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エフェクチュエーション・サイクル——手段から始まる事業創造のダイナミックモデル

エフェクチュエーションの動的プロセスモデルを解説。手段→相互作用→コミットメント→新たな手段→目標の収束という循環的プロセスを理論的に明らかにする。

約11分
目次

なぜ「いい事業計画」を書いても事業は生まれないのか

新規事業の企画書を何度も書き直しているうちに、1年が過ぎていた——こうした経験を持つ人は少なくない。事業計画書の完成度は上がっても、実際の事業は1ミリも前に進んでいない。問題は計画の質ではなく、「計画を完成させてから行動する」という線形的な発想にある。従来の事業開発プロセスは、目標設定→市場調査→戦略策定→リソース調達→実行という直線的なステップを前提としている。しかし、新しい市場を創造しようとする場合、そもそも調査すべき「市場」が存在しない。予測の前提となるデータがない環境で、精緻な計画を立てることは砂上の楼閣を築くようなものである(Sarasvathy, 2008, p. 3)。では、起業家は実際にどのようなプロセスで事業を生み出しているのか。その答えが、エフェクチュエーション・サイクルである。

計画偏重で動けなかった経験は珍しくない

この問題は、起業家だけのものではない。大企業の新規事業担当者、NPO の立ち上げを志す社会起業家、フリーランスとして独立を考えるビジネスパーソン——不確実な状況で新しいことを始めようとするすべての人に共通する課題である。Sarasvathy が熟達した起業家27名を研究して発見したのは、彼らが「計画を立ててから行動する」のではなく、「行動しながら計画が立ち上がってくる」プロセスを辿っていたということであった(Sarasvathy, 2008, pp. 3-12)。この動的なプロセスを理論化したものが、エフェクチュエーション・サイクルと呼ばれるモデルである。

エフェクチュエーション・サイクルの全体構造

エフェクチュエーション・サイクルは、Sarasvathy が著書の第9章で体系的に論じた動的プロセスモデルである(Sarasvathy, 2008, Chapter 9)。このモデルは、事業が生成される過程を6つのステップの循環として描写する。直線的な計画→実行モデルとは異なり、各ステップが次のステップにフィードバックし、螺旋的に拡大していくのが特徴である。

ステップ1:手段から出発する

サイクルの起点は、起業家が持つ3つの手段カテゴリである。「自分は何者か(Who I am)」はアイデンティティ、価値観、特性を指す。「何を知っているか(What I know)」は教育、経験、専門知識を含む。「誰を知っているか(Whom I know)」は社会的ネットワーク、つまり直接連絡可能な人的つながりである(Sarasvathy, 2008, pp. 15-16)。この「手中の鳥」の原則は「手中の鳥の原則」で詳しく解説している。重要なのは、この段階では具体的な目標が存在しないということである。起業家は「何を達成すべきか」ではなく、「何が手元にあるか」から思考を開始する。

ステップ2:可能な効果を構想する

手元の手段を確認した起業家は、「これらの手段で何ができるか」を自由に構想する。一組の手段からは複数の可能な効果(possible effects)が想像できる。たとえば、食品業界で10年の経験を持ち(What I know)、料理への情熱があり(Who I am)、レストランオーナーの知人が複数いる人物(Whom I know)は、フードデリバリーサービス、飲食コンサルティング、食材ECサイトなど、複数の方向性を構想できる。ここでは可能性を狭めず、複数の選択肢を並列に保持しておくことが重要である。

ステップ3:他者との相互作用——コミットメントの獲得

構想した可能性を他者に共有し、対話する段階である。ここでクレイジーキルトの原則が作動する。起業家が構想を語ったとき、一部の人々がそれに興味を示し、何らかのコミットメント——時間、資金、専門知識、顧客の紹介——を申し出る(Sarasvathy, 2008, pp. 67-82)。コミットメントとは単なる「応援」ではなく、「自分も何かを賭ける」という具体的な行動である。Read et al.(2016)は、このステップを「事前コミットメント(pre-commitment)」と呼び、事業の形を決定する最も重要な要素であると指摘している。

ステップ4:新たな手段の獲得

パートナーのコミットメントは、起業家に新たな手段をもたらす。技術者がパートナーになれば技術的能力が加わる。流通業者が参加すれば販路が広がる。投資家がコミットすれば資金が増える。こうして、起業家が最初に持っていた手段(Who I am / What I know / Whom I know)は、パートナーの参加によって拡張される(Sarasvathy, 2008, Chapter 9)。手段の集合が変化すれば、達成可能な効果の範囲も変化する。つまり、パートナーの参加によって事業の可能性そのものが広がるのである。

ステップ5:目標の収束——事業の方向性が定まる

拡張された手段と新たなパートナーの知見が合流するなかで、事業の方向性は徐々に収束していく。最初は「食に関する何か」という漠然とした方向性だったものが、フードテック企業のCTOが参加したことで「飲食店向けAI需要予測サービス」という具体的な事業へと結晶化する。目標は、プロセスの開始時に設定されたのではなく、プロセスの中から立ち現れてきたのである(Sarasvathy, 2008, p. 116)。これがエフェクチュエーション理論の核心的な洞察——「目標はプロセスの入力ではなく出力である」——を体現している。

ステップ6:新しい市場・企業の創造

収束した目標のもとで事業が形を成し、新しい市場や企業が創造される。しかし、サイクルはここで終わらない。創造された市場・企業は新たな手段となり、次のサイクルの起点になる。既存事業の顧客基盤、ブランド、技術資産が新たな「手中の鳥」となり、さらなる事業機会の探索が始まるのである。

線形的ビジネスプランニングとの根本的な違い

従来の線形的事業計画プロセスでは、「目標→手段→実行→結果」という一方向の流れが想定される。市場機会を特定し、その機会を獲得するために必要なリソースを調達し、計画通りに実行する。逸脱は失敗であり、計画への準拠が成功の条件となる。

エフェクチュエーション・サイクルはこれと構造的に異なる。手段→構想→相互作用→新手段→目標の収束という循環のなかで、計画そのものが変容していく。Read et al.(2016)は、この違いを**「予測的コントロール」と「創造的コントロール」の対比**として説明している。予測的コントロールは「正しい予測に基づく計画の遂行」であるのに対し、創造的コントロールは「行動を通じて未来を形成する」アプローチである(Read et al., 2016, p. 47)。

拡大するリソースとステークホルダーの輪

エフェクチュエーション・サイクルの特徴は、繰り返しのなかでリソースとステークホルダーの範囲が拡大していくことにある。最初は起業家一人の手段から始まったプロセスが、サイクルを重ねるごとに関与者が増え、利用可能なリソースが拡張し、達成可能な目標のスケールが大きくなる。Sarasvathy はこの過程を「拡大するネットワーク(expanding network)」と呼び、事業の成長を個人の能力ではなくネットワークの発展として捉えている(Sarasvathy, 2008, p. 120)。この視点は、起業を「天才的な個人による創造行為」と見る英雄的起業家像への強力な反論でもある。

エフェクチュエーション・サイクルが有効な場面

エフェクチュエーション・サイクルは、以下のような場面で特に有効なフレームワークとなる。

  • 市場が存在しない段階での新規事業創出: 調査すべき市場がない状況で、行動を通じて市場を創造するプロセスに適している
  • 技術シーズからの事業化: 技術(What I know)という明確な手段を起点に、用途や市場を探索する局面で威力を発揮する
  • リソースが限られたスタートアップ: 手持ちの手段を最大限活用し、パートナーのコミットメントによってリソースを拡大する戦略として機能する
  • 社内新規事業のプロトタイピング段階: 計画承認を待つのではなく、許容可能な損失の範囲内で小さく始める際の理論的根拠となる

今日からサイクルを回し始めよう

エフェクチュエーション・サイクルの実践は、壮大な準備を必要としない。今日からできる最初のステップは、手持ちの手段を棚卸しし、その手段で何ができるかを3つ書き出し、そのうち1つを誰かに話すことである。その対話から予期せぬ反応——興味、助言、紹介、批判——が返ってくる。それがサイクルの最初の一回転である。このサイクルの拡大段階については「拡大と収束のサイクル」でさらに詳しく論じている。完璧な事業計画を書き上げてからではなく、不完全なアイデアを携えて人に会いに行くこと。その行動の連鎖が、やがて新しい事業を生み出す。エフェクチュエーション・サイクルは、計画の完成度ではなく行動の反復によって事業を創造する、実践的なフレームワークなのである。


引用・参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
  • サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.

参考書籍

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