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新規事業の企画書は、なぜキャンバスから始まるのか
新規事業の企画会議で、ホワイトボードに9マスの図が描かれる場面は珍しくない。ビジネスモデルキャンバスである。アレックス・オスターワルダーとイヴ・ピニュールが『ビジネスモデル・ジェネレーション』(Osterwalder & Pigneur, 2010)で紹介した枠組みで、事業の構造を1枚の図に収めて議論できる点が広く受け入れられた。
エフェクチュエーションを学んだ人は、ここで引っかかる。キャンバスの最初に置かれるのは「顧客セグメント」と「価値提案」だ。エフェクチュエーションは逆に、顧客や目的を決める前に「自分は誰で、何を知っていて、誰を知っているか」から始めよと説く。
2つは矛盾するのだろうか。結論から言うと、使う場面が違う。この記事では、キャンバスの特徴を確認し、エフェクチュエーションとの出発点の違いを比べたうえで、両方を同じ机に載せる方法を考える。
ビジネスモデルキャンバスの構造
キャンバスは事業を次の9つのブロックで記述する(Osterwalder & Pigneur, 2010)。
- 顧客セグメント
- 価値提案
- チャネル
- 顧客との関係
- 収益の流れ
- 主要リソース
- 主要活動
- 主要パートナー
- コスト構造
右側の4つが「誰に何を届け、どう稼ぐか」、左側の4つが「そのために何を持ち、何をするか」、下段がコストと収益である。事業全体を1枚で見渡せるため、チームで議論するときの共通言語になる。
ここで重要なのは、キャンバスの各ブロックが仮説の置き場として使われることだ。のちに広まったリーンスタートアップの流れでは、キャンバスに書いた内容を「検証すべき仮説」とみなし、顧客に会って確かめては描き直す。キャンバスは完成させる書類というより、書き直し続ける作業面である。
エフェクチュエーションとの出発点の違い
エフェクチュエーションは、手中の鳥の原則にもとづき、起業家が「自分は誰か」「何を知っているか」「誰を知っているか」から出発する(Sarasvathy, 2008)。目標は最初から固定せず、手持ちの手段でできることを考え、会った人との対話の中で形を変えていく。
この2つを並べると、キャンバス上のどこから埋め始めるかに違いが出る。
| 観点 | ビジネスモデルキャンバス | エフェクチュエーション |
|---|---|---|
| 最初に考えるもの | 顧客セグメントと価値提案 | 自分の手段(誰・何・誰を知っているか) |
| 顧客・パートナーの位置づけ | 検証の相手・提供先 | 手段を持ち寄り、事業の方向を一緒に決める相手 |
| 全体像の扱い | 早い段階で9ブロックを一度描き切る | 全体像は行動の結果として後から立ち上がる |
| 資源の考え方 | 価値提案を実現するために必要なものを洗い出す | 今あるものから何ができるかを考える |
| 失敗の扱い | 仮説が外れたら描き直す | 失っても耐えられる範囲で試し、外れても学びを次の手段にする |
どちらも「最初の計画を正解と思わない」点では一致する。違うのは、最初に置く問いである。キャンバスは「誰のどんな課題を解くか」を先に問い、エフェクチュエーションは「いま何ができるか」を先に問う。
キャンバスが向く局面、エフェクチュエーションが向く局面
キャンバスが力を発揮するのは、事業の候補がすでに見えていて、その構造を点検したい局面である。既存事業の新サービスや、顧客が誰かある程度見当のつく新規事業では、9ブロックを埋めることで抜けを見つけられる。収益の流れが書けない、主要パートナーが空白だ、といった穴がすぐ分かる。
一方、起業家本人が「何を事業にするか」をまだ決められていない段階では、キャンバスの最初の2ブロックが埋まらない。顧客セグメントも価値提案も仮置きの言葉で埋めると、本当は手段から出発したいのに、無理に顧客像を作ってしまいかねない。この段階では、手中の鳥のインベントリーのような手段の棚卸しから入るほうが、無理がない。
組み合わせ方:キャンバスを「手段の棚」と「実験の記録」に使う
両者は、キャンバスの使い方を少し変えるだけで同じ机に載る。
1. 左側のブロックを先に書く。 主要リソースと主要パートナーのブロックに、自分の手持ちの手段と、すでに知っている人を書き込む。ここは「必要なもの」ではなく「今あるもの」を書く場所に読み替える。エフェクチュエーションの手中の鳥の棚卸しが、そのままキャンバスの左側になる。
2. 右側は仮置きにとどめる。 顧客セグメントと価値提案は、最初から確定させず、付箋の色を変えるなどして「いま一番ありそうな案」だと分かるようにしておく。確定させるのは、実際に会って反応を得てからでよい。
3. 許容可能な損失の範囲で試し、結果を書き戻す。 許容可能な損失の範囲で小さく試し、得られた反応や、会った人から出た提案をキャンバスに書き戻す。会った相手が手段を持ち寄ってくれたなら、主要パートナーのブロックが埋まり、価値提案の中身も変わることがある。これはクレイジーキルトの原則が描く事業の育ち方と同じ動きだ。
4. 版を残す。 描き直すたびに日付を付けて残しておくと、事業の形がどの会話で変わったかを後から追える。エフェクチュエーションでいう「目的が行動の中で形づくられる」過程の記録になる。
気をつけたい点
キャンバスを使うときに避けたいのは、9マスが埋まったことで「計画ができた」と感じてしまうことだ。エフェクチュエーションの視点から見ると、埋まった9マスは、現時点の手段と出会いから組み上がった暫定の形にすぎない。次に誰と会うかで、価値提案もパートナーも変わりうる。
逆に、エフェクチュエーションを実践する側にも注意がある。手段から出発することは、顧客や市場を見なくてよいという意味ではない。キャンバスの右側の空白は、まだ会っていない相手がいることを示すチェックリストとして使える。
まとめ
ビジネスモデルキャンバスは事業の構造を点検し、仮説を書き直し続けるための道具であり、エフェクチュエーションは、手持ちの手段と出会った人との約束から事業の形を決めていく意思決定の理論である。出発点は違っても同じ机に載せられる。左側のブロックに手段と人を書き、右側は仮置きにして、小さな実験のたびに書き戻す。そうすればキャンバスは「埋める書類」から、事業が育っていく過程を残す記録に変わる。
引用・参考文献
- Osterwalder, A., & Pigneur, Y. (2010). Business Model Generation: A Handbook for Visionaries, Game Changers, and Challengers. Wiley.
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.