書籍

エフェクチュアル・アントレプレナーシップ(第2版)— ニコラス・デューが担った理論の教育的実装

エフェクチュエーション理論の標準的教科書。共著者ニコラス・デューが果たした役割——許容可能な損失の行動経済学的理論化と、理論の教育可能な形式への変換——に焦点を当てて解説する。

目次
著者
Stuart Read, Saras Sarasvathy, Nick Dew, Robert Wiltbank
原著者
Stuart Read, Saras Sarasvathy, Nick Dew, Robert Wiltbank
出版社
Routledge
出版年
2016年
ISBN
978-1138923782
原題
Effectual Entrepreneurship (2nd ed.)
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理論を「教えられるもの」にする仕事

優れた理論が必ずしも優れた教科書を生まない。Sarasvathy(2008)の原著 Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise(Edward Elgar)は、エフェクチュエーション理論の学術的基盤を確立した里程碑的著作だが、その抽象度と学術的な記述スタイルは、ビジネススクールの授業でそのまま使用するには難しい面があった。

Effectual Entrepreneurship(Routledge、初版2011年、第2版2016年)は、この問題に正面から取り組んだ教科書である。4人の共著者——Stuart Read(IMD)、Saras Sarasvathy(バージニア大学ダーデン経営大学院)、Nick Dew(アメリカ海軍大学院)、Robert Wiltbank(ウィラメット大学)——の協力によって、エフェクチュエーション理論は「研究者が分析する対象」から「起業家と学生が実践できるフレームワーク」へと変換された(Read et al., 2016, p. 1)。

ニコラス・デューが本書に持ち込んだもの

4人の共著者がそれぞれ異なる専門性と研究上の貢献を持ち寄ったが、ニコラス・デュー(Nicholas Dew)が本書に持ち込んだ最も重要な貢献は2つある。

第一の貢献:許容可能な損失の行動経済学的基盤

Dew et al.(2009)の論文 “Affordable Loss: Behavioral Economic Aspects of the Plunge Decision”(Strategic Entrepreneurship Journal 3巻2号)は、許容可能な損失の原則をKahneman & Tverskyのプロスペクト理論と接続することで、この原則の行動経済学的な正当性を示した(Dew et al., 2009, pp. 105–126)。

本書の許容可能な損失に関する章は、この研究成果を教育的に実装したものである。起業家の「飛び込む(plunge)」意思決定が、期待リターンの最大化ではなく損失の許容範囲から評価されるという発想は、行動経済学の知見によって支えられていることを、学習者が体験的に理解できるよう設計されている。

第二の貢献:起業家の認知プロセスの実証的知見

Dew et al.(2009)の別論文 “Effectual versus Predictive Logics in Entrepreneurial Decision-making”(Journal of Business Venturing 24巻4号)は、熟達した起業家とMBA学生の意思決定パターンをシンク・アラウド・プロトコル法で比較分析した研究であり、エフェクチュエーション理論の実証的基盤として本書の記述を支えている(Dew et al., 2009, pp. 287–309)。

本書全体を通じて参照される「熟達した起業家はどのように考えるか」という問いへの実証的な答えを提供したのは、この研究である。エフェクチュエーション的思考が単なる理論的提案ではなく、実際の熟達した起業家の認知パターンを記述したものであることを、学習者が理解するための根拠となっている。

本書の教育的設計

本書が世界20カ国以上の大学で採用されてきた理由の一つは、その教育的設計の質にある(Read et al., 2016, p. vii)。

体験的学習設計: 各章が「概念の導入→事例の分析→実践エクササイズ→振り返り」という構造で統一されている。学習者が受動的に理論を吸収するのではなく、自分自身の「手中の鳥」を書き出し、「許容可能な損失」を計算し、「クレイジーキルト的なステークホルダー」を探索するというアクティブな学習が促される。

事例の多様性: ハイテクスタートアップだけでなく、非営利組織、既存企業の新規事業、社会起業など、多様な文脈での適用事例が収録されている。この多様性が、異なるバックグラウンドを持つ学習者に対してエフェクチュエーション理論の適用可能性を示す。

コーゼーションとの比較の明確化: エフェクチュエーションとコーゼーション(因果論的アプローチ)が単純な優劣関係にあるのではなく、不確実性の程度と状況によって使い分けるべき相補的なアプローチであることを、本書は一貫して強調している。この整理は、理論の過度な単純化を防ぐ上で重要な役割を果たしている。

第2版での改訂内容

2016年の第2版では、2011年の初版から以下の改訂が行われた(Read et al., 2016, pp. viii–x)。

エクササイズの改良: 初版での教育実践から得られたフィードバックを反映し、各章のエクササイズがより効果的に改訂された。特に「5原則の連動」を体験するための統合的なエクササイズが強化されている。

新事例の追加: 初版発行後の5年間に蓄積された事例——デジタルビジネス、ソーシャルベンチャー、グローバル展開事例——が追加された。

オンライン教材との連携: 授業での使用を前提としたオンライン補助教材(ケーススタディ、スライド教材、エクササイズ)との連携が強化された。

原著(Sarasvathy 2008)と本書の使い分け

本書を最大限に活用するために重要なのは、Sarasvathy(2008)の原著との役割の違いを明確に理解することである。

Sarasvathy(2008): エフェクチュエーション理論の学術的基盤。理論的概念の精密な定義、実証的裏づけの詳細、隣接理論との関係の整理を提供する。研究者が理論を参照・引用する際の「リファレンス」として機能する。

本書(Read et al., 2016): エフェクチュエーション理論の教育的実装。5つの原則を体験的に学ぶためのエクササイズ、多様な文脈での事例、授業での使用を前提とした構成を提供する。教育者・学習者・実践家のための「ツールキット」として機能する。

研究者として理論の精緻さを理解したいなら原著から始め、教育者・実践家として理論を伝え・活用したいなら本書から始めることを勧める。理想的には、両方を併読することで、エフェクチュエーション理論の学術的深さと実践的適用の両面が見えてくる。


引用・参考文献

  • Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Dew, N., Sarasvathy, S. D., Read, S., & Wiltbank, R. (2009). Affordable loss: Behavioral economic aspects of the plunge decision. Strategic Entrepreneurship Journal, 3(2), 105–126.
  • Dew, N., Read, S., Sarasvathy, S. D., & Wiltbank, R. (2009). Effectual versus predictive logics in entrepreneurial decision-making: Differences between experts and novices. Journal of Business Venturing, 24(4), 287–309.
  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.