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めいかぶるまーけっと
「市場を発見する」という前提を疑う
多くのビジネス書や経営戦略論は、市場を「すでにそこに存在するもの」として捉える。起業家の仕事は市場調査によって未開拓の機会を発見し、そこに参入することだという考え方である。Porter(1980)の競合分析フレームワークも、Shane & Venkataraman(2000)の機会発見モデルも、基本的にはこの前提に立っている。しかし、Sarasvathy(2001, 2008)はこの前提そのものに異議を唱える。熟達した起業家の意思決定を観察した結果、彼女が発見したのは「市場を発見しようとしている起業家」ではなく、「市場を構築しようとしている起業家」の姿だった。
メイカブル・マーケットとは何か
メイカブル・マーケット(Makeable Market)とは、既存の需要に対応するために発見されるものではなく、起業家が保有する手段(means)と自発的なコミットメントを持つパートナーとの相互作用を通じて、動的に形成される市場のことである(Sarasvathy, 2008, pp. 72–85)。
この概念が明示的に示すのは、3つの特性である。
- 事前不可知性: 市場は起業行為を開始する前には存在しない。したがって市場調査によって「正確な需要」を事前に把握することは原理的に不可能である
- 共同構築性: 市場は起業家単独では形成できない。パートナー、顧客、サプライヤー、時には競合他社さえも含むステークホルダーとの相互作用によって、市場の輪郭が決まっていく(クレイジーキルト原則)
- 手段依存性: 市場の形はゴールから逆算されるのではなく、起業家が「今持っているもの(who I am / what I know / whom I know)」という手中の鳥の原則から出発して決まる
コーゼーション的市場観との根本的な違い
コーゼーション(Causation)的アプローチでは、市場は独立した客観的実体として存在し、起業家はその市場に「適合」するために事業を設計する。このアプローチが機能するのは、需要が安定しており、競合の行動が予測可能で、技術が成熟している場合である。
エフェクチュエーション的アプローチにおけるメイカブル・マーケットの概念は、これとは正反対の前提に立つ。市場は行動の「前提条件」ではなく「結果」である。起業家は、まず行動してコミットメントを得ることで市場の形を変えていく。Sarasvathy(2001, p. 252)はこの対比を以下のように定式化している。
コーゼーション:所与の目的に対して最適な手段を選択する エフェクチュエーション:所与の手段に対して達成可能な目的を選択する
市場は目的を実現するための場(field)ではなく、手段と行為の組合せから生まれる創発的構造(emergent structure)なのである。
「予測不能な環境」という条件
メイカブル・マーケットの概念が有効に機能するのは、ナイトの不確実性——確率分布すら推定できない真の不確実性——が支配する環境においてである(Knight, 1921)。スタートアップの創業初期、まだ誰も試みていない技術の商業化、社会課題を起点とした新しいサービスなど、「市場が今後どう形成されるか誰にも分からない」状況が典型的な適用領域だ。
Sarasvathy(2008, pp. 85–90)は、このような環境では「飛行機のパイロット(Pilot in the Plane)」の比喩が示すように、天候(市場)を予測して適応するのではなく、操縦(行動)によって直接的に状況を変えていくことが合理的だと主張する。
実践的含意:「市場があるかどうか」は問わなくてよい
メイカブル・マーケットの概念は、実践家にとって大きな解放をもたらす。「この市場は本当に存在するか」「需要があることを証明できるか」という問いに答えることに多大なエネルギーを費やす必要がなくなるからである。代わりに問うべきは次のことだ。
- 自分が今持っている手段(スキル・人脈・資源)で何が始められるか
- 誰がこのプロジェクトにコミットしてくれそうか
- 最初の一歩で得られるフィードバックは何か
これらの問いに答えながら行動することで、市場は創造されていく。Sarasvathy(2008, p. 72)が述べるように、「熟達した起業家は市場を探しに行かない。彼らは市場を作りに行く」のである。
引用・参考文献
- Knight, F. H. (1921). Risk, Uncertainty and Profit. Houghton Mifflin.
- Porter, M. E. (1980). Competitive Strategy: Techniques for Analyzing Industries and Competitors. Free Press.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Shane, S., & Venkataraman, S. (2000). The promise of entrepreneurship as a field of research. Academy of Management Review, 25(1), 217–226.
- サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.