目次
市場とは何か——静的実体から動的共創物へ
従来のマーケティング理論において、市場は「外部に存在し、分析し、セグメント化して獲得すべき静的なターゲット」として概念化されてきた。STP分析(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)に代表される予測的マーケティングのツールは、市場を所与の実体として前提し、その構造を正確に把握することで競争優位を確立するというGoods-Dominant Logic(G-Dロジック)のパラダイムに深く根ざしている(McCarthy, 1960)。
しかし、Service-Dominant Logic(S-Dロジック)とエフェクチュエーション理論の統合的視座は、この市場観を根底から覆す。市場は固定された実体ではなく、アクターの行動と資源統合の連鎖を通じて**「創り出される(makeable)」もの**である。この「市場の可塑性(Makeable Markets)」の概念は、両理論が共有する最も根源的な認識論的前提の一つである(Sarasvathy, 2008; Vargo & Lusch, 2016)。
Makeable Markets——市場は発見ではなく創造の対象
概念の起源と意味
「Makeable Markets」の概念は、Sarasvathy(2008)のエフェクチュエーション理論における中心的テーゼの一つである。伝統的な起業家精神研究では、起業家は市場における「機会(opportunity)」を**発見(discover)**する存在として描かれてきた。Kirzner(1973)に代表されるオーストリア学派の機会発見説では、市場の不均衡が利益機会を生み出し、鋭敏な起業家がそれを察知して活用するとされる。
これに対し、エフェクチュエーション理論は機会を**創造(create)するという立場を取る。市場は起業家の外部に客観的に存在する発見すべき対象ではなく、起業家の行動、ステークホルダーとの相互作用、偶発的事象への対応を通じて内生的(endogenous)**に形成されるものである(Sarasvathy, 2008)。
静的市場観の問題
市場を静的実体として扱う見方は、2つの構造的問題を抱える。
第一に、**ナイトの不確実性(Knightian uncertainty)**の下では、分析すべき「市場」がまだ存在しない場合がある。全く新しい製品カテゴリやサービス形態を創出する場面では、過去のデータも既存の顧客セグメントも存在しないため、市場を「発見」するための分析的基盤が欠落する(Read et al., 2009)。
第二に、市場を所与とする見方は自己成就的予言を生みやすい。特定の市場定義に基づいて戦略を立案し、その枠組みの中でのみ行動することで、当初の市場定義を追認する結果が得られる。しかしこの「確認」は、その市場定義が唯一の——あるいは最適な——可能性であったことの証明にはならない。
非予測的コントロールの論理
エフェクチュエーション理論の**パイロットの原則(Pilot-in-the-Plane Principle)**は、市場の可塑性を実践に結びつける中核的な行動原理である。
コーゼーションとの対比
コーゼーション(因果論的論理)は「未来を予測できる範囲において、それをコントロールできる」という命題に基づく。精密な市場予測があるほど、効果的な戦略を立案でき、望ましい結果をコントロールできるという論理である(Sarasvathy, 2001)。
エフェクチュエーションはこの命題を反転させる。**「未来をコントロールできる限りにおいて、それを予測する必要はない(logic of non-predictive control)」**という論理である。市場環境の未来を正確に予測することはできなくとも、手元のオペラント資源とステークホルダーとのネットワークを通じて未来を「形作る」ことができるのであれば、予測の精度は戦略的に重要ではなくなる(Sarasvathy, 2008)。
コントロールの3つのメカニズム
非予測的コントロールは、以下の3つのメカニズムを通じて行使される。
手段ベースの行動——起業家は事前に設定された目標に向かって最適な手段を選択するのではなく、手元の手段(アイデンティティ、知識、ネットワーク)から出発して、実現可能な結果の集合を構想する。目標は手段に応じて柔軟に変化し得る(Sarasvathy, 2008)。
コミットメントの獲得——クレージー・キルトの原則に基づき、自己選択的に参加するステークホルダーからの事前コミットメントを獲得することで、不確実な未来に対するヘッジを行う。各ステークホルダーが独自の資源を持ち寄ることで、事業と市場の方向性が共同で決定される(Read et al., 2009)。
偶発性の活用——レモネードの原則に基づき、予期せぬ事象を排除すべきリスクではなく、新たな市場機会への素材として活用する。偶発性への対応を通じて、当初想定していなかった市場空間が開拓される(Sarasvathy, 2008)。
サービス・エコシステムの自己組織化との共鳴
S-Dロジックの第5公理(FP11)が示すサービス・エコシステムの概念は、市場の可塑性を異なる理論的言語で記述したものとして理解できる。
エコシステムの創発的秩序
サービス・エコシステムとは、サービスの交換を通じて共有された制度的取り決めによって結びついたアクターのネットワークである(Vargo & Lusch, 2016)。このエコシステムは、中央集権的な設計者によってトップダウンで構築されるものではなく、多数のアクターの自律的な行動と相互作用から**創発的(emergent)**に秩序が形成される自己組織化システムである。
エフェクチュエーションのパイロットの原則とエコシステムの自己組織化は、以下の点で深く共鳴する。
第一に、結果の事前決定不可能性を共有している。パイロットの原則は、未来の市場状態を事前に正確に予測することは不可能であると主張する。同様に、自己組織化システムとしてのサービス・エコシステムは、個々のアクターの行動からシステム全体の状態を演繹的に予測することが原理的に困難である。
第二に、行動の優位性を共有している。パイロットの原則は、予測ではなく行動を通じた環境のコントロールを重視する。エコシステムの自己組織化においても、システムの秩序はアクターの行動(資源統合と制度的実践)から生成されるのであり、行動に先立つ設計図は存在しない。
制度的実践——Breaking, Making, Maintaining
Kaartemo, Nenonen, & Windahl(2018)は、S-Dロジックとエフェクチュエーションの統合において、**制度的実践(institutional work)**の3つの形態が市場の可塑性を具体化するメカニズムであることを指摘した。
制度の破壊(Breaking)
既存の市場を支配する規範、慣行、認知的枠組みを意図的に解体するプロセスである。エフェクチュエーションのレモネードの原則は、既存の制度的枠組みでは「失敗」や「逸脱」と見なされる事象を、既存制度の限界を露呈させるシグナルとして活用し、制度の破壊を正当化する根拠を提供する(Kaartemo et al., 2018)。
制度の構築(Making)
新たな規範、ルール、意味体系を創出し、エコシステム内のアクター間で共有されるプロセスである。クレージー・キルトの原則に基づくステークホルダーとの交渉とコミットメント獲得は、新たな制度を構築するための合意形成メカニズムとして機能する。各アクターが独自の資源を持ち寄り、共同で新たな「ゲームのルール」を定義していく(Kaartemo et al., 2018)。
制度の維持(Maintaining)
構築された制度が持続的に機能するよう、アクターが継続的にエンゲージメントを保ち、制度的取り決めを再確認・再強化するプロセスである。エフェクチュエーションの手中の鳥の原則は、制度の維持においても機能する。アクターが自らのオペラント資源を継続的にエコシステムに投入し、相互のサービス交換を通じて制度的関係を更新し続けることで、エコシステムの安定性が担保される。
内生的市場形成メカニズム
市場の可塑性を具体的な形成メカニズムとして記述すると、以下のプロセスが浮かび上がる。
段階1:手段からの出発
起業家やマーケターは、外部の市場機会を探索するのではなく、手元のオペラント資源——自らの専門知識、保有する技術、既存の人的ネットワーク——を起点として行動を開始する。この段階では「市場」はまだ存在しない(Sarasvathy, 2008)。
段階2:初期的な相互作用
手元の資源に基づく価値提案が、最初に反応を示すステークホルダーとの間で試行される。この相互作用を通じて、当初の価値提案は修正・拡張され、ステークホルダーが持ち込む新たな資源によって事業の方向性が変容する(Read et al., 2009)。
段階3:制度的パターンの出現
反復的な実験と交渉を通じて、アクター間に共有される行動パターン、暗黙のルール、相互期待が形成され始める。これが初期的な制度的取り決めの萌芽であり、S-Dロジックが言うサービス・エコシステムの**原型(prototype)**である(Vargo & Lusch, 2016)。
段階4:制度の安定化と市場の顕在化
制度的パターンが十分に安定し、新たなアクターがこのパターンに参入可能になった時点で、外部からは「市場」として認識される実体が顕在化する。しかしこの「市場」は発見されたのではなく、上記のプロセスを通じて内生的に形成されたものである(Kaartemo et al., 2018)。
予測の放棄が開く可能性空間
市場の可塑性という認識は、マーケティング実践に対して根本的な示唆を与える。市場が所与の実体ではなく創造の対象であるならば、マーケターの仕事は「既存の市場における最適なポジション」を見つけることではなく、**「まだ存在しない市場を共創するプロセス」**を設計し主導することとなる。
この転換は、予測の精度を競う競争から、コントロール可能な行動の範囲を拡張する競争へとゲームのルールを書き換える。手元の資源を起点として、コミットメントを示すステークホルダーと共に実験を繰り返し、偶発性をテコとして活用しながら、新たな制度的枠組みを構築していく。S-Dロジックとエフェクチュエーションが共に描くこの市場共創の論理は、不確実性を「制御すべき脅威」ではなく「形作るべき素材」として再定義する。市場の可塑性を認識することは、不確実性下における行動の自由度を飛躍的に拡張するのである。
関連記事として「市場創造理論」、「飛行機のパイロットの原則」も参照されたい。
参考文献
- Kaartemo, V., Nenonen, S., & Windahl, C. (2018). Enhancing the understanding of processes and outcomes of innovation: The contribution of effectuation to S-D logic. In S. L. Vargo & R. F. Lusch (Eds.), The SAGE Handbook of Service-Dominant Logic (pp. 522–535). SAGE Publications.
- Kirzner, I. M. (1973). Competition and Entrepreneurship. University of Chicago Press.
- McCarthy, E. J. (1960). Basic Marketing: A Managerial Approach. Richard D. Irwin.
- Read, S., Dew, N., Sarasvathy, S. D., Song, M., & Wiltbank, R. (2009). Marketing under uncertainty: The logic of an effectual approach. Journal of Marketing, 73(3), 1–18.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Vargo, S. L., & Lusch, R. F. (2016). Institutions and axioms: An extension and update of service-dominant logic. Journal of the Academy of Marketing Science, 44(1), 5–23.