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マザーハウス——バングラデシュ留学経験が生んだ「途上国発ブランド」の挑戦

山口絵理子がバングラデシュ留学で得た現地の人脈と途上国の可能性への確信を手段に、マザーハウスを「途上国から世界に通用するブランド」へ育てた事例をエフェクチュエーションの「手中の鳥」原則で分析する。

約9分
目次

導入——「かわいそう」ではなく「かっこいい」から始めた

途上国支援と聞くと、多くの人は寄付やボランティアを連想する。しかしマザーハウスの創業者・山口絵理子が選んだのは、途上国の素材と職人の技術で「先進国の消費者が本気で欲しいと思う製品」を作るというアプローチであった。

この事業は、ファッション業界の市場分析から生まれたのではない。一人の大学院生がバングラデシュに留学し、そこで出会った人々と素材に可能性を見出したことが出発点である。エフェクチュエーション理論の「手中の鳥(Bird in Hand)」原則——「自分は誰か」「何を知っているか」「誰を知っているか」という手段からの出発——が、マザーハウスの創業プロセスを正確に記述する。

企業・人物の概要——逆境を力に変えてきた人

山口絵理子は1981年、埼玉県に生まれた。中学時代にいじめを経験し、高校では男子柔道部で鍛え、慶應義塾大学総合政策学部に進学した。逆境に正面から立ち向かう姿勢は、創業前から一貫していた。

大学時代に国際機関でのインターンを経験し、途上国開発に関心を持った。しかし、先進国主導の援助の限界を感じ、異なるアプローチを模索し始める。

大学卒業後、バングラデシュのBRAC大学院に留学した。「最貧国」と呼ばれたバングラデシュで暮らす中で、山口は現地のジュート(黄麻)やレザーの品質の高さ、職人たちの技術力に気づく。同時に、これらの素材と技術が国際市場で正当に評価されていないことにも気づいた。

イノベーションの経緯——バッグ一つから始まったブランド

最初のバッグ

2006年、山口はバングラデシュでジュート製のバッグを試作した。現地の職人に自らデザインを指示し、素材の選定から縫製の品質管理まで携わった。

最初の製品は完成度が低かった。日本の消費者が求める品質基準を満たすまで、何度も試作を繰り返した。バングラデシュの工場では品質管理の概念自体が浸透しておらず、山口は自ら工場に入り、一つ一つの工程を改善していった。

株式会社マザーハウスの設立

2006年、株式会社マザーハウスを設立した。山口は24歳であった。社名には「途上国がブランドの『母体(マザー)』であり、可能性の『源泉(ハウス)』である」という意味が込められている。

最初の販売チャネルは、百貨店の催事場やポップアップショップであった。正規の店舗を持つ資金はなく、限られた手段の中で顧客との接点を確保した。

品質とデザインによる差別化

マザーハウスの戦略的選択は明確であった。「途上国だから安い」ではなく「途上国なのにこの品質とデザイン」という驚きで勝負する。価格帯は2〜5万円台のバッグが中心であり、先進国ブランドと直接競合するポジショニングをとった。

山口自身がデザインを手がけ、バングラデシュのジュートとレザー、ネパールのシルク、インドネシアのジュエリーなど、各国の素材と職人技を活かした製品ラインを展開していった。

生産国と店舗の拡大

バングラデシュから始まった生産は、ネパール、インドネシア、スリランカ、インド、ミャンマーへと拡大した。各国で現地の素材と技術を発掘し、ブランドに統合していく手法は一貫している。

2024年時点で、日本国内に約30店舗、海外にも展開しており、途上国の6カ国に自社工場または提携工場を持つ。年商は数十億円規模に成長している。

エフェクチュエーション原則の分析——「手中の鳥」が社会課題を事業化した

Who I am:逆境を力に変えるアイデンティティ

Sarasvathy(2001)が定義する「手中の鳥」の第一要素——「自分は誰か」——において、山口のアイデンティティは「逆境に正面から立ち向かう人間」であった(Sarasvathy, 2001, p. 250)。

いじめ、柔道、バングラデシュでの生活——これらの経験が形成した**「困難な状況を変えられる」という信念**が、「最貧国でブランドを作る」という一見無謀な挑戦を可能にした。アイデンティティが事業の方向性を決定づけた典型例である。

What I know:途上国の素材と生産現場の知識

バングラデシュ留学で得た知識は、通常のファッション起業家が持ち得ないものであった。ジュートの特性、現地の縫製技術、工場管理の実態、途上国の流通構造——これらの現場知識が、マザーハウスの製品開発と品質管理の基盤となった。

Sarasvathy(2008)が指摘する通り、エフェクチュエーション的起業家の「知識」は学術的知識に限定されない(Sarasvathy, 2008, p. 16)。山口の場合、BRAC大学院での学びと、工場での泥臭い実務経験の両方が「What I know」を構成していた。

Whom I know:バングラデシュの職人と支援者

マザーハウスの最初の製品は、バングラデシュで出会った職人たちとの協働から生まれた。留学中に築いた現地の人脈が、工場の確保、職人の採用、素材の調達を可能にした。

Sarasvathy(2008)の「クレイジーキルトの原則」——既存のステークホルダーのコミットメントから事業を形成する——が、バングラデシュの職人たちの参画に表れている(Sarasvathy, 2008, pp. 15–16)。職人たちは「雇われた」のではなく、山口のビジョンにコミットしたのである。

因果論との対比

因果論的アプローチであれば、まず日本のバッグ市場を分析し、ターゲット消費者のニーズを調査し、最適な生産拠点を選定する。山口はバングラデシュという場所と人を先に知り、そこから何が作れるかを考えた。市場→製品ではなく、手段→可能な製品というエフェクチュエーション的な順序で事業が構築された。Sarasvathy(2001)の言う**「手段から出発し、可能な結果を模索する」**プロセスそのものである(Sarasvathy, 2001, p. 245)。

実務への示唆——「現場体験」が最大の手段になる

マザーハウスの事例が実務家に提示する教訓は3つある。第一に、**現場での直接体験は最も模倣困難な「手中の鳥」**である。バングラデシュの素材と職人を知っているという知識は、デスクリサーチでは得られない。実際にその場所に身を置いた経験が、事業の独自性と真正性を担保する。

第二に、「手中の鳥」は課題のリフレーミングを可能にする。途上国を「支援すべき対象」ではなく「ブランドの源泉」と捉え直したのは、現場を知っているからこそできた発想の転換であった。手持ちの手段は、問題の見え方自体を変える力を持つ。

第三に、社会課題とビジネスの両立は手段起点で実現しやすい。「社会にとって何が必要か」という大きな問いからではなく、「自分が知っている人と素材で何が作れるか」という手段の問いから出発したことが、実行可能な事業モデルの構築を可能にした。

「手中の鳥の原則」での原則解説と「エフェクチュエーション事例集」も参照されたい。


引用・参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • 山口絵理子 (2007). 『裸でも生きる——25歳女性起業家の号泣戦記』講談社.
  • 山口絵理子 (2012). 『裸でも生きる2——Keep Walking 私は歩き続ける』講談社.
  • Read, S., Sarasvathy, S. D., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.

参考書籍

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