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導入:「ミドリムシで世界を救う」は空想ではなかった
ミドリムシ(学名:Euglena)——体長わずか0.05ミリの微細藻類が、食品、化粧品、バイオジェット燃料の原料となり、東証プライムに上場する企業の中核事業を支えている。2005年に世界で初めてミドリムシの食用屋外大量培養に成功した株式会社ユーグレナの物語は、科学的ブレークスルーの物語であると同時に、パートナーシップの物語でもある。
技術的な成功だけでは事業は成立しない。ミドリムシという一般消費者にとって馴染みのない素材を、多様な産業のパートナーとの協業を通じて「価値ある製品」に変換していったプロセス——ここにクレイジーキルトの原則が鮮明に現れている。
企業・人物の概要:バングラデシュで見た原体験と科学者との出会い
ユーグレナの創業者・出雲充は、東京大学在学中にバングラデシュを訪問した。現地で目の当たりにした栄養失調の深刻さが、「世界の栄養問題を解決したい」という原体験となった。
帰国後、出雲はミドリムシに注目する。ミドリムシは植物と動物の両方の性質を持ち、ビタミン、ミネラル、アミノ酸、DHAなど59種類の栄養素を含むという稀有な特性を持っていた。しかし食用としての大量培養は、世界中の研究者が挑戦しては失敗してきた難題であった。他の微生物がミドリムシを捕食してしまうため、安定的な屋外培養が実現できなかったのである。
2005年、出雲は東京大学の研究者と協力し、石垣島で世界初の食用屋外大量培養に成功した。しかしこの技術的ブレークスルーは、事業化の始まりに過ぎなかった。ミドリムシを事業として成立させるためには、技術以外の多くのパートナーが必要であった。
イノベーションの経緯:「500社に断られた」からの逆転
500社の拒絶と伊藤忠商事のコミットメント
大量培養に成功した出雲は、食品メーカーや流通企業に販路を求めて営業活動を開始した。しかし結果は惨憺たるものであった。約500社に提案を行い、すべて断られたのである。「ミドリムシ(虫)を食べるなんて消費者が受け入れるわけがない」——これが大多数の反応であった。
転機は2008年に訪れた。伊藤忠商事がユーグレナへの出資を決定したのである。伊藤忠の担当者は、ミドリムシの栄養素としてのポテンシャルと、バイオ燃料への応用可能性に注目した。大手商社のコミットメントは、それまでユーグレナを門前払いしていた企業の姿勢を変えるシグナルとなった。
JX日鉱日石エネルギーとのバイオ燃料提携
ユーグレナの事業展開において重要だったのは、食品だけでなくバイオ燃料という全く異なる用途へのパートナーシップが形成されたことである。ミドリムシは光合成でCO2を吸収しながら油脂を蓄積するため、バイオジェット燃料の原料として期待された。
2010年、JX日鉱日石エネルギー(現ENEOS)との共同研究が開始された。石油会社という、一見するとバイオベンチャーとは対極にある企業がパートナーとなったのは、脱炭素化という時代の要請と、ミドリムシの油脂生産特性が合致したからであった。この提携は、ユーグレナを「健康食品の会社」から「バイオテクノロジー企業」へと再定義するきっかけとなった。
全日空とのバイオジェット燃料プロジェクト
バイオ燃料開発の進展に伴い、航空業界からのアプローチが生まれた。全日本空輸(ANA)がバイオジェット燃料の実用化パートナーとしてコミットした。航空業界は国際的なCO2排出削減義務に直面しており、サステナブル航空燃料(SAF)への需要が急速に高まっていた。
2021年、ユーグレナは日本初の完成したバイオジェット燃料を用いた有償フライトを実現した。この成果は、食品ベンチャーとして出発したユーグレナが、エネルギー企業や航空会社とのパートナーシップを通じて、事業領域を根本的に拡張したことを象徴している。
化粧品・機能性食品への多角展開
食品とバイオ燃料に加え、ユーグレナは化粧品分野にも進出した。ミドリムシ由来の成分を活用したスキンケア製品の開発において、化粧品OEMメーカーや小売チェーンとのパートナーシップが形成された。
各分野のパートナーは、ユーグレナのコア技術(ミドリムシ培養)を自社の事業領域に応用するという形でコミットメントを示した。ユーグレナは自社単独で製品開発から販売までを行うのではなく、各分野の専門パートナーの手段を活用して事業を多角化していったのである。
エフェクチュエーション原則の分析:「クレイジーキルト」としてのユーグレナ・エコシステム
拒絶の先にあるコミットメント
Sarasvathy(2008)のクレイジーキルトの原則において、**パートナーシップは「コミットメントを示す人々との協業」**によって形成される(Sarasvathy, 2008, pp. 67–74)。重要なのは、この原則が「全員がコミットする」ことを前提としていない点である。
ユーグレナの事例は、500社の拒絶の中から生まれた少数のコミットメントが事業の方向性を決定したという点で、クレイジーキルトの原則を鮮明に示している。伊藤忠商事、JXエネルギー、ANA——これらの企業は、ユーグレナが「理想的なパートナー」として事前に特定したのではなく、それぞれが自社の戦略的課題に照らしてコミットメントを自己選択的に示した相手であった。
手段の多義性——一つの技術が複数の事業を生む
Sarasvathy(2001)が論じるように、エフェクチュエーションにおける手段は固定的なものではなく、パートナーとの対話を通じて再定義される(Sarasvathy, 2001, pp. 252–253)。
ユーグレナの最も興味深い点は、「ミドリムシの培養技術」という単一の手段が、パートナーごとに異なる意味を持ったことである。食品メーカーにとっては「栄養素の源泉」、エネルギー企業にとっては「バイオ燃料の原料」、化粧品メーカーにとっては「天然由来の美容成分」——同じ技術が、パートナーの手段と掛け合わされることで、まったく異なる価値に変換された。これはクレイジーキルトにおける**「異なる布切れの組み合わせが予想外のパターンを生む」**という本質そのものである。
予測不可能な事業ドメインの「生成」
ユーグレナの創業時、出雲は「バイオジェット燃料を作る会社」を目指していたわけではない。バイオ燃料事業は、エネルギー企業とのパートナーシップの中から「生成」されたドメインである。
Sarasvathy(2008)が述べるように、エフェクチュエーションにおける事業ドメインは「パートナーのコミットメントの蓄積によって形成される」(Sarasvathy, 2008, pp. 100–104)。ユーグレナの事業領域は、食品→バイオ燃料→化粧品→ヘルスケアと、各パートナーの参入に伴って段階的に拡張されていった。この拡張は事前の事業計画に基づくものではなく、パートナーの自己選択的なコミットメントの結果として「事後的に」観察されるものである。
実務への示唆:「断られてもコミットメントを探し続ける」
ユーグレナの事例から得られる実務的教訓は三つある。
第一に、大量の拒絶を恐れないことである。500社に断られたという事実は、クレイジーキルトの原則が「全員のコミットメント」を必要としないことを示している。重要なのは、コミットメントを示してくれた少数のパートナーとの関係を深め、その関係から事業の方向性を見出すことである。
第二に、自社の技術や手段を単一の用途に限定しないことである。ミドリムシが食品にも燃料にも化粧品にもなりうるように、コア技術の用途はパートナーの手段との掛け合わせによって多様化しうる。パートナーの視点から自社の手段を再評価する姿勢が、事業機会の発見につながる。
第三に、最初の大手パートナーのコミットメントが「信用の転換点」となりうることである。伊藤忠商事の出資は、ユーグレナの技術的信頼性を市場に示すシグナルとして機能した。スタートアップにとって、最初の有力パートナーの獲得は、事業の方向性を変える戦略的転換点となる。
「クレイジーキルトの原則」での原則解説と「エフェクチュエーション事例集」も参照されたい。
引用・参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- 出雲充 (2012). 『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』 ダイヤモンド社.
- Hockerts, K., & Wüstenhagen, R. (2010). Greening Goliaths versus emerging Davids: Theorizing about the role of incumbents and new entrants in sustainable entrepreneurship. Journal of Business Venturing, 25(5), 481–492.
- 中村洋一郎 (2018). 「バイオベンチャーのエコシステム形成」 『研究技術計画』 33(2), 145–158.