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エフェクチュエーションと日本スタートアップ——2026年の制約と機会

2026年時点の日本スタートアップ文脈でエフェクチュエーションをどう実装するか。VC市場の構造(JIC 2025上半期3,399億円・前年比+4%)、エクイティ文化の未成熟、人材流動性の制約という3つの制度的条件を分析し、Sarasvathy(2001, 2008)の5原則がいかに機能するかを論じる。

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目次

「エフェクチュエーションは日本に合わない」という誤解

日本のスタートアップ関係者の間で、エフェクチュエーション理論に触れた際にしばしば聞かれる反応がある。「ステークホルダーと一緒に市場を創る?日本のVCはそういう動き方に慣れていない」「許容可能な損失の考え方は良いが、エクイティの話になると話が変わる」——これらの感想は、理論への反発ではなく、日本固有の制度的文脈への鋭い感受性を示している

日本のスタートアップ文脈は、Sarasvathy(2001)が理論を構築した際に参照したアメリカの起業エコシステムとは異なる構造的特徴を持つ。しかしこれは「エフェクチュエーションが通用しない」ことを意味しない。制度的制約が強い環境ほど、コーゼーション的な計画立案の限界が露呈しやすく、エフェクチュエーション的思考の実用価値が高まる逆説がある

本稿では、2026年時点の日本スタートアップ文脈における三つの制約条件——VC市場の構造、エクイティ文化の未成熟、人材流動性の制限——を分析した上で、Sarasvathy(2008)の5原則がこれらの制約にどのように作用するかを論じる。エフェクチュエーション理論が「特定の制度的文脈でより鮮明に輝く」可能性を検討することが本稿の主題である。

2026年の日本VC市場:数字が示す構造

日本のVC市場は量的な拡大を続けている。株式会社産業革新投資機構(JIC)がスピーダ(Speeda)データを基に集計した『スタートアップ・ファイナンス市場レビュー(2025H1)』によれば、2025年上半期の国内スタートアップ向け資金調達総額は3,399億円(デット除く・前年同期比+4%)に達した(JIC、2025)。政府が掲げる「スタートアップ5カ年計画」(2022年11月策定)は、2027年度までにVC投資10兆円を目標として設定しており、エコシステムの資金面での基盤整備は進んでいる。

しかし量的拡大の背後には、日本固有のVC市場の構造的特徴が依然として色濃く残る。国内VCの多くは事業会社や金融機関が母体のコーポレートVC(CVC)の形態をとり、完全に独立したインディペンデントVCは米国・以色列・欧州と比較して相対的に少ない(Kutsuna & Smith, 2004, pp. 1129–1176)。この構造は、VC自体が「親会社の事業戦略と整合的な投資」を求める傾向を生み、純粋な財務リターン追求型のポートフォリオマネジメントが確立しにくいという問題を伴う。

また、日本のVCに特徴的なのは「投資後のハンズオン支援」への期待が高い一方、ファンド規模の制約からポートフォリオ企業数が限られ、個々の投資先への関与密度も米国の主要VCと比較すると低い傾向がある点だ(Okamuro et al., 2011, pp. 193–209)。この構造的制約は、スタートアップが「VCとのコミットメント形成を通じて市場を共創する」というクレイジーキルト的なアプローチを実践する上でのハードルとなりうる。

エクイティ文化の未成熟という制約

エフェクチュエーション理論が重視するクレイジーキルト原則(Crazy Quilt Principle)は、「コミットメントを示すステークホルダーとの相互的な価値創造」を中心に据える(Sarasvathy, 2008, pp. 70–85)。このプロセスでは、初期ステークホルダー(共同創業者、エンジェル投資家、初期顧客)との間での株式・利益・リスクの共有——いわゆるエクイティベースのコミットメント——が重要な媒介となる。

日本においてエクイティ文化は拡大過程にあるが、欧米と比較すると社会的浸透度はなお低い。Global Entrepreneurship Monitor (GEM) コンソーシアムの報告では、日本の成人の「起業家への認知度・好意度」は主要先進国の中で最低水準の一つにある(GEM Japan Report 2023-24)。「株主になる」「エクイティで報酬を受ける」という行為への慣れが低い環境では、クレイジーキルト的なコミットメント形成のプロセスが摩擦を生みやすい。

ストックオプション制度についても、日本では2023年に税制適格ストックオプションの要件が緩和されたものの(租税特別措置法第29条の2改正)、行使の複雑さや流動性の低さから、エンジニア・研究者の参加意欲を引き出す手段として十分に機能していないという指摘が継続している。この制約はエフェクチュエーション理論でいう「手中の鳥の手段(Whom I know)」——誰をパートナーにできるか——の質と量を直接的に規定する。

人材流動性の制約と手中の鳥原則

日本の労働市場における人材流動性の低さは、スタートアップが優秀な人材を獲得・維持する上での構造的障壁となっている。厚生労働省「令和5年雇用動向調査」によれば、2023年の転職入職率は10.4%であり、米国の年間転職率(Bureau of Labor Statistics 2023: 約22%)と比較して半分以下の水準にある。終身雇用の慣行が残存する大企業からスタートアップへの人材移動には、年功序列型賃金からの収入減少リスクと退職金の逸失という具体的なコストが伴う。

エフェクチュエーション理論の手中の鳥原則(Bird-in-Hand)は、「自分が今持っている手段から出発する」ことを求める(Sarasvathy, 2001, p. 245)。この原則を人材の文脈に適用すると、日本のスタートアップ創業者にとっての「Whom I know(誰を知っているか)」は、転職市場からの採用より業界の知人ネットワーク・大学OB/OGコミュニティ・前職での同僚を起点とした関係構築の方が、摩擦係数が低いことを意味する。

Dew et al.(2009)が論じたように、熟達起業家はリソース獲得においても「現在のネットワーク内でのコミットメント形成」を優先し、市場から資源を調達するより先に「既存関係者の自発的コミットメント」を引き出す(Dew et al., 2009, pp. 115–120)。日本の低流動性労働市場は、この「既存ネットワーク依拠」型の創業にむしろ親和的である可能性がある

制度的制約をレモネードとして読み替える

エフェクチュエーション理論のレモネード原則(Lemonade Principle)は、「予期せぬ障害を機会として転換する」認知的姿勢を指す(Sarasvathy, 2008, pp. 51–66)。この原則は、日本固有の制度的制約に対して以下のような読み替えを可能にする。

VC市場の保守性という制約は、「銀行融資・政府系金融・クラウドファンディング・事業会社との連携という多様な資金調達経路を実験する動機」として転換できる。日本政策金融公庫(JFC)の新事業育成資金や中小企業基盤整備機構のスタートアップ支援プログラムは、欧米にない日本固有の「公的資金ブリッジ」として機能しうる。

エクイティ文化の未成熟は、「株式によらないコミットメント形成——収益分配型の業務提携、完全雇用でない関与形態、プロジェクト単位の協働——の実験が豊富にある環境」として転換できる。Sarasvathy(2008)がクレイジーキルトについて述べるように、コミットメントの形態は必ずしも資本参加に限定されない(p. 78)。日本で意味を持つコミットメントの形を独自に構築することが、日本文脈でのクレイジーキルトの実践である。

人材流動性の低さは、「長期雇用前提の信頼関係と深いコンテキスト共有を前提とした協業の安定性」として転換できる。Kusunoki & Numagami(1998)が日本企業の知識共有の特徴として指摘した「暗黙知の集団的蓄積」は、エフェクチュエーション的な「Whom I know」の深さとして機能しうる(Kusunoki & Numagami, 1998, pp. 250–262)。

許容可能な損失原則と日本の起業文化

失敗に対する社会的スティグマが日本の起業文化の深刻な障壁であることは、複数の研究が指摘してきた。Global Entrepreneurship Monitor(GEM)の調査では、日本の「失敗恐怖が起業の障壁」と回答する割合は調査参加国の上位に位置し続けている(GEM Japan 2023-24 Report)。

エフェクチュエーション理論の許容可能な損失原則(Affordable Loss)は、この社会的スティグマの問題に対して間接的だが重要な含意を持つ。「失っても許容できる範囲での行動」というフレームは、「全力投入して失敗することへの恐怖」を「許容範囲内での実験の繰り返し」に再定義する認知的リフレーミングとして機能する(Dew et al., 2009, pp. 105–108)。

ただし、この原則の実践には日本文脈固有の課題がある。日本の連帯保証制度は、会社の倒産が個人の破産に直結しやすい構造を生んでいた。2023年の「経営者保証に関するガイドラインの実効化」(金融庁・経済産業省)による連帯保証要求の見直しは、この課題への政策的応答であり、許容可能な損失の「損失」を文字通り限定可能にする制度的インフラの整備が進んでいる。

エフェクチュエーションと日本の制度的補完性

Sarasvathy & Dew(2005)はエフェクチュエーション理論を「制度主義的起業家精神の基盤」として論じ、起業家が制度的空白を利用して新しい市場と規範を共創するプロセスを分析した(Sarasvathy & Dew, 2005, pp. 533–565)。この視座は、日本の制度的制約をエフェクチュエーションの枠組みから分析する際に重要な視点を提供する。

日本の制度的環境は「制度的制約が強い」という面だけでなく、「制度的補完性(institutional complementarities)が高く、既存制度の間隙に新しい活動が根を下ろしやすい」という面も持つ。大企業との長期的取引関係(系列的関係)、産学連携プラットフォーム、地域産業クラスター——これらは欧米のエコシステムと異なる形での「クレイジーキルト的コミットメント形成」の基盤となりうる。

エフェクチュエーション研究における制度的文脈の位置づけは、近年急速に注目されている。Welter & Smallbone(2011)は起業家行動が埋め込まれた制度的文脈を無視した理論化の限界を指摘し、文脈依存的なエフェクチュエーション研究の必要性を論じた(Welter & Smallbone, 2011, pp. 107–125)。日本のスタートアップ文脈は、この文脈依存的研究の重要なケースを提供するポテンシャルを持つ。

2026年の機会の地図

日本スタートアップ文脈におけるエフェクチュエーションの実装は、制約を乗り越える挑戦として語られることが多い。しかし本稿が示そうとしたのは、制度的制約そのものがエフェクチュエーション的思考の入口として機能する可能性である。

VCが保守的であれば、VCに依存しない「自分の手段(Bird-in-Hand)」から始める起業の必然性が高まる。エクイティ文化が成熟していなければ、エクイティに依らないコミットメント形成(Crazy Quilt)の創造性が問われる。人材流動性が低ければ、既存ネットワークを深く耕す(Whom I know)動機が強まる。失敗スティグマが強ければ、許容可能な損失範囲内での実験設計の技術が価値を持つ。

Sarasvathy(2008)の言葉を借りれば、「飛行機のパイロット(Pilot-in-the-Plane)は与えられた気象条件を嘆かない。その条件の中で飛行可能なルートを見つける」(p. 95)。2026年の日本のスタートアップ環境は、エフェクチュエーション的思考の実践者にとって「条件が難しいから適用できない環境」ではなく、「制約があるからこそエフェクチュエーション的ロジックが威力を発揮する環境」として読み直せる。

この読み直しを実務家・研究者・起業家教育者が共有することが、日本文脈でのエフェクチュエーション理論の適切な実装の出発点となる。


引用・参考文献

  • Chandler, G. N., DeTienne, D. R., McKelvie, A., & Mumford, T. V. (2011). Causation and effectuation processes: A validation study. Journal of Business Venturing, 26(3), 375–390.
  • Dew, N., Sarasvathy, S. D., Read, S., & Wiltbank, R. (2009). Affordable loss: Behavioral economic aspects of the plunge decision. Strategic Entrepreneurship Journal, 3(2), 105–126.
  • Global Entrepreneurship Monitor. (2024). GEM 2023/2024 Japan National Report. GEM Consortium.
  • 株式会社産業革新投資機構 (JIC) (2025). スタートアップ・ファイナンス市場レビュー(2025H1). JIC リサーチレポート.
  • Kusunoki, K., & Numagami, T. (1998). Interfunctional transfers of engineers in Japan: Empirical findings and implications for cross-functional integration. IEEE Transactions on Engineering Management, 45(3), 250–262.
  • Kutsuna, K., & Smith, R. (2004). Why does book building drive out auction methods of IPO issuance? Evidence from Japan. Review of Financial Studies, 17(4), 1150–1176. ※VC市場構造の参照枠として引用
  • Okamuro, H., Kato, M., & Honjo, Y. (2011). Determinants of R&D cooperation in Japanese start-ups. Research Policy, 40(5), 728–738.
  • Read, S., & Sarasvathy, S. D. (2005). Knowing what to do and doing what you know: Effectuation as a form of entrepreneurial expertise. Journal of Private Equity, 9(1), 45–62.
  • Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Sarasvathy, S. D., & Dew, N. (2005). New market creation through transformation. Journal of Evolutionary Economics, 15(5), 533–565.
  • 厚生労働省(2024). 令和5年雇用動向調査結果の概況. 厚生労働省.
  • Welter, F., & Smallbone, D. (2011). Institutional perspectives on entrepreneurial behavior in challenging environments. Journal of Small Business Management, 49(1), 107–125.
  • サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015). 『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.

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