目次
- English
- Mie Augier
- 肩書
- 教授
- 所属
- 米海軍大学院(Naval Postgraduate School)経営学・国防分析学部
- 役割
- 研究者教授Herbert Simon研究者
サイモンの遺産と「管理の科学的人工物」
Herbert A. Simon が2001年に亡くなったとき、彼の知的遺産は整理と継承を必要としていた。限定合理性(Bounded Rationality)という概念は経済学と経営学に根本的な問い直しをもたらしたが、その晩年の思想——とりわけ*設計科学(Science of the Artificial)*に関連する組織論的含意——は、主流の経営学研究において十分に咀嚼されていなかった。
ミー・オージエ(Mie Augier)はこの空白を埋めた研究者の一人である。彼女はSimonの同僚や後継者たちへのインタビューと文献研究を通じて、Simon思想の形成史と発展の軌跡を追跡した。2004年にはJames March との共編著 Models of a Man: Essays in Honor of Herbert A. Simon(MIT Press)を発表し、認知科学・人工知能・経済学・経営学にまたがるSimonの知的全体像の整理に貢献した。
Sarasvathy との共著:進化・認知・設計の統合
オージエがエフェクチュエーション研究の文脈で特に重要なのは、Saras D. Sarasvathy との共著論文「Integrating Evolution, Cognition and Design: Extending Simonian Perspectives to Strategic Organization」(Strategic Organization, 2004, 2(2), 169–204)によってである。
この論文の問いは根本的だった——Simonが示した「設計する知性(designing intelligence)」という概念は、戦略論と組織論においてどのように継承・発展されるべきか。オージエとSarasvathyは、Simonの晩年の思想が戦略論研究において誤解されているか、あるいは無視されていると主張した。
特に彼女たちが問題視したのは、進化論的視点(組織は環境に適応する)・認知論的視点(行為者は限定合理性のもとで意思決定する)・設計論的視点(行為者は環境を能動的に形成できる)の3つが、経営学の議論においてしばしば互いに切り離されて扱われることだった。Simonの設計科学は、この3つを統合するフレームワークとして機能する可能性を持っていた——しかし主流の戦略論研究はその統合可能性を活かしきれていない、というのが彼女たちの診断だった。
オージエとSarasvathyが示した代替的立場は、こうである。不確実性が支配する状況において、行為者は環境への適応に終始するのではなく、能動的に環境を「設計」することができる。そしてこの設計的行為を支える知識論がエフェクチュエーションである。エフェクチュエーションは単なる起業の実践論ではなく、Simonの設計科学という知的基盤に根ざした認識論的立場として位置づけられる。
限定合理性と「起業家的合理性」
オージエの研究における もう一つの重要な問いは、「限定合理性とは何の限界なのか」という根本問題の再検討である。
Simon の限定合理性は、しばしば「人間の認知能力の不足・欠如」として読まれてきた。完全な情報処理能力を持つ合理的経済人に対する、制約を受けた「不完全な」バージョンとして。しかしオージエは、この読み方がSimonの意図を歪めていると論じる。Simonにとって限定合理性は欠陥ではなく、「有限な認知能力の中でいかに賢く判断するか」という設計の問いへの出発点だった。
この読み直しはエフェクチュエーション理論と深く共鳴する。Sarasvathy(2001)が示した熟達した起業家の意思決定は、完全な合理性を欠いているのではなく、不確実性の中で有効な設計を行うための別種の合理性——「起業家的合理性」と呼べるもの——を体現している。期待リターンの最大化ではなく許容可能な損失の見極め、機会の発見ではなく機会の構築、環境への適応ではなく環境の設計。これは合理性の失敗ではなく、不確実性に適した設計者の知性の発現である。
戦略論教育と「設計するリーダー」
現在オージエが所属する米海軍大学院(Naval Postgraduate School)は、軍事戦略・国防政策・安全保障の教育機関であるが、組織論・意思決定論・リーダーシップ研究においても学術的な蓄積を持つ。オージエはここで戦略論・組織論の教育に従事しながら、「不確実性のもとでいかに判断し組織を率いるか」という問いを実践的文脈で探究している。
この文脈での彼女の問いは、エフェクチュエーション理論の核心と通底する。予測に依存しない意思決定、コントロール可能な範囲への集中、ステークホルダーとの関係構築による環境の能動的形成——これらは軍事組織のリーダーシップ問題としても、起業家の意思決定問題としても、同じ設計科学的フレームから論じることができる。
Simonを「架け橋」として読む
オージエの研究がエフェクチュエーション研究者にとって持つ意義は、Herbert Simonという思想家をエフェクチュエーション理論の単なる「先駆者」としてではなく、現代の組織論・戦略論・起業家研究を横断する「架け橋」として読む視点を提供することにある。
Sarasvathyは自らの博士課程での経験をしばしば回顧している——Simonのもとで学んだ「設計者の問い(What might be?)」と「発見者の問い(What is?)」の差異が、エフェクチュエーション理論の認識論的核を形成したと(Sarasvathy, 2008, p. ix。間接引用)。オージエはこの師弟関係の知的内実を、Simon思想の精密な追跡によって裏付けた研究者の一人である。
関連項目
- サラス・サラスバシー — 共著者・エフェクチュエーション理論の提唱者
- ハーバート・サイモン — オージエが継承・発展させた設計科学の提唱者
- アントレプレナリアル・デザイン — オージエ&Sarasvathy論文の中核概念
- エフェクチュエーション — 設計科学的フレームから解釈される起業の理論
- 非予測的コントロール — 予測より制御を優先する、設計者の認識論
- 起業家精神を「人工物の科学」として読む——Sarasvathy(2003) — 設計科学とエフェクチュエーションの接続を詳解する記事
引用・参考文献
- Augier, M., & Sarasvathy, S. D. (2004). Integrating evolution, cognition and design: Extending Simonian perspectives to strategic organization. Strategic Organization, 2(2), 169–204.
- Augier, M., & March, J. G. (Eds.). (2004). Models of a man: Essays in honor of Herbert A. Simon. MIT Press.
- Simon, H. A. (1996). The sciences of the artificial (3rd ed.). MIT Press.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2003). Entrepreneurship as a science of the artificial. Journal of Economic Psychology, 24(2), 203–220.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of entrepreneurial expertise. Edward Elgar.