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エキスパート起業家のメンタルモデル——熟達した意思決定者が用いる認知フレームの実証的分析

Sarasvathyのプロトコル研究が明らかにした、エキスパート起業家とMBA学生の意思決定パターンの違い。手段起点思考・許容損失・コントロール指向という認知構造がなぜ不確実な市場で優位に働くのかを、認知科学の知見と照合しながら解説する。

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起業の「うまさ」とは何か。事業経験の積み重ねによって何が変わるのか。この問いに対して認知科学的なアプローチで答えようとしたのが、Sarasvathyのプロトコル分析研究である。その研究が明らかにしたのは、熟達した起業家が用いる意思決定の枠組み——メンタルモデル——が、経験の浅い意思決定者のそれとは構造的に異なる、という事実だった。

エフェクチュエーションとは何かで概観したように、エフェクチュエーションは「予測できない未来を前提とした行動論理」として定式化されている。だが、この論理がどのようにして発見されたのかを理解することは、概念そのものを理解するうえで欠かせない。エキスパート起業家のメンタルモデルの解明こそが、エフェクチュエーション理論の出発点にある。

プロトコル分析という研究手法

Sarasvathyが用いた主要な研究手法は、「発話思考法(think-aloud protocol)」と呼ばれる認知科学的な手法である。実験参加者に課題を解かせながら、思考の流れを音声で語ってもらい、その発話記録を分析する。この手法はチェスのグランドマスターや外科医の熟達研究でも用いられており、専門家の暗黙知を可視化する強みを持つ。

サラスバシーの原研究で詳述されているように、研究対象として選ばれたのは、15年以上の起業経験を持ち、複数社の創業・売却・株式公開を経た27名の起業家群と、一流MBAプログラムの学生群である。両グループに対して、同一のビジネスケース——新規事業の立ち上げシナリオ——を提示し、意思決定の過程を発話させた。

分析の焦点は、「何を決めたか」ではなく「どのように考えたか」にあった。問題解決の順序、使用する情報の種類、不確実性への対処の仕方。これらのパターンを体系的にコーディングすることで、二群の間に存在する構造的な差異が浮かび上がった。

「目標から手段へ」と「手段から目標へ」

最も鮮明な差異として現れたのが、思考の出発点の違いである。

MBA学生に代表されるノービス(未熟練者)の思考パターンは、多くの場合、明確な目標設定から始まる。「こういう市場を取りたい」「このセグメントに到達したい」という目的地を先に定め、そこへの最短経路を逆算する。この思考様式は、ビジネススクールの戦略教育が徹底的に訓練するものであり、合理的な意思決定の「正解」として広く共有されている。

一方、エキスパート起業家の発話には異なるパターンが見られた。彼らは目標よりも先に、「今自分が持っているもの」——スキル、人脈、知識、資源——を棚卸しするところから始める。その手持ちの手段から出発し、「これで何ができるか」「誰を巻き込めば何が可能になるか」という問いを立てる。目標は固定されたゴールではなく、行動と相互作用の中で形成される可変的なものとして扱われる。

この「手段起点」の思考構造は、エフェクチュエーション理論における「バードインハンド原則」として定式化されている。しかしプロトコル分析が示したのは、これが単なる行動上の選好ではなく、認知の深いレベルで定着したメンタルモデルであるという点だ。エキスパートは意識的にこの手順を選んでいるのではなく、問題に向き合った瞬間に自然と手段から問いを立てている。

不確実性への態度:予測から制御へ

二群の差異は、不確実性の扱い方にも如実に現れた。

ノービスは不確実性を「情報の不足」として捉える傾向がある。だからこそ、市場調査、競合分析、財務シミュレーションへの依存が高くなる。予測の精度を上げることで不確実性を縮小しようとする。これはコーゼーション(因果推論に基づく計画立案)の本質的な論理である。

エキスパート起業家の発話に見られた不確実性への態度は、根本から異なっていた。彼らは未来の予測可能性そのものをそれほど重視しない。むしろ「予測できない部分は自分の行動でコントロールする」という発想を持つ。市場を予測するのではなく、自分が動くことで市場を部分的に形成する——そういう関与の仕方を直感的に選ぶ。

この「コントロール指向」は、単なる楽観主義ではない。不確実な環境下でも、自分が意思決定できる領域を明確に保ちながら行動するという、一種の認知的節度でもある。予測が外れることへの耐性が高いのではなく、予測への依存度そのものが構造的に低いのだ。

エフェクチュエーションの知的系譜においても論じられているように、この発想はHerbert Simonの「人工物の科学」における設計概念——与えられた環境を所与として受け入れるのではなく、望ましい状態に向けて能動的に形成する——と深く共鳴している。Simonの問題解決論から見れば、エキスパート起業家は典型的な「設計的思考者」として位置づけられる。

許容損失とコミットメントの論理

もうひとつの重要な差異は、コミットメントの獲得方法に関するものである。

ノービスの発話では、「この事業に参入するかどうか」という意思決定に際して、期待リターンの試算が中心的な役割を果たす傾向がある。投資対効果、市場規模、収益予測——これらを整えて「勝てる」と判断できたとき、初めて前進する。この論理は、参入障壁の高い既存市場では有効に働くことがある。

エキスパートの発話は異なる構造を示した。「この段階でどこまでを失っていいか」という許容損失の設定が、意思決定の基準となる。「最悪このくらいなら失っても再起できる」という上限を先に設定し、その範囲内で動けるかどうかを問う。期待値の最大化ではなく、破滅的な損失の排除を最優先にした判断軸である。

また、パートナーシップの形成においても、エキスパートは特徴的なパターンを示す。合意を得た相手がそれ自体で事業の方向性を変えるという、相互コミットメントによる段階的な形成を当然のこととして受け入れる。「クレイジークィルト」とも呼ばれるこのパターンは、あらかじめ詳細な計画を立て、それへの賛同者を集めるという論理とは根本的に異なる。コミットメントが手段でなく、コミットメントそのものが目的と方向を形成していく。

コーゼーション vs エフェクチュエーション再考で論じられているように、これは単純にエフェクチュエーションが「優れている」という話ではない。コミットメントの論理は、高い不確実性の中で新市場を創造しようとする文脈においてこそ機能する。既存の需要が明確な環境では、コーゼーションの精度が求められる場面も当然ある。

認知科学が示す「熟達性」の構造

エキスパートとノービスの差異を認知科学の観点から見ると、これは「知識量」の問題ではなく「知識の構造化様式」の問題である。

チェスの熟達研究が示してきたように、グランドマスターは初心者と比べて単に多くの手を計算するのではなく、局面を大規模なパターンとして認識する。数千から数万のチャンクとして蓄積された局面パターンが、次の一手を瞬時に絞り込む。この「パターン認識による判断の圧縮」が熟達性の中核にある。

起業の文脈において、Sarasvathyの研究が示唆するのは類似した構造である。エキスパート起業家は、新しい不確実な状況に直面したとき、過去の経験から抽出されたパターン——「この種の不確実性には、まず手持ちの人脈から動く」「この段階では許容損失を先に決める」——を認知の自動化されたレベルで適用する。意識的な分析の前に、メンタルモデルがすでに問題を特定の枠組みで切り取っている。

これはエフェクチュエーションが「習得できるスキル」であることを示唆する。プロトコル分析が記録した発話パターン——「まず手段を棚卸しする」「許容損失を先に決める」——が経験を積んだ起業家の間で繰り返し観察されるということは、それが生まれながらの直感ではなく、経験の蓄積と内省の繰り返しによって形成されたメンタルモデルであることを意味している。ただし、その習得は単純な反復練習では達成されない。具体的な失敗と成功の経験が、適切な問いと振り返りによって構造化されるとき、はじめてメンタルモデルとして定着していく。

実務文脈での示唆

プロトコル研究の知見は、実務的な問いに接続する。「エフェクチュエーション的な思考を意図的に身につけることはできるのか」という問いである。

研究の示唆からは、いくつかの手がかりが得られる。第一に、「手持ちの手段を棚卸しする」習慣は、新しい状況に向き合う前の認知的な準備行動として練習可能である。「何を達成したいか」ではなく「今何を持っているか」を最初に問うことを、意識的に繰り返すことで、その枠組みは徐々に自動化される。

第二に、「許容損失を先に設定する」という判断の順序も訓練可能である。実務でよく見られるのは、期待リターンを試算したあとに下限を設定しようとするパターンだが、これを意識的に逆転させ、下限の設定から始めることを繰り返すことで、その思考順序が習慣化していく。

第三に、コミットメントの論理については、「相手のコミットが事業の形を変えることを前提にする」という姿勢そのものを、パートナーシップの場面に意識的に持ち込むことが練習の起点になる。合意が到達点ではなく出発点であるという認識の転換が求められる。

ただし、これらの練習が有効に機能するためには、単純な手順の模倣ではなく、それぞれの文脈における失敗と成功の経験が不可欠である。メンタルモデルは体験の構造化によって形成されるのであって、概念の理解だけでは定着しない。

エキスパートを解剖することの意味

Sarasvathyがプロトコル研究を通じて試みたのは、起業家の「勘」や「センス」として処理されがちなものを、観察可能な認知パターンとして記述することだった。それによって「起業は才能の問題ではなく、熟達の問題である」という命題が実証的な地盤を得た。

エキスパートのメンタルモデルを解明することは、起業教育にとっても重要な意味を持つ。教えるべきは「正しい目標設定の方法」ではなく、「不確実な状況で手段から問いを立てる習慣」であり、「許容損失を先に設定する判断の順序」であり、「コミットメントを変化の素材として扱う姿勢」である。

熟達者が自然にやっていることを、初学者が意識的に実践できる形に翻訳すること——それがエフェクチュエーション理論の応用的な価値のひとつである。


参考文献

  • Sarasvathy, S.D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2).
  • Sarasvathy, S.D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Simon, H.A. (1969). The Sciences of the Artificial. MIT Press.

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