目次
サステナビリティ問題の特性とエフェクチュエーション
気候変動、生物多様性の喪失、格差の拡大、食料安全保障——これらのサステナビリティ課題が共有する特性は、「どの程度の規模の問題か」「何が解決策か」「成功はいつ達成されるか」といった基本的な問いに対して、確定的な答えを持たないことである。Levin et al.(2012)はこのような課題を「スーパーウィキッドプロブレム(super wicked problems)」と呼び、技術的なソリューションだけでは対応できない根本的な不確実性を持つと論じた。
この特性はナイトの不確実性(Knightian Uncertainty)の定義——「確率分布すら推定できない不確実性」——と正確に対応する。サステナビリティの課題は、解決策の成功確率を事前に計算することが原理的に不可能な領域にある(Sarasvathy, 2001, p. 252)。
この認識は、サステナビリティ・イノベーションへのアプローチに根本的な示唆を持つ。「最も効果的な解決策を設計してから実行する」という因果論的(causal)アプローチは、問題の性質そのものと相性が悪い。「手中の手段から出発し、ステークホルダーとのコミットメントを通じて解決策を共に構築する」というエフェクチュアルなアプローチは、スーパーウィキッドプロブレムの性質と整合的である。
社会的起業研究とエフェクチュエーション
Reymen et al.(2015)は、社会的起業家の意思決定プロセスを研究した結果、初期段階において多くの社会的起業家がエフェクチュアルな論理を採用していることを実証した。社会課題の解決を目指す起業家は、課題の大きさに圧倒されながらも、「自分が今持っているリソースで今日できること」を出発点とする傾向がある。
この傾向は理論的にも説明できる。社会的起業家が取り組む課題は、一人の起業家の計画で解決できる規模を超えていることがほとんどである。そのため、 解決策全体を設計しようとするより、手中の手段を起点として動き始め、コミットメントが集まるにつれて解決策の形が浮かび上がる というプロセスが、社会的起業の現実に合致する(Reymen et al., 2015, pp. 12–15)。
エフェクチュエーションの5原則とサステナビリティ・イノベーションへの適用
手中の鳥原則:ローカルな手段から始める
手中の鳥原則は、サステナビリティ・イノベーションにおいて「地域固有の資源から出発する」という実践的指針に変換される。グローバルな課題であっても、イノベーションの起点は常にローカルにある。
バングラデシュのグラミン銀行(マイクロファイナンス)、ケニアの M-Pesa(モバイル送金)、日本の会津若松市のスマートシティ構想——いずれも、解決しようとする課題の全体像から逆算して設計されたものではない。その地域に存在する具体的なリソース(人的ネットワーク・既存インフラ・コミュニティの信頼関係)を出発点として展開した事例である。
手中の鳥原則は、サステナビリティ・イノベーターに対して「自分の地域・組織・コミュニティに今ある資源で今日できることは何か」を問うことを促す。
許容可能な損失原則:実験の規模を適切に設定する
サステナビリティ・イノベーションは、長期的・複雑な課題に取り組むため、投資の回収期間が見通しにくい。許容可能な損失原則は、この不確実性の中でも持続可能な行動を可能にする投資判断の基準を提供する。
「この環境プロジェクトが失敗した場合、組織にとって許容できる損失の範囲はどこまでか」という問いは、サステナビリティ投資において特に切実である。ESGへの取り組みが長期的な企業価値に貢献するという主張は学術的に支持されているが(Eccles et al., 2014)、特定のイノベーション施策の成否は事前に予測できない。許容可能な損失の範囲内で実験を設計することで、組織はサステナビリティ施策から継続的に学習できる。
レモネード原則:規制・技術変化を機会として読む
サステナビリティ領域では、規制の変更・技術の急速な進化・社会的価値観の転換が頻繁に起きる。因果論的なアプローチはこれらをリスクとして管理しようとするが、エフェクチュアルなアプローチはレモネード原則の観点からこれらを機会として積極的に活用する。
プラスチック規制の強化は、代替素材開発の起業機会となる。再生可能エネルギーのコスト低下は、農村電化のビジネスモデルを根本から変える。高齢化社会の進展は、介護テクノロジーの市場を創造する。これらの変化を「レモン(困難)」ではなく「レモネード(機会)」として読むリフレーミングが、サステナビリティ・イノベーターの基本的な認知的技能である(Sarasvathy, 2008, pp. 52–65)。
クレイジーキルト原則:マルチステークホルダー協調の設計
サステナビリティ課題は単一の組織では解決できない。企業・行政・NPO・市民・学術機関など、多様なステークホルダーの協調が不可欠である。クレイジーキルト原則は、この協調をどのように構築するかについて重要な示唆を持つ。
事前に完成した協調スキームを設計してから参加を呼びかけるのではなく、 自発的にコミットメントを示す主体を一人ひとり見つけ、それぞれのコミットメントを縫い合わせることで協調の形を創発させる アプローチが、複雑なステークホルダー環境では現実的に機能する(Sarasvathy, 2008, p. 95)。
SDGs(持続可能な開発目標)に取り組む多くのイニシアチブが、事前設計より参加者のコミットメントの集積から形を変えながら成長しているのは、このクレイジーキルト的なダイナミクスの表れである。
飛行機のパイロット原則:予測ではなく行動で未来を作る
飛行機のパイロット原則——「予測に適応するのではなく、行動によって未来を制御する」——は、サステナビリティ・イノベーションにおいて特に鋭い意味を持つ。サステナビリティの問題は、放置すれば悪化し、行動すれば軌道を変えられるという時間軸の特性を持つ。
「気候変動はどのように進むか」を予測してから行動するのではなく、 「私たちが今どう行動するかが気候変動の軌道を変える」という認識から行動する ——これがパイロット原則をサステナビリティ領域に適用した意味である。この発想の転換は、不確実性を行動しない理由から行動の理由に変換する。
ESGとエフェクチュエーション:企業の文脈
企業のESG(環境・社会・ガバナンス)投資の文脈でも、エフェクチュエーション理論は有益な視座を提供する。Eccles et al.(2014)は、長期的なサステナビリティへの統合的なコミットメントが企業パフォーマンスに正の影響を与えることを実証したが、その成果は特定のESG施策を事前設計したことではなく、経営者がサステナビリティを中核戦略として 長期にわたってコミットし続け、環境変化に応じてその形を進化させてきた ことによる、という解釈がエフェクチュアルな観点からは成立する。
ESGイノベーションにおける実践的示唆は以下の通りである。
自社の手中のサステナビリティ資源を棚卸しする: 自社が既に持つ環境・社会への貢献——エネルギー効率技術・地域コミュニティとの関係・サプライチェーンの透明性——を「手中の手段」として評価する。
許容損失の範囲でサステナビリティ実験を設計する: 「このESG投資が社会的成果を生まなかった場合の許容損失は何か」を先に定め、その範囲内で最大限の実験を設計する。
ステークホルダーのコミットメントを縫い合わせる: サプライヤー・地域社会・投資家・消費者それぞれの自発的なコミットメントを引き出し、それらを統合してサステナビリティ施策の形を共創する。
サステナビリティ・イノベーションの新しいパラダイム
エフェクチュエーション理論がサステナビリティ・イノベーションに提示する最も重要な示唆は、 解決すべき課題の全体像が見えない段階から行動を始めることの正当性 である。課題が複雑すぎて最善の解決策を事前に特定できないということは、行動しない理由にはならない。手中にある手段で今日できることを始め、コミットメントの積み重ねを通じて解決策の形を発見していく——このエフェクチュアルな実践がサステナビリティ・イノベーションの現実に合致する。
引用・参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Reymen, I., Andries, P., Berends, H., Mauer, R., Stephan, U., & van Burg, E. (2015). Understanding dynamics of strategic decision making in venture creation: A process study of effectuation and causation. Strategic Entrepreneurship Journal, 9(4), 351–379.
- Levin, K., Cashore, B., Bernstein, S., & Auld, G. (2012). Overcoming the tragedy of super wicked problems: Constraining our future selves to ameliorate global climate change. Policy Sciences, 45(2), 123–152.
- Eccles, R. G., Ioannou, I., & Serafeim, G. (2014). The impact of corporate sustainability on organizational processes and performance. Management Science, 60(11), 2835–2857.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.