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導入——「できない」を「やる」に変えた経営者
1976年以前、日本の個人が小荷物を遠方に送ろうとすれば、郵便小包か国鉄の手小荷物便を利用するしかなかった。民間の運送業者は企業間の大口輸送が主力であり、個人の小荷物一つを翌日届けるサービスは存在しなかった。
「個人間宅配は採算が合わない」——これが運送業界の常識であった。小倉昌男はこの常識を覆し、「宅急便」という全く新しい市場を自らの手で創出した。しかもその過程で、運輸省(現国土交通省)という規制当局との長期にわたる戦いを繰り広げた。エフェクチュエーション理論の「飛行機のパイロット」原則——市場環境そのものを自らの行動で形成する——の、規制産業における典型的な実践例である。
企業・人物の概要——二代目社長の危機感
小倉昌男は1924年、東京に生まれた。父・小倉康臣が1919年に創業した大和運輸(現ヤマトホールディングス)の二代目社長として、1971年に社長に就任した。
就任時のヤマト運輸は三越百貨店の配送業務に収益の大部分を依存しており、経営は三越に大きく左右されていた。1970年代のオイルショックで経営が悪化する中、小倉は**「企業間輸送では大手に勝てない」**という現実を直視した。
大手運送会社(日本通運など)が支配する企業間輸送市場で戦い続けるか、それとも誰もやったことのない個人間宅配に挑むか。小倉は後者を選んだ。しかしこの判断を支持する市場データは皆無であった。個人間宅配市場は「存在しない」のだから、市場規模の推定すらできなかったのである。
イノベーションの経緯——「宅急便」の創造と規制との闘い
「宅急便」の構想
小倉が構想した宅急便のコンセプトは明快であった。「電話一本で集荷に来て、翌日届ける」。個人が手軽に荷物を送れる仕組みを全国規模で構築する。
しかし実現には巨大な課題があった。一つの荷物の運賃は数百円でありながら、それを翌日全国に届けるインフラが必要であった。個別の荷物は利益を生まない。しかし小倉は、集荷密度が一定の水準を超えれば採算ラインに達するという「損益分岐点の理論」を導き出した。
1976年——サービス開始と社内の動揺
1976年1月、宅急便は関東地区でサービスを開始した。初日の取扱個数はわずか11個であった。社内には「やはり無理だ」という声が蔓延した。
しかし小倉は取扱個数の増加に全力を注いだ。酒販店や米穀店を取次店として開拓し、集荷拠点を広げた。「一個でも荷物を預かる」というきめ細かいサービスが口コミで広がり、取扱個数は年間で170万個に達した。市場は「発見」されたのではなく、宅急便のサービス提供という行動によって「創出」されたのである。
運輸省との規制闘争
宅急便の最大の障害は競合他社ではなく規制当局であった。当時の道路運送法は運送事業の免許制を定めており、新しい路線の開設には運輸省の認可が必要であった。
運輸省は宅急便の全国展開に対して認可の遅延と制限を繰り返した。既存の運送業者(特に日本通運)の利害と郵便局の郵便小包事業を保護する意向が背景にあった。
小倉は行政訴訟に踏み切った。1984年の「六区間訴訟」では、運輸省が認可を遅延させたことの違法性を争い、東京高裁で実質的勝訴を収めた。さらにメディアを通じて規制の不合理さを訴え、世論を味方につける戦略を展開した。
小倉は規制環境を「所与の条件」として受け入れなかった。行政と戦い、世論を動かし、規制環境そのものを変えたのである。
市場の爆発的成長
規制の壁を乗り越えた宅急便は、全国ネットワークの完成とともに爆発的に成長した。1986年には年間取扱個数が3億個を突破した。他の運送会社も宅配事業に参入し、「宅配便」という市場が日本の物流の不可欠な一部となった。
この市場全体が小倉昌男一人の行動から生まれた。宅配便市場は分析や予測によって「発見」されたものではなく、宅急便というサービスの実践によって「創造」されたのである。
エフェクチュエーション原則の分析——「飛行機のパイロット」の規制産業での展開
規制環境の能動的変革
Sarasvathy(2008)は「飛行機のパイロット」原則の核心を、「人間の行為が未来を形成する主要な推進力である」と述べている(Sarasvathy, 2008, p. 91)。小倉の事例は、この原則が規制産業においても適用可能であることを示している。
運輸省の規制は「変えられない環境条件」のように見えた。しかし小倉は行政訴訟と世論形成という行動によって、規制環境そのものを変革した。飛行機のパイロットは気象条件を変えることはできないが、航空法規の不合理を是正するために行動することはできる。
「存在しない市場」の創出
Sarasvathy(2001)は、エフェクチュエーション的起業家が**「予測ではなくコントロールに依拠する」**ことを強調している(Sarasvathy, 2001, p. 252)。小倉が宅急便を構想した時点で「個人間宅配市場」は存在しなかった。存在しない市場の規模を予測することは不可能である。
小倉は予測の代わりに、**「損益分岐点の集荷密度を達成するために自分が何をすべきか」**を考えた。これは市場の未来を予測するのではなく、自分の行動で市場を作るという思考法であり、「飛行機のパイロット」原則そのものである。
小さな行動からの市場形成
初日の取扱個数が11個であったという事実は、市場創造が一夜にして起こるものではないことを示している。酒販店を一軒ずつ回り、取次店を増やし、集荷密度を高めていく。Sarasvathy(2001)が指摘するように、エフェクチュエーション的起業家は**「コントロール可能な範囲で行動し、その範囲を漸進的に拡大する」**(Sarasvathy, 2001, p. 252)。小倉の行動はこの漸進的拡大の典型例であった。
実務への示唆——規制すら「変数」である
ヤマト運輸の事例が実務家に示す教訓は三つある。第一に、規制は「制約条件」ではなく「変数」である。規制環境が不利であっても、行政訴訟や世論形成を通じて変えることが可能な場合がある。飛行機のパイロットは管制塔の指示に従うだけでなく、不合理な指示に対しては異議を申し立てる。
第二に、「存在しない市場」は最大の機会である。競合がいないのは市場がないからではなく、誰もまだ作っていないからかもしれない。宅急便以前、日本人が「個人間で荷物を翌日届けたい」と思っていなかったわけではない。手段がなかっただけである。
第三に、市場創造は漸進的プロセスである。初日11個から年間3億個へ。この成長は一気に達成されたものではなく、取次店の一軒ずつの開拓、路線の一本ずつの追加という地道な行動の蓄積であった。未来を「作る」ことは、日々の小さな行動の連続によって実現される。
「飛行機のパイロットの原則」での原則解説と「エフェクチュエーション事例集」も参照されたい。
引用・参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- 小倉昌男 (1999).『小倉昌男 経営学』日経BP社.
- 都築幹彦 (2007).『ヤマト運輸の「宅急便」30年の軌跡——小倉昌男のDNA』ダイヤモンド社.
- Read, S., Sarasvathy, S. D., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.