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Netflix——DVDの郵送から始まり、ハリウッドの権力構造を書き換えた

Reed HastingsがDVDレンタルからストリーミング、コンテンツ制作へと自ら業界を変革し続けた事例をエフェクチュエーションの「飛行機のパイロット」原則で分析する。

約10分
目次

導入——三度の「市場の再定義」

企業の歴史において、業界の構造を一度変えるだけでも偉業である。Netflix はDVDレンタル、動画ストリーミング、オリジナルコンテンツ制作と、三度にわたってエンターテインメント産業の構造を変革した。

注目すべきは、これらの変革が市場予測に基づくものではなかったことである。各段階において、Netflix は自らの行動で市場の定義そのものを書き換えた。エフェクチュエーション理論の「飛行機のパイロット」原則——未来を予測するのではなく、コントロールする——が、Netflix の連続的変革を貫く一本の糸である。

企業・人物の概要——延滞金40ドルから始まった革命

Reed Hastings は1960年生まれ、スタンフォード大学でコンピュータサイエンスの修士号を取得した。最初の起業である Pure Software を1997年に売却した後、映像レンタル業界への参入を決めた。

有名な逸話として、Hastings が Blockbuster で借りた映画『Apollo 13』の延滞金40ドルに憤慨したことが Netflix 創業のきっかけとされる(本人は後にこの話を「神話化された」と認めている)。実際には、共同創業者の Marc Randolph と共に、DVDという新しいメディアの郵送可能性(薄くて軽い)に着目し、1997年に Netflix を設立した。

当時、映像レンタル市場は Blockbuster が圧倒的な支配者であり、全米に9,000店舗以上を展開していた。Netflix がこの巨人を倒す未来を「予測」した人間は皆無であった。

イノベーションの経緯——三段階の市場創造

第一段階:サブスクリプションモデルの発明

Netflix は当初、DVDを一枚ずつオンラインで注文し、郵送で受け取る仕組みであった。しかし1999年、月額定額制(サブスクリプション)で借り放題というモデルを導入した。

これは当時の映像レンタル業界には存在しなかった概念である。Blockbuster のビジネスモデルは延滞金が収益の大きな柱であった。Netflix は延滞金という「業界の常識」を廃止し、顧客体験を根本から変える行動に出た。市場調査の結果ではなく、Hastings 自身が感じた不合理さを解消する行動であった。

第二段階:ストリーミングへの転換

2007年、Netflix は動画ストリーミングサービスを開始した。当時のブロードバンド普及率と回線速度を考えれば、「時期尚早」という判断が合理的であった。実際、初期のストリーミングライブラリはDVDカタログの何分の一かであり、画質も低かった。

しかし Hastings は、ストリーミングが「将来いつか主流になる」のを待つのではなく、自らの行動でストリーミング市場を形成した。DVDレンタルが好調な時期にストリーミングへの投資を加速させるという判断は、既存事業のカニバリゼーション(自食い)を恐れない姿勢の表れであった。

第三段階:コンテンツ制作への進出

2013年、Netflix は自社制作ドラマ『House of Cards』を全話同時配信した。ハリウッドのスタジオが「コンテンツ制作」を、テクノロジー企業が「配信」を担うという業界の分業構造を、Netflix は自ら破壊した。

全話同時配信という手法も業界に存在しなかった。視聴者の「ビンジウォッチング(一気見)」という新しい消費行動を、Netflix が市場に導入したのである。従来のテレビの「毎週1話放送」というフォーマットは、予測に基づく配信戦略であった。Netflix は自ら新しい視聴体験を定義することで、予測を不要にした。

既存企業の対応遅れ

Blockbuster は2010年に破産した。Netflix のストリーミングが急成長する中、Blockbuster は店舗型ビジネスモデルを守ろうとし、環境の変化に受動的に対応しようとした。一方 Netflix は常に自らの行動で環境を変える側に立ち続けた。この対比は「飛行機のパイロット」原則の有効性を鮮明に示している。

エフェクチュエーション原則の分析——「飛行機のパイロット」の連続適用

未来を「作る」ことの連続性

Sarasvathy(2008)は「飛行機のパイロット」原則を、「未来はコントロールできる範囲において予測する必要がない」と要約している(Sarasvathy, 2008, p. 91)。Netflix の事例が特異なのは、この原則が一度ではなく三度にわたって適用されたことである。

DVDサブスクリプション → ストリーミング → コンテンツ制作。各段階で、Netflix は既存市場を分析して最適な戦略を選んだのではなく、自らの行動で新しい市場を創出した。

自己カニバリゼーションとコントロール

Sarasvathy(2001)は、エフェクチュエーション的起業家が**「自らの行動で環境を形成するため、予測に頼る必要がない」**と指摘する(Sarasvathy, 2001, p. 252)。Netflix がDVD事業の成功を「守る」のではなくストリーミングに移行した判断は、自社の未来を自らコントロールする意思の表明であった。

DVDレンタルの市場がいつ縮小するかを「予測」するのではなく、自らストリーミングを推進することで、市場変化のタイミングと方向をコントロールした。

消費行動の設計

全話同時配信、レコメンデーションアルゴリズム、プロフィール機能——Netflix は視聴者の行動パターンそのものを設計した。Sarasvathy(2008)の表現を借りれば、Netflix は**「市場を発見した」のではなく「市場を構成した」**のである(Sarasvathy, 2008, p. 92)。

因果論との対比

因果論的に映像配信事業を始めるなら、市場規模予測、技術的成熟度の評価、競合分析を経て、「最適なタイミング」で参入するだろう。Netflix は**「最適なタイミング」を待つのではなく、自らの参入によってタイミングを決定した**。2007年のストリーミング開始は、技術的に見れば「早すぎた」が、Netflix はその「早さ」を利用して市場を独占する先行者優位を構築したのである。

実務への示唆——自社の成功を「破壊」する覚悟

Netflix の事例が示す教訓は三つある。第一に、自社の成功モデルを自ら破壊する覚悟が市場創造の前提である。DVDレンタルが好調なときにストリーミングに移行する判断は、既存事業への執着を断ち切ったからこそ可能であった。飛行機のパイロットは、晴天のルートに固執せず、新しい航路を切り拓く。

第二に、「市場の準備が整っていない」は行動しない理由にならない。ストリーミングの技術基盤が未成熟な段階で参入し、市場とともに基盤を育てた。未来を作る側に立つなら、完璧な条件を待つ必要はない。

第三に、**連続的な市場創造を可能にするのは「学習の蓄積」**である。DVDサブスクリプションで培った顧客理解とデータ活用能力が、ストリーミングのレコメンデーション、さらにはコンテンツ制作の意思決定に活かされた。

「飛行機のパイロットの原則」での原則解説と「エフェクチュエーション事例集」も参照されたい。


引用・参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Hastings, R., & Meyer, E. (2020). No Rules Rules: Netflix and the Culture of Reinvention. Penguin Press.
  • Keating, G. (2012). Netflixed: The Epic Battle for America’s Eyeballs. Portfolio.
  • Read, S., Sarasvathy, S. D., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.

参考書籍

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