、動きながら学ぶ」という姿勢を持つ。この姿勢は、手中の鳥原則と許容可能な損失原則の実践そのものである。
ステークホルダーの多様性を資産として扱う: 多様なステークホルダーを「調整コストの源泉」ではなく「異なる視点と資源の供給者」として位置づける。この姿勢が、クレイジーキルト的なネットワーク価値の最大化につながる。
失敗を学習として組織知識に変換する: うまくいかなかったプログラムの経験を「隠すべき失敗」ではなく「共有すべき学習」として扱う組織文化が、レモネード的な思考様式を支える。
引用・参考文献
- Knight, F. H. (1921). Risk, Uncertainty and Profit. Houghton Mifflin.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Bacq, S., & Janssen, F. (2011). The multiple faces of social entrepreneurship: A review of definitional issues based on geographical and thematic criteria. Entrepreneurship & Regional Development, 23(5–6), 373–403.
- Dew, N., Sarasvathy, S. D., Read, S., & Wiltbank, R. (2009). Affordable loss: Behavioral economic aspects of the plunge decision. Strategic Entrepreneurship Journal, 3(2), 105–126.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
- サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.