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公共部門でのエフェクチュエーション — 政策立案とイノベーションへの応用

政策立案・公共イノベーションにエフェクチュエーション理論をどう適用するか。Sarasvathy原典とDew et al.の研究から、政府・自治体が不確実な社会課題に手段起動型で取り組む論理を解説する。

約21分
目次

“The effectuator does not start with a given goal and work backward to determine what resources are needed. Instead, the effectuator starts with given means and allows goals to emerge contingently over time.”

— Sarasvathy, S. D. & Dew, N. (2005). New market creation through transformation. Journal of Evolutionary Economics, 15(5), 533–565.

「公共部門に起業家精神は似合わない」という直感を問い直す

公共部門——政府、省庁、地方自治体——においてエフェクチュエーション理論を語ることに、違和感を覚える実務家は少なくない。「起業家の意思決定理論を政策立案に適用できるのか」という懐疑は当然だ。

しかし、この直感には検討の余地がある。

Sarasvathy(2001)がエフェクチュエーション理論を構築した核心は、ナイトリアン不確実性(Knightian uncertainty)——確率的に計算できない真の不確実性——の下での合理的な意思決定様式の記述だった(p. 243)。そしてこのナイトリアン不確実性こそが、現代の公共部門が政策立案において直面している条件と一致する。

少子高齢化の人口動態、デジタル技術の社会浸透、気候変動への適応——これらの政策課題は、過去のデータから将来を精確に予測することが難しく、政策の効果が多様なアクターの相互作用に依存するという構造的特徴を持つ。計画通りに実行することが成功を保証しない。それどころか、問いに対する「正解」自体が実践を通じて初めて見えてくるものだ。

この構造こそが、エフェクチュエーション的なアプローチが公共部門で意味を持つ理由だ。


なぜ公共部門はコーゼーションに縛られるのか

制度設計そのものがコーゼーション型

公共部門がコーゼーション(因果論的ロジック)に強く引き付けられるのは、組織の非合理ではなく制度的合理性の帰結だ。

民主主義的な統治システムは、説明責任(accountability)を中核的な価値として持つ。議会への予算説明、市民への情報公開、会計検査院による事後監査——これらの仕組みは、「なぜそれをやるのか(目標)」「それにいくら使うのか(手段と費用)」「どのような成果を出すのか(期待効果)」という、コーゼーション的な意思決定の形式を前提として設計されている(Sarasvathy, 2008, pp. 24–25)。

「手元の手段から始めて、目標は後から形成する」というエフェクチュエーション的な意思決定プロセスは、この説明責任の要請と根本的に相性が悪い。「どこへ向かうのかが事前に決まっていない」ことを公式の場で表明することが、制度的に困難なのだ。

コーゼーション的計画立案の「機能不全」

にもかかわらず、コーゼーション型の計画立案が公共部門で機能しにくい場面が増えている。

Dew, Velamuri & Venkataraman(2004)は、知識が社会に分散している状況——企業家的知識の分散(dispersed knowledge)——では、中央集権的な計画よりも分散した意思決定が効率的な発見プロセスをもたらすと論じた(pp. 659–679)。この議論は公共部門の政策立案にも当てはまる。

社会課題の性質、市民のニーズの多様性、地域ごとの文脈の差異——これらは行政の中央部門が完全に把握することが構造的に不可能な「分散した知識」を構成する。トップダウンの計画が捉えられない「現場の知識」が、しばしば政策の実効性を左右する。


エフェクチュエーションが公共部門で機能する条件

不確実性が高い政策領域での適用可能性

Sarasvathy & Dew(2005)が論じたのは、エフェクチュエーションが新しい市場の創造に関わるプロセスを説明するということだ(pp. 533–565)。この「新しい市場の創造」の論理は、公共部門における新しい政策の領域の創造に類比的に適用できる。

前例のない政策課題——かつて存在しなかったビジネスモデルへの規制設計、新しい社会的ニーズへのサービス開発、既存の行政組織が対応できない複合的課題——においては、「目標を先に定めて手段を調達する」というコーゼーション的な設計が機能しない。「目標が何であるべきか」自体を、関係するステークホルダーとの相互作用を通じて発見・形成するというプロセスが必要になる。

5原則の公共部門への接続

Sarasvathy(2008)の5原則は、公共部門の文脈でそれぞれ具体的な意味を持つ(pp. 15–100)。

手中の鳥(Bird-in-Hand)原則の公共版

起業家の「Who I am / What I know / Whom I know」は、公共部門では次のように対応する。「What this agency is(この機関の法的権限・使命)/ What this agency knows(既存の政策知識・データ資産)/ Whom this agency knows(省庁間・産官学の既存ネットワーク)」だ。

大規模な予算措置や法改正を待つのではなく、今ある権限・知識・ネットワークを起点に動くこと——これが公共部門における手中の鳥原則の実践的意味だ。

許容可能な損失(Affordable Loss)原則の公共版

公的資金の使途は厳格に管理されるべきだという前提の下で、許容可能な損失の論理は「失っていい金額の設定」ではなく「失敗の規模を制御した実験設計」として実装される。

補助金型の実証実験、サンドボックス型の規制適用除外、パイロット事業——これらは制度的に「許容可能な損失」の枠組みを与えられた公的実験空間だ。Sarasvathy(2008)の言う「最悪シナリオを事前に確定してその範囲内で行動する」という論理が、補助金上限・実験期間・適用地域という形式で制度化されている(pp. 35–50)。

クレイジーキルト(Crazy Quilt)原則の公共版

公共部門のイノベーションは多くの場合、産官学民の複数のアクターとの協働を必要とする。クレイジーキルト原則——コミットメントを持つすべてのステークホルダーをパートナーとして迎え入れ、彼らのリソースと関心に応じてゴールを再形成する——は、公共部門における協働型政策形成のプロセスに対応する。

重要なのは、「包括的な参加の枠組みを事前に設計してから協働する」のではなく、「コミットメントが生まれるたびにプロジェクトの形が変わる」というプロセスだ(Sarasvathy, 2008, pp. 55–68)。

レモネード(Lemonade)原則の公共版

計画外の出来事——財政状況の急変、技術の予期せぬ普及、政策の意図せざる効果——は、コーゼーション型の計画立案では「失敗」として扱われる。

エフェクチュエーション的な視点は、これらの「計画外の出来事」を政策の目標と手段を再定義する契機として積極的に活用することを示唆する(Sarasvathy, 2008, pp. 51–66)。新型コロナウイルス感染症への対応で整備されたデジタル証明書基盤が、その後の医療DXの出発点となったのは、このレモネード原則が政策現場で機能した一例として理解できる。

飛行機のパイロット(Pilot-in-the-Plane)原則の公共版

Sarasvathy(2008)が「パイロット原則」として提示したのは、「未来を予測することよりも、今の行動で未来を形成することを重視する」という認知的態度だ(pp. 89–100)。

公共部門では、10年後の人口動態や技術普及の精確な予測に多大なリソースを投じる代わりに、「今日できる政策行動を積み重ねることで社会の方向性を形成する」という思考へのシフトとして解釈できる。政策立案者は「未来の予測者」である前に「未来の形成者」でありうる。


公共イノベーション研究との対話

公共部門の「起業家精神」研究

公共部門における起業家精神(public sector entrepreneurship)は、行政学・政策科学においても独立した研究領域として発展している。

Zerbinati & Souitaris(2005)は、EU内の地方政府における「公的起業家精神」の研究において、機会探索・資源動員・価値創造という起業家的プロセスが公共部門においても観察されることを示した(pp. 43–64)。この研究が明示的にエフェクチュエーション理論を参照しているわけではないが、「機会を事前に定義するのではなく、資源とステークホルダーとの相互作用を通じて機会を形成する」というプロセスは、エフェクチュエーション理論の枠組みで読み解ける。

Dew et al.(2004)は、起業家的知識の分散という観点から、政府の役割を「情報の集約者・計画者」から「分散した知識の調整者・触媒」として再定義する視角を提供している(pp. 659–679)。この「触媒(catalyst)」としての政府像は、クレイジーキルト原則が示す「コミットメントのネットワークを形成するハブ」という機能に対応する。

政策科学における「複雑系」アプローチとの接続

政策科学においては、1990年代以降、社会課題の「複雑性(complexity)」に対応した政策アプローチの研究が蓄積されている。Rittel & Webber(1973)が提唱した「厄介な問題(wicked problems)」——解決策自体が問題の定義を変えるような複雑な課題——の概念は、エフェクチュエーション的な視点と強い親和性を持つ。

「厄介な問題」に直面した政策立案者が必要とするのは、精確な問題定義と最適解の計算ではなく、複数のステークホルダーと協働しながら問題と解決策を共に形成する能力だ(Rittel & Webber, 1973, pp. 160–163)。これはまさに、クレイジーキルト原則とレモネード原則が示す行動様式と一致する。


実践フレームワーク:公共イノベーションへのエフェクチュエーション適用

Sarasvathy(2008)の5原則を出発点とした、公共部門でのエフェクチュエーション適用フレームワークを提示する。

ステップ1:公的手段の棚卸し

最初の問いは「この機関・部門が今持っているものは何か」だ。

  • 権限(What this agency is): 法的根拠のある政策手段(補助金、規制、認証、調達権限)
  • 知識(What this agency knows): 蓄積された政策知識、データ、専門性
  • ネットワーク(Whom this agency knows): 関連省庁、業界団体、研究機関、市民社会との既存関係

大規模な新規予算措置や法改正を「なければ動けない」前提条件として扱う前に、今ある手段で着手できることを探索する

ステップ2:許容できる実験規模の設定

公的資金は慎重に管理されなければならないが、「実験的に使えるリソースの上限」を明示的に設定することは、コーゼーション型の説明責任の要請と両立する。

実証実験予算、パイロット事業の規模、サンドボックス制度の期間と適用範囲——これらを「許容可能な損失」として事前に確定することで、行政組織がエフェクチュエーション的な試行を行うための制度的空間が生まれる。

ステップ3:コミットメントを集めるプロセス設計

「包括的な参加者を事前に定義し、参加枠組みを設計する」ではなく、「誰が今すぐコミットしてくれるか」から始める

自発的に参加する企業、研究機関、NPO、他の自治体——このコミットメントのネットワークが、実質的な政策イノベーションの担い手となる。クレイジーキルト原則が示すように、彼らが持ち込むリソースと関心が、プロジェクトのゴールを具体化する素材となる(Sarasvathy, 2008, pp. 55–68)。

ステップ4:予期せぬ成果の政策化

計画外の成果——実証実験が想定外の効果を示した、予期せぬ社会的ニーズが明らかになった——を「失敗」や「例外的事象」ではなく「政策の方向性を再定義する素材」として積極的に扱う。

これはレモネード原則の公共版実装であり、政策の柔軟な進化を組織的に許容する文化的・制度的基盤を必要とする。


日本の自治体DXが示す可能性と限界

日本の自治体DX(デジタルトランスフォーメーション)の現場は、エフェクチュエーション的なアプローチの「可能性と限界」を同時に示している。

可能性: 一部の先進自治体では、「まずできることから始める」という手中の鳥原則的なアプローチで、国の制度整備を待たずに独自のデジタル化を推進してきた。オープンデータの公開、LINE等の民間プラットフォームを活用した市民サービス、民間企業との共同実証実験——これらは今ある手段で動き始めたという意味でエフェクチュエーション的だ。

限界: 標準化・効率化を重視する政府のDX推進政策が、自治体固有の「手持ちの手段」から出発するエフェクチュエーション的な多様性を制約する側面もある。全国的な標準化とローカルな手段起動型イノベーションの間の緊張は、構造的に解消が難しい。

組織イノベーションにおけるエフェクチュエーションが示す「エフェクチュエーション的な実験空間を既存組織の制度的圧力から保護する必要性」は、公共部門でもそのまま当てはまる。


研究上の留意点:過度な適用への戒め

公共部門へのエフェクチュエーション理論の適用を論じる際、Sarasvathy(2008)自身の留保を忘れてはならない。

エフェクチュエーション理論の知識基盤は起業家研究にある(p. 3)。公共部門への適用は、理論の「類比的拡張」であり、起業家文脈での実証知見がそのまま公共部門に移転するわけではない。

特に注意が必要なのは以下の点だ。

説明責任の要請: 公共部門では、「目標が後から形成される」というエフェクチュエーション的プロセスが、民主主義的な説明責任の論理と正面から衝突する場面がある。この緊張はエフェクチュエーション理論では十分に論じられていない。

リスクの非対称性: 起業家の「許容可能な損失」は個人・企業の資源に関わるが、公共部門の「実験」は公的資金と市民の生活に関わる。リスクの性質と責任の所在が根本的に異なる。

政治的文脈の複雑性: 公共政策は政治的なアジェンダと切り離せない。ステークホルダーのコミットメントが、単なる資源提供者としてではなく、政治的アクターとして機能する複雑性を理論は捉えきれない。

これらの留保を認識した上で、「エフェクチュエーション理論が公共部門の実践に問いかけるもの」を取り出すことが、この理論的ブリッジの誠実な活用方法だ。


まとめ:「手段起動型」政策立案の地平

Sarasvathy & Dew(2005)が示したのは、エフェクチュエーション的な行動が「新しい市場を発見するのではなく創造する」というプロセスだという点だ(p. 410)。

公共部門における政策イノベーションも、同様の論理で理解できる。前例のない社会課題の「解決策」は、事前に発見されるのではなく、多様なステークホルダーとの相互作用を通じて創造される。

手中の鳥原則は「今この部門にあるもので始めよ」という出発点を与え、許容可能な損失は「実験の規模を制御せよ」という安全網を構成し、クレイジーキルトは「コミットメントを持つ者をパートナーとせよ」という協働の論理を提供し、レモネードは「計画外の出来事を政策の素材として扱え」という適応の知恵を示す。そしてパイロット原則は「予測ではなく行動で未来を形成する主体として立て」という姿勢を要請する(Sarasvathy, 2008, pp. 15–100)。

公共部門が完全にコーゼーション型の説明責任モデルから脱することは制度的に困難だ。しかし、エフェクチュエーション的な実験空間を制度の中に埋め込む工夫——サンドボックス、パイロット事業、産官学コンソーシアム——は、すでに現実の政策実践の中に見出せる。

Sarasvathy(2008)の理論が提供するのは、これらの実践を「起業家的エキスパーティーズの応用」として正当化する理論的言語だ(p. 112)。政策立案者が「計画の実行者」から「未来の形成者」へと認識を転換するための知的基盤として、エフェクチュエーション理論はその価値を発揮する。


関連記事

参考文献

  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Sarasvathy, S. D. & Dew, N. (2005). New market creation through transformation. Journal of Evolutionary Economics, 15(5), 533–565.
  • Dew, N., Velamuri, S. R., & Venkataraman, S. (2004). Dispersed knowledge and an entrepreneurial theory of the firm. Journal of Business Venturing, 19(5), 659–679.
  • Read, S., Sarasvathy, S. D., Dew, N., Wiltbank, R., & Ohlsson, A.-V. (2011). Effectual Entrepreneurship. Routledge.
  • Knight, F. H. (1921). Risk, Uncertainty and Profit. Houghton Mifflin.
  • Rittel, H. W. J., & Webber, M. M. (1973). Dilemmas in a general theory of planning. Policy Sciences, 4(2), 155–169.
  • Zerbinati, S., & Souitaris, V. (2005). Entrepreneurship in the public sector: A framework of analysis in European local governments. Entrepreneurship & Regional Development, 17(1), 43–64.
  • サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.

参考書籍

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