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「市場を探す」という発想そのものの限界
新規事業立案の現場では、ある問いが繰り返される。「どの市場を狙うか」。市場規模を調べ、競合をマッピングし、自社がどのセグメントで勝てるかを分析する——これが因果論的(causal)アプローチの典型的な出発点だ。
しかし、この問い立てには根本的な矛盾が内包されている。「まだ存在しない市場」は、調査によって発見できない。市場調査が有効なのは、すでにある程度の輪郭を持った市場に対してである。フードデリバリー、個人間宿泊、スキルシェアリング——今日ではあたりまえに存在するこれらの市場は、プレイヤーが登場する以前には「市場」として認識されていなかった。
Sarasvathy & Dew(2005, p. 534)はこの問題を明確に定式化している。市場は「発見(discovery)」されるのではなく、「変換(transformation)を通じて創造される」のだと。この洞察は、新市場への参入を考える実務者にとって根本的な認識の転換を要求する。
コーゼーションが「解けない問題」の構造
コーゼーション(因果推論)は、目標を設定し、その目標を達成するための最適手段を選択する思考ロジックだ。Sarasvathy(2001, p. 245)が定義するコーゼーションの本質は「所与の目的のもとで、その達成に最適な手段を選択する」ことにある。
コーゼーション的アプローチが威力を発揮するのは、目的が明確で、手段の評価基準が確立されており、競合他社の動きが予測可能な環境——つまり「既存市場での競争」の文脈においてである。しかし、市場創造という文脈では、この3条件が根本的に成立しない。
まず目的が不明確だ。「フードロス削減で儲ける」という目的を設定できたとして、それが市場として成立するかどうかは、参入してみないとわからない。次に手段の評価基準が存在しない。既存市場なら同業他社との比較で手段を評価できるが、先行事例のない市場では評価基準そのものを自分で作らなければならない。そして競合の動向が予測不能だ。既存市場の競合は分析可能だが、新市場では誰が競合になるかすら事前にはわからない。
原典では〜と言えば、Sarasvathy(2001, p. 251)が提示した「騎士の問題(the knight’s move problem)」がこの状況を端的に表現している。チェスの騎士(ナイト)は、将来の位置を予測するために現在の位置を把握しなければならないが、新市場においては「チェスボードの形そのもの」が未確定なのだ。
エフェクチュエーションが提供する代替論理
Sarasvathy(2001)が27名の熟達した起業家のプロトコル分析から導き出したエフェクチュエーション理論は、市場創造のプロセスに対してコーゼーションとは根本的に異なる論理を提供する。
エフェクチュエーションの出発点は「目標からの逆算」ではなく、「手中の手段からの発散」だ。手中の鳥(Bird in Hand)原則が示す通り、エフェクチュアルな起業家は「自分は何者か(Who I am)」「何を知っているか(What I know)」「誰を知っているか(Whom I know)」という3種の手段目録から出発する(Sarasvathy, 2008, p. 16)。
この出発点の違いが、市場創造のプロセス全体を変える。コーゼーション的な起業家が「どの市場に入るか」を問うのに対し、エフェクチュアルな起業家は「自分の手中にある手段で、どんな価値を誰に提供できるか」を問う。この問いへの応答として生まれる価値提案は、既存市場のカテゴリには収まらないことが多い。その「収まらなさ」こそが、新市場創造の起点となる。
Sarasvathy & Dew の市場変換論
Sarasvathy & Dew(2005)の論文「New market creation through transformation」は、エフェクチュエーション理論と市場創造を正面から接続した先駆的研究だ。そこで示された核心的な主張はシンプルだ——新市場の創造は3種の変換プロセスを通じて達成される、と。
第1の変換:資源の再結合(recombination of resources)
既存の資源・技術・知識を、これまでとは異なる文脈で組み合わせることで新たな価値が生まれる。Sarasvathy & Dew(2005, p. 540)は、この再結合が「既存の市場カテゴリの境界を溶かす」と論じる。電話とインターネットの再結合がVoIPという市場を生んだように、まったく新しい技術の発明よりも「既存の手段の新しい組み合わせ」の方が、新市場創造の出発点になることが多い。手中の鳥原則が問うのもそこだ——今の手段目録を深く把握するほど、再結合の可能性は広がる。
第2の変換:コミットメントによる共創(co-creation through commitment)
新市場は、設計者が一方的に「設計して立ち上げる」ものではなく、初期のステークホルダーとのコミットメントを通じて共に作り上げられる。Sarasvathy & Dew(2005, p. 542)は、この共創プロセスを「クレイジーキルト的市場形成」と呼ぶ。
この表現は正確だと思う。新市場の形成においてクレイジーキルト的なパートナーシップが果たすのは、リスク分散だけではない。それは市場そのものの輪郭を定義するプロセスでもある。パートナーがコミットを表明するたびに、新市場の「形」が少しずつ確定していく。市場は最初から「そこにある」のではなく、コミットメントの連鎖の中で徐々に現れ出るものなのだ。
第3の変換:偶発性の統合(integration of contingency)
新市場の創造プロセスでは、設計者の当初の想定とは異なる展開が必ず起きる。コーゼーション的な思考ではこれを「計画の失敗」として処理する。エフェクチュアルな起業家はそれを「市場の形を再定義するシグナル」として読み取る——これがレモネード原則の働きだ。
Sarasvathy & Dew(2005, p. 547)は、成功した新市場創造の事例の多くが「創業者の当初の意図とは大きく異なる形に着地した」という実態を指摘している。YouTubeが動画デートサービスから汎用動画プラットフォームへ転換したように、偶発的な用途の発見が市場の「正しい形」を教えてくれることがある。
「無消費」という新市場の探索原理
市場創造を実践するうえで有用な概念が「無消費(non-consumption)」だ。無消費とは、潜在的なニーズが存在しているにもかかわらず、それを解決する選択肢が存在せず、そのためにニーズそのものが「ニーズとして認識されていない」状態を指す。
無消費領域の特徴は、既存の競合が存在しないことだ。競合がいないということは、市場調査によって「競合比較」を行うことができない。この「調査できない」という特性が、コーゼーション的なアプローチを無力化する。
エフェクチュエーション的なアプローチでは、「調査できない」状況は問題ではない。手中の手段から出発して価値提案を構築し、最初のコミットメントを獲得するという行動ベースのプロセスは、市場調査なしに実行可能だからだ。
無消費領域への参入における最初の問いは「この市場は存在するか」ではなく、「今の自分の手段で、解決されていない誰かの困りごとを解決できるか」だ。この問いの立て方が、コーゼーション的な市場分析では見えてこない機会を明らかにする。
飛行中のパイロット原則と市場創造の実践
飛行機のパイロット(Pilot in the Plane)原則——「予測への適応ではなく、行動によって未来を制御する」——は、市場創造の文脈において特に重要な意味を持つ。
Sarasvathy(2008, p. 89)は、エフェクチュアルな起業家の特徴として「未来は予測するものではなく、作るもの(the future is not to be predicted but to be created)」という認識を挙げる。新市場の創造において、この原則は文字通りに適用される。まだ存在しない市場は予測できない。しかし行動を通じて、存在させることはできる。
因果論的なアプローチは「予測可能な未来のための最適計画」を求める。しかし市場創造においては、予測が不可能な以上、計画の精緻化ではなく行動の反復と学習が唯一の有効な手法となる。飛行中のパイロット原則が示す「予測不能な環境では制御可能な変数に集中せよ」という指示は、市場創造の文脈では「今の手段で起こせる行動に集中し、その結果から学べ」という実践方針として読み替えることができる。
市場創造のエフェクチュアルなプロセス:統合モデル
理論を整理したところで、実践の手順を示す。5つのフェーズは順番通りに進むものではなく、並走したり行き来したりするものだ。それでも出発点は一つしかない。
フェーズ1:手段の棚卸し(Bird in Hand) 「どの市場を狙うか」という問いを捨て、「自分は今何を持っているか」から始める。知識・技術・人脈・資産を並べ、これらの組み合わせが解決できる「誰かの困りごと」を発散的に探す。地図より羅針盤を持て、という話だ。
フェーズ2:最初のコミットメント獲得(Crazy Quilt) 最小規模の価値提案を具体的な相手に持ちかけ、コミットメントの表明を求める。金銭でなくていい。「それなら関わりたい」「誰かを紹介する」——その一言が新市場の輪郭を形成し始める。
フェーズ3:偶発性の積極的統合(Lemonade) 想定外の使われ方や、計画外のパートナーの登場を「市場からのシグナル」として読み取る。逸脱は失敗ではない。市場が「自分の正しい形」を教えてくれている、と解釈する。
フェーズ4:許容可能な損失でのフィードバックループ(Affordable Loss) 各フェーズでの投資規模を「失敗しても耐えられる損失」の範囲に設定する。市場創造は一度の賭けで完結しない。反復的なフィードバックの蓄積が、市場の形を確定させていく。
フェーズ5:行動による未来の制御(Pilot in the Plane) 調査結果を待たず、最小の行動(プロトタイプ・対話・小さな売買)を繰り返す。各行動が情報を生み、その情報が次を方向づける。この反復そのものが、未経験の市場を「現実のもの」にしていく。
エフェクチュアルな市場創造者の認識論的特徴
Sarasvathy(2001, p. 252)が観察した熟達した起業家と初心者の起業家の最大の差異は、能力や経験の差ではなく認識論的な差にあった。
熟達した起業家は「不確実性を減らしてから行動する」のではなく、「不確実性のある状況で行動することで不確実性を減らしていく」という逆説的な認識を持っていた。市場創造の文脈でこれを言い換えれば、「市場が存在することを確認してから参入する」のではなく、「参入することで市場を存在させる」という認識のシフトが、エフェクチュアルな市場創造者の本質的な特徴だということだ。
この認識のシフトは、理論的な洗練として提示されているが、実践的には深い心理的変容を伴う。市場が存在することの保証なしに動くことへの不安——それを乗り越えるために、許容可能な損失原則が「行動のための心理的許可」として機能する。「失っても大丈夫な範囲での行動」という定式化が、市場創造という本質的に不確実な活動への参入障壁を下げるのだ。
引用・参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Sarasvathy, S. D., & Dew, N. (2005). New market creation through transformation. Journal of Evolutionary Economics, 15(5), 533–565.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
- Dew, N., Read, S., Sarasvathy, S. D., & Wiltbank, R. (2008). Outlines of a behavioral theory of the entrepreneurial firm. Journal of Economic Behavior & Organization, 66(1), 37–59.
- サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.
- 吉田満梨 (2018).『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』ダイヤモンド社.