実践 | 論文

公共部門とエフェクチュエーション——政策イノベーションにおける手段起動型意思決定

政策立案は計画型の権化とされるが、危機対応・自治体DX・規制サンドボックスではエフェクチュエーション的意思決定が不可欠だ。Sarasvathy(2008)の5原則を政策文脈に再解釈し、会津若松スマートシティと金融庁サンドボックスの事例から公共部門における手段起動型イノベーションの論理を読み解く。

約19分
目次

“The pilot-in-the-plane principle suggests that the future can be substantially shaped and controlled by the actions of entrepreneurs working with self-selected stakeholders.”

— Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing, p. 89.

公共部門は「計画型の権化」なのか

政策学・行政学の文脈において、公共部門は計画型意思決定——コーゼーション——の牙城とされてきた。目標を先に設定し、必要な手段を逆算し、予算と期間を固定し、計画通りの実行を測定する。議会への説明責任、会計検査、国民への情報公開——この制度設計そのものが、「ゴールを先に決める」という思想に基づいている。

しかし、この前提は2010年代以降の政策現場では大きく揺らいでいる。

COVID-19パンデミック下の危機対応、前例のないデジタル社会インフラの構築、フィンテックや民泊のような既存法制度が想定しなかったビジネスモデルへの規制対応——これらの状況は、「目標が事前に定義できない」という性質を共有している。正確に言えば、目標を定義できないのではなく、「目標の形成そのものが行動と相互作用の産物である」という、ナイトリアン不確実性の領域に踏み込んでいる。

Sarasvathy(2008)が定義したエフェクチュエーションの5原則は、起業家研究の文脈で構築されたが、その認識論的基盤はナイトリアン不確実性下における合理的行動の一般理論として読める(pp. 68–100)。公共部門のイノベーション実践を、この理論レンズで再解釈することに意義がある。


エフェクチュエーション理論の認識論的前提:公共部門への接続

予測可能性の喪失という共通条件

Sarasvathy(2001)がエフェクチュエーション理論を構築した出発点は、熟達した起業家が「将来を予測して計画を立てる」のではなく「手元の手段で制御できる未来を形成する」という認知パターンを示すという観察であった(p. 244)。

この観察の背後にある問いは、公共部門のイノベーション担当者も同様に直面している。スマートシティの設計において、10年後の市民の行動様式は予測できない。フィンテックの規制において、3年後のビジネスモデルの形は業者自身も分からない。地方創生において、人口動態と産業構造の変化は線形予測を許さない。

予測が機能しない領域では、コーゼーション的な計画立案は「計算の根拠が存在しない」という根本問題に直面する。

Hjorth & Steyaert(2004)は、起業(Entrepreneurship)を「公共空間の創造的占有(creative occupation of public space)」として論じ、起業的行為と公共的行為の交差点を分析した(p. 8)。政策イノベーションにおいては、政策立案者が「起業家的認知」を持って動くことが、変化の速い現実への適応を可能にするという主張は、この文脈において読み取れる。

飛行機のパイロット原則の政策文脈への再解釈

Sarasvathy(2008)が提示した5原則の中で、飛行機のパイロット(Pilot-in-the-Plane)原則は政策文脈への接続が最も直接的だ(pp. 89–100)。

「To the extent that we can control the future, we do not need to predict it.」——この命題は、政策設計における「規制の予防原則」と「規制サンドボックス」の二項対立として現れる。

コーゼーション的な規制設計:想定リスクをすべて事前に予測し、規制の網を張る。フィンテック参入の際に金融業法の全条項を既存モデルに照らし合わせる。問題は、技術や市場が法制度の設計前提を破壊した場合、規制がイノベーションを窒息させる機能を持つ点にある。

エフェクチュエーション的な規制設計:規制の枠組みを「仮設定」し、実際の行動(事業展開)を観察しながら規制の内容を動的に形成する。金融庁が2018年に整備した「金融規制のサンドボックス制度(フィンテック実証実験)」はまさにこの思想構造を持つ。規制の目的(利用者保護・市場の公正性)は事前に設定されるが、その手段(具体的な規制内容)は実験と観察から動的に形成される。これは「目的→手段」ではなく「目的と手段の共進化」という構造だ。


日本事例1:会津若松スマートシティ

手段起動型の都市設計

会津若松市のスマートシティプロジェクトは、2011年の東日本大震災後の復興・地域再生の文脈から始まった。重要なのは、プロジェクトの出発点が「理想のスマートシティ像を定義し、必要な技術・資金を調達する」というコーゼーション的アプローチではなかった点だ。

「今、会津若松にあるもの」から出発している。

会津大学——プログラミング教育の専門大学として国内外に知られる——の存在、Microsoft Japan・野村総合研究所・日本アイ・ビー・エムといった企業との既存関係、市民参加の文化的土台、そして何より「変わらなければならない」という危機意識。これらが手元の手段(Bird-in-Hand)を構成した。

Sarasvathy(2008)が言う「Whom I know(誰を知っているか)」としてのステークホルダー・ネットワークが、プロジェクトの初期リソースとして機能した(p. 16)。

クレイジーキルトの実践

会津若松スマートシティの特徴的な構造は、自発的コミットメントを持ったステークホルダーを段階的に引き込みながら、プロジェクトの形を共同で形成していった点にある。

2011年から数年間の展開は、スマートシティの「完成形」を最初から定義したものではなく、電力の見える化実証実験から健康管理プラットフォームへ、医療データ連携から地域ICT基盤の整備へと、コミットメントを得るたびに目標と手段が再形成された。

これはSarasvathy(2008)のクレイジーキルト原則——「確約してくれるすべてのステークホルダーをパートナーとして受け入れ、彼らが持ち込む資源と制約に合わせてゴールを再形成する」——が公共セクターのプロジェクト設計に具現化された事例として読むことができる(pp. 55–68)。

「会津若松スマートシティ」という概念は、プロジェクト開始前から定義されていたのではなく、多くのステークホルダーのコミットメントが積み重なった後に形成された。ゴールは手段の集積から事後的に可視化された。

許容可能な損失の論理

財政規律が厳しい地方自治体において、大規模な先行投資型のスマートシティ設計は政治的・財務的に成立しない。会津若松の実践が有効だったのは、各フェーズを「失っても許容できる範囲」に設定した小規模実証から始めたという構造にある。

Sarasvathy(2008)の許容可能な損失(Affordable Loss)原則——「期待リターンの最大化ではなく、最悪のシナリオで失う額を事前に確定し、その範囲内で行動する」——は、公的資金を使う自治体が新しい技術に取り組む際の意思決定原理として機能する(pp. 35–50)。

実証実験制度・補助金活用・産学官連携プロジェクトという公共セクター特有の「許容可能な損失の制度化」が、エフェクチュエーション的な試行を可能にする基盤として働く。


日本事例2:金融庁フィンテック・サンドボックス

規制設計における手中の鳥

2018年に金融庁が「フィンテックサポートデスク」「FinTech実証実験ハブ」として整備した規制のサンドボックス制度は、金融規制という分野での手段起動型政策設計の明確な事例だ。(参照:金融庁「フィンテックの取り組みについて」https://www.fsa.go.jp/news/r3/singi/20211005/02.pdf)

制度設計の出発点は「フィンテックの完全な規制体系を事前に設計する」ではなかった。「今ある規制の枠組みの中で、一時的に適用除外を与え、実験・観察・対話を行う」という、既存の法制度(手元の手段)を組み合わせた暫定的な行動から始まった。

これはBird-in-Handの実践——「自分が持つ手段(Who I am: 金融規制当局、What I know: 既存法制度の知識、Whom I know: 既存金融機関・新興事業者のネットワーク)から出発する」——の公共政策的表現だ。

レモネードとしての規制進化

フィンテックサンドボックスが面白いのは、予期せぬ事業展開が規制の改正・整備を促進したという構造にある。

暗号資産交換業・資金決済・電子記録移転権利の出現は、銀行法・資金決済法・金融商品取引法の想定外の境界域に位置した。監督当局が「既存法制度に当てはめる」というコーゼーション的アプローチのみで対応していたなら、法的グレーゾーンの放置または全面的な事業禁止という二択に陥っていた。

実証実験を通じて得た「実際の事業モデル・リスク・利用者行動」のデータが、新たな規制根拠の形成を可能にした。予期せぬ出来事(既存法制度の想定外のビジネスモデル)を機会として活用し、より適切な規制体系を形成するレモネード原則が、ここに機能している(Sarasvathy, 2008, pp. 51–66)。

Read et al.(2011)は、エフェクチュエーション的な起業家が「市場を発見するのではなく創造する」という点を強調しているが(p. 68)、規制当局も同様に「規制対象の市場を発見するのではなく、実験を通じて形成する」という機能を担いうる。


公共部門エフェクチュエーションの構造的特徴

コーゼーションからの脱却が難しい理由

公共部門でエフェクチュエーション的なアプローチを実践することには、構造的な障壁がある。

説明責任の問題:「手元の手段から始めて、目標は後から形成される」という意思決定プロセスは、「なぜそれをやるのか」という事前説明を困難にする。議会・市民・監査機関への説明責任は、コーゼーション的な目標設定と計画提示を要求する。

リスク回避の文化:公共部門の人事評価は失敗を罰する傾向があり、許容可能な損失原則に基づく「失敗を前提とした実験」への心理的・制度的障壁が高い。

調達制度の制約:競争入札・仕様書主義の調達制度は、「仕様が事後的に形成される」プロジェクトと根本的に相性が悪い。

それでもエフェクチュエーションが機能する条件

障壁があるにもかかわらず、エフェクチュエーション的アプローチが公共部門で機能している条件として以下が観察できる。

危機・緊急事態の文脈:平時の説明責任ルールが一時的に緩和される危機状況では、手段起動型の対応が不可欠となる。COVID-19対応における給付金・ワクチン接種体制の構築は、「計画から始める」余裕がなかった。

実証実験・パイロットプロジェクトの制度化:サンドボックス制度・補助金事業・社会実験として制度的に認められた「実験空間」は、許容可能な損失原則が機能する枠組みを提供する。

部門横断・産官学連携プロジェクト:単一の行政組織の枠を超えた連携プロジェクトは、クレイジーキルト型のコミットメント構築を内的論理として持ちやすい。

政治的後援を持つ首長・リーダーの存在:トップの政治的意志が、エフェクチュエーション的な試行の「空間」を守る。会津若松でも、市長のコミットメントがプロジェクトの継続性を担保した。


エフェクチュエーション理論が政策研究に問いかけるもの

Sarasvathy(2008)のエフェクチュエーション理論は、起業家研究の領域で「誰が市場を創るのか」という問いに答えた(pp. 100–120)。公共部門への適用は、この問いを「誰が公共的課題の解決策を創るのか」という問いに変換する。

計画立案のプロフェッショナルが事前に定義した解決策か、多様なステークホルダーが手元の手段から相互作用を重ねて共同で形成する解決策か——この二項対立は、政策科学における「合理的計画モデル」対「インクリメンタリズム(小幅な変更の積み重ね)」の論争と共鳴する。

Hjorth & Steyaert(2004)が「Narrative and Discursive Approaches in Entrepreneurship」で指摘したのは、起業的プロセスは事後的に語られる「合理的物語」として提示されることが多いが、実際の経験は非線形でコンテクスト依存的だという点である(pp. 10–15)。政策イノベーションの事例分析においても、同様の問いが成立する。会津若松スマートシティの「成功物語」は、事後的に整合的に語られるが、その実践の核心にあったのは手元の資源から動き続けた非線形なプロセスだった。


実務への翻訳:公共部門のエフェクチュエーション実践

5原則を公共部門の文脈で再解釈すると以下のようになる。

手中の鳥(Bird-in-Hand)の公共版:「今、この自治体・省庁・機関が持つもの——人材の専門性・既存制度・ネットワーク・データ資産——から出発する。前例のない先進自治体の事例を「目標」に設定し、そこに向けて逆算するのではなく、手元の資源でできる最初の一歩を起点にする。」

許容可能な損失(Affordable Loss)の公共版:「1億円の大規模実証より、100万円の小規模実験を優先する。失敗の教訓が政治的・財務的に吸収できる規模から始める。」

クレイジーキルト(Crazy Quilt)の公共版:「企業・NPO・大学・他の自治体——誰が自発的にコミットしてくれるかを観察し、コミットした者の資源と関心に合わせてプロジェクトの形を調整する。包括的な参加の枠組みを事前に設計するより、コミットメントを集めながら枠組みを形成する。」

レモネード(Lemonade)の公共版:「計画外の出来事——予算削減・担当者の異動・技術の予期せぬ普及——を、プロジェクトの方向性を再定義する機会として捉える。」

飛行機のパイロット(Pilot-in-the-Plane)の公共版:「10年後の社会像を正確に予測しようとするのではなく、今日できる行動を積み重ねることで社会を形成する。政策立案者がパイロットであるとは、計画の実行者ではなく、変化に即応する意思決定者であるということだ。」


まとめ——計画型と手段起動型の共存

公共部門がエフェクチュエーション的なアプローチをすべての場面で採用すべきだという主張は、Sarasvathy(2008)の理論から導けない。Sarasvathyが一貫して強調したのは、コーゼーションとエフェクチュエーションは競合する理論ではなく相互補完的なロジックであるという点だ(p. 73)。

公共部門においても同様だ。予測可能・安定的な行政サービスの提供にはコーゼーションが有効であり、前例のないイノベーションへの対応にはエフェクチュエーションが有効だ。この使い分けを意識することが、政策立案者・行政官・政策研究者に実践的な価値をもたらす。

会津若松スマートシティと金融庁サンドボックスが示すのは、公共部門においてもエフェクチュエーション的な思考と行動が実際に機能する、という証拠だ。

Sarasvathy(2008)は「飛行機のパイロット原則は、起業家が未来の予測者ではなく未来の形成者であることを示す」と述べた(p. 100)。政策立案者もまた、社会の未来の形成者でありうる。公共部門におけるエフェクチュエーションの理論的基盤をDew et al.の研究も踏まえてより詳しく論じた記事として「公共部門でのエフェクチュエーション:政策立案とイノベーションへの応用」も参照されたい。


参照文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Read, S., Sarasvathy, S. D., Dew, N., Wiltbank, R., & Ohlsson, A.-V. (2011). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
  • Hjorth, D., & Steyaert, C. (Eds.). (2004). Narrative and Discursive Approaches in Entrepreneurship. Edward Elgar Publishing.
  • Knight, F. H. (1921). Risk, Uncertainty and Profit. Houghton Mifflin.
  • 金融庁(2021)「フィンテックの取り組みについて」https://www.fsa.go.jp/news/r3/singi/20211005/02.pdf

参考書籍

関連する記事

  1. 01 エフェクチュエーションと日本スタートアップ——2026年の制約と機会
  2. 02 気候変動対策のスケーリング——レモネード原則が解く不確実性の逆説
  3. 03 フランチャイズ起業と手中の鳥——既存資源から始める起業の経路
  4. 04 公共部門でのエフェクチュエーション(深掘版)——制度的トラップを越える設計論
  5. 05 公共部門でのエフェクチュエーション——制約条件下での創発的政策設計
  6. 06 公共部門でのエフェクチュエーション — 政策立案とイノベーションへの応用