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公共政策イノベーションとエフェクチュエーション——行政・自治体の手段先行型施策設計

行政・自治体が直面する「予算制約・政治的合意・市民参加」の複雑性下で、Sarasvathy の5原則をどう施策設計に適用するか。Eggers & Singh(2009)の公共イノベーション論とMintzberg の創発的戦略形成論を接続し、コーゼーション的計画立案の限界を越える実践的枠組みを論じる。

約24分
目次

「公共部門にエフェクチュエーションは馴染まない」という誤解

公共政策・行政改革の文脈でエフェクチュエーション理論を持ち出すと、しばしば次の反応が返ってくる。「行政は不確実性を嫌う。計画・予算・議会承認があって初めて動ける」「民間の起業家論理を行政に持ち込むのは無理がある」——この反応は、行政組織の制度的制約への鋭い感受性を示してはいる。だがエフェクチュエーション理論が有効性を発揮する条件と、公共部門が直面する現実の施策設計環境は、驚くほど重なっている

Sarasvathy(2001)は、エフェクチュエーション的ロジックが有効なのは「目標が曖昧で、手段が限られており、環境の不確実性が高い」状況であると論じた(Academy of Management Review, 26(2), 243–263, ISSN 0363-7425, DOI 10.5465/AMR.2001.4378020)。この記述は、地方自治体の新規施策立案や、国の政策形成プロセスにそのまま当てはまる。予算は所与でなく交渉で決まる。市民のニーズは事前調査で確定できない。政治的合意の形成経路は計算不可能だ。

本稿は、公共部門が直面する複雑性の構造を分析した上で、Sarasvathy の5原則が行政施策設計においてどのように機能するかを論じる。Eggers & Singh(2009)の公共イノベーション研究、Mintzberg(1994)の創発的戦略形成論、英国 GOV.UK Design Principles(2012)を補助的参照軸として用いる。

公共部門の施策設計が直面する「3つの複雑性」

予算制約と段階的コミットメントの非対称性

民間企業の新規事業では、初期投資は比較的少額から始められる。エフェクチュエーション理論が示す「許容可能な損失(Affordable Loss)」的な実験も、組織内の裁量範囲内で実行できる場合が多い。

公共部門の予算制約は性質が異なる。国や自治体の施策予算は原則として年度単位で議決される(単年度主義)。概算要求・査定・議会審議というシーケンスが定められており、予算要求の段階では「施策の全体像と期待される成果」を明示することが求められる。この構造は、小さな実験から始めてコミットメントを積み上げるというエフェクチュエーション的アプローチと、表面的に相性が悪いように見える。

実態は異なる。Eggers & Singh(2009)は著書 The Public Innovator’s Playbook(Deloitte Research)において、公共部門のイノベーションが「段階的な概念実証(Proof of Concept)→ パイロット → 展開」という反復サイクルで進む事例を多数分析した。彼らが指摘するのは、公共部門の予算制約が「実験を禁じる障壁」ではなく、「実験の規模と検証基準を明示させる規律」として機能しうる点だ(Eggers & Singh, 2009, pp. 38–52)。

政治的合意形成の不確実性

行政施策の設計・実行には、複数の政治的アクターとの合意形成が不可欠だ。首長・議会・省庁間調整・省内各部局・地元利害関係者——これらのアクターは、施策の「正しさ」より「各自の関心に対する応答性」を評価する傾向がある

この合意形成プロセスは、コーゼーション的な計画立案——「最適解を計算して提示する」——では対処しにくい。利害関係者の関心は事前に完全には把握できず、合意形成の過程で施策の内容自体が変化する。Mintzberg(1994)が論じた「創発的戦略(emergent strategy)」はこの現実を正確に捉えている。戦略は計画から実行へと一方向に流れるのではなく、実行の過程でステークホルダーとの相互作用を通じて形成される(Mintzberg, 1994, The Rise and Fall of Strategic Planning, Free Press, pp. 23–29)。

市民参加と「誰のための施策か」の定義問題

行政が新しい施策を設計する際、最も根本的な困難の一つが「受益者の定義」だ。医療・教育・交通・福祉といった領域では、施策の「ターゲット市民」は事前に明確に定義できない。施策の設計プロセスに市民が参加することで、施策の目的と形が変わっていく。

英国政府の Government Digital Service(GDS)が2012年に発表した GOV.UK Design Principleshttps://www.gov.uk/design-principles)は、この困難への実践的な応答だ。第1原則「Start with user needs」は、Sarasvathy(2001)の手中の鳥原則(Bird-in-Hand)の公共部門版として読める。現時点で把握できる市民ニーズから出発し、理想的な施策完成形から逆算しないという設計姿勢だ。

5原則の行政施策設計への適用

手中の鳥(Bird-in-Hand):既存リソースから始める

Sarasvathy(2001)の手中の鳥原則は、「自分が持つ手段(Who I am, What I know, Whom I know)から出発する」行動原則だ(p. 245)。行政の文脈に翻訳すれば、「既存の組織・職員・制度・ネットワーク・データから施策を構想する」ということになる。

行政改革では「あるべき行政サービス」から逆算して「現状の差分」を埋めようとするアプローチが一般的だ。これは典型的なコーゼーション的発想——目標設定→現状分析→手段選択——であり、理想と現実のギャップが巨大な場合、変革の障壁もまた巨大になるという問題を生む。

手中の鳥原則に従えば、問いは変わる。「この自治体が現在持つ職員スキル・既存サービスインフラ・地域コミュニティとの既存関係から、何が始められるか」。Eggers & Singh(2009)が記録した英国の Sure Start プログラム(子育て支援)は、全国統一設計ではなく地域ごとの既存リソース(NPO・公民館・保健センター・学校)を起点に設計された。「持つもの」から出発したことが、地域の実情に根差した実装を可能にした(Eggers & Singh, 2009, pp. 87–92)。

許容可能な損失(Affordable Loss):実験の上限を設定する

行政施策の「失敗」は政治的コストを伴う。予算の無駄遣い・議会批判・メディア報道・市民の信頼低下——これらのリスクが、行政組織を「実証されていない施策へのチャレンジ」から遠ざけてきた。

エフェクチュエーションの許容可能な損失原則は、この問題に構造的な応答を与える。「期待リターンの最大化」ではなく「失っても許容できる範囲の設定」が判断基準となるとき、小規模な実験から始める動機が生まれる(Sarasvathy, 2001, p. 252)。

英国の政策実験では、ランダム化比較試験(RCT)を行政施策に適用するアプローチが2010年代以降に定着した。Behavioural Insights Team(BIT、旧称「ナッジユニット」)が政策決定に組み込んだ実験的手法は、「全国展開前に許容可能なコストと期間で検証する」という許容可能な損失的思考の制度化だ(Halpern, 2015, Inside the Nudge Unit, WH Allen, pp. 72–95)。

日本の文脈では、総務省が推進してきた「地域おこし協力隊」制度や「デジタル田園都市国家構想」における実証事業の複数自治体での試行も、同様の構造を持つ。全国一律展開の前に限定地域での検証——これは制度的に許容可能な損失の枠を設定する行政実験の試みだ。

クレイジーキルト(Crazy Quilt):コミットメントで不確実性を削減する

Sarasvathy(2001)のクレイジーキルト原則は「自発的なコミットメントを示すステークホルダーとの協力関係を構築することで、不確実性を共同で削減する」プロセスを指す(p. 257)。行政版のクレイジーキルトとは、施策の設計段階から実施機関・NPO・民間企業・住民代表者を巻き込み、コミットメントの連鎖を形成していく施策設計プロセスだ。

従来の公共政策プロセスでは、「行政が計画を策定し、パブリックコメントを経て実施する」という一方向設計が支配的だった。これはコーゼーション的設計の典型だ。目標と手段が計画段階で固定され、ステークホルダーは事後的な承認者に留まる。

制度的同型化の問題として整理すれば、この一方向プロセス自体が「行政はこう動くもの」という規範的同型化(DiMaggio & Powell, 1983, American Sociological Review, 48(2), 147–160, ISSN 0003-1224, DOI 10.2307/2095101)によって固定化されてきた。

クレイジーキルト的アプローチはこれを転換する。施策の「正しい形」を事前に定義せず、コミットメントを示したステークホルダーとの相互作用によって施策が形成される。英国 GOV.UK Design Principles 第4原則「Do the hard work to make it simple」はこの発想と接続する。市民と共同で課題を発見・定義し、施策を反復的に改善するという設計姿勢だ。

日本では、地方自治体における「官民データ活用推進基本計画」の策定プロセスが、クレイジーキルト的手法の試みとして参照できる。地域の民間事業者・大学・市民グループとのワーキンググループを通じてコミットメントを形成し、行政単独では得られない知識と実装力を協力関係の中で獲得する構造だ。

レモネード(Lemonade):想定外の事態を政策機会として転換する

エフェクチュエーションのレモネード原則は「予期せぬ出来事を脅威ではなく機会として積極活用する」認知的姿勢を指す(Sarasvathy, 2001, p. 251)。行政・政策の文脈ではこの原則は、「危機対応が施策イノベーションの実験場になる」という現実に対応する。

新型コロナウイルスのパンデミック(2020-2022年)は、日本の行政デジタル化の課題を一挙に露呈させた。給付金配布の遅延、行政窓口の混雑、紙ベースの申請プロセス——これらの「失敗」は行政の硬直性を示すと同時に、「危機がなければ数年かかったデジタル化改革を、1-2年で実行する政治的・組織的動機を生み出した」という意味でレモネード的転換の機会でもあった。

デジタル庁(2021年9月設立)の創設は、パンデミックという予期せぬ出来事を行政デジタル化の実装機会に転換した事例だ。Sarasvathy(2001)の原典に即せば、「コントロールできない事象(感染症)を嘆くのではなく、その状況が生み出した新しい手段と市民・政治の意識変化(新たなステークホルダーのコミットメント)を活用する」という認知的姿勢である。

行政の現場では、この認知的姿勢の制度化が課題となる。「計画外の変化は逸脱・失敗」として記録するのではなく、「計画外の変化が生み出した新しい可能性を評価する」プロセスを行政評価システムに組み込むことが、レモネード的思考の制度化への第一歩となる。

飛行機のパイロット(Pilot-in-the-Plane):予測より制御を優先する

Sarasvathy(2001)の飛行機のパイロット原則は「予測に適応するのではなく、行動を通じて未来を制御・形成する」ことを志向する(p. 252)。行政への含意は、「完璧な予測ができるまで施策を保留する」ではなく、「現時点で実行可能な行動から開始し、フィードバックを通じて施策を調整し続ける」という実装姿勢だ。

伝統的な政策立案は予測的コントロールを前提とする。人口推計・財政シミュレーション・費用便益分析——これらのツールは「将来の状態を精密に予測し、最適な施策を事前に設計する」という認識論に基づいている。だが社会問題の多くは非線形であり、介入の効果は事前予測が困難だ(Snowden & Boone, 2007, Harvard Business Review, 85(11), 69–76)。

英国 GOV.UK Design Principles 第8原則「Build digital services, not websites」と第10原則「Make things open: it makes things better」は、このパイロット的思考の制度化として読める。デジタル行政サービスを「リリースして終わり」ではなく「継続的に改善するもの」として設計する——反復的フィードバックループが制御の手段となる

Mintzberg(1994)の創発的戦略の概念と接続すれば、行政施策の「計画からの逸脱」は失敗ではない。施策が現実の問題構造に応答して形成されていく証拠として再解釈できる(Mintzberg, 1994, pp. 24–27)。

公共部門のエフェクチュエーション適用における境界条件

エフェクチュエーション的アプローチが公共部門で機能しにくい領域についても正直に論じておく必要がある。

法令・制度に基づく強制的同型化の領域では、エフェクチュエーション的柔軟性は制約される。生活保護・道路管理・税務・選挙管理のように、法律が実施方法を詳細に規定している施策では、「手段から出発して目標を見直す」余地は本質的に限られる。制度的同型化の問題として整理すれば、強制的同型化(DiMaggio & Powell, 1983)に対してエフェクチュエーションは対抗論理を持たない。

大規模インフラ投資のように「Committed Expenditure(既確定支出)」が巨大な施策では、許容可能な損失の枠組みも機能しにくい。ダム・橋梁・原子力発電所は一度着工すれば撤退コストが巨大であり、リアルオプション的な「待つ価値」の評価の方が適切な場合がある。

Sarasvathy(2001)自身が指摘するように、エフェクチュエーションとコーゼーションは「対立する理論」ではなく「不確実性の性質に応じて使い分けるべき補完的ロジック」だ(p. 252)。行政施策でも同様であり、施策の性質・ステージ・不確実性の種類に応じてどちらのロジックを優先するかを判断することが求められる。

実装への含意:行政実務家への提言

公共部門でのエフェクチュエーション的施策設計について、具体的な含意を3点に絞って示す。

第一に、施策評価指標を「計画との一致度」から「学習の質」へ転換する。現行の行政評価は「目標達成率」に基づく傾向が強く、計画外の展開を「失敗」として記録する構造がある。許容可能な損失的思考の制度化には、「何を学んだか」「どのフィードバックが次の施策設計に活用されたか」を評価軸に加えることが不可欠だ。

第二に、施策形成プロセスへのステークホルダーの初期参加を制度化する。クレイジーキルト的施策設計には、パブリックコメントという事後承認型ではなく、設計段階での多様なアクターの自発的コミットメントを引き出す参加プロセスが必要だ。デジタル庁が推進する「β版サービス」の公開・実証は、この方向への実践的試みとして評価できる。

第三に、予算要求に「実験設計」の枠を設ける。「実験的取り組み」として予算化し、限定規模での実証実験→評価→展開可否判断という段階設計を明示することで、許容可能な損失の枠が制度的に設定される。英国 GOV.UK の Discovery–Alpha–Beta–Live という段階的開発プロセスは、この考え方の制度化された事例だ(Government Digital Service, 2012)。

公共部門という実践のフロンティア

Sarasvathy(2008)はエフェクチュエーション理論の適用可能性について、起業的意思決定に限らず「不確実性が高く、資源が制約された行動一般」に広がると論じた(Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise, Edward Elgar Publishing, p. 13)。公共部門はまさにこの「不確実性と資源制約が構造的に組み込まれた実践領域」の典型だ。

行政がコーゼーション的計画立案に依存してきたのは、行政の本質的特性ではない。「行政はこう動くべき」という制度的規範——制度的同型化の帰結——の産物だ。Sarasvathy の5原則はこの規範を問い直す認知的ツールを提供する。

公共政策イノベーションの文献が繰り返し強調するのは「問題の複雑性(wicked problems)」だ(Rittel & Webber, 1973, Policy Sciences, 4(2), 155–169)。曖昧で相互依存的で動的な公共の問題は、事前の完璧な分析によって解決できない。これはエフェクチュエーション理論が「真の不確実性(Knightian Uncertainty)」と呼ぶ条件と構造的に重なる。

行政実務家・政策研究者・自治体の新規事業担当者にとって、エフェクチュエーション的思考の習得は「民間起業論の輸入」ではない。公共部門が長年直面してきた「計画通りにいかない現実」に対して、より適切な認識論的枠組みを装備することだ


引用・参考文献

  • DiMaggio, P. J., & Powell, W. W. (1983). The iron cage revisited: Institutional isomorphism and collective rationality in organizational fields. American Sociological Review, 48(2), 147–160. ISSN 0003-1224. DOI 10.2307/2095101.
  • Eggers, W. D., & Singh, S. K. (2009). The Public Innovator’s Playbook: Nurturing Bold Ideas in Government. Deloitte Research.
  • Government Digital Service. (2012). GOV.UK Design Principles. HM Government. https://www.gov.uk/design-principles
  • Halpern, D. (2015). Inside the Nudge Unit: How Small Changes Can Make a Big Difference. WH Allen.
  • Mintzberg, H. (1994). The Rise and Fall of Strategic Planning. Free Press.
  • Rittel, H. W. J., & Webber, M. M. (1973). Dilemmas in a general theory of planning. Policy Sciences, 4(2), 155–169.
  • Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263. ISSN 0363-7425. DOI 10.5465/AMR.2001.4378020.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
  • Snowden, D. J., & Boone, M. E. (2007). A leader’s framework for decision making. Harvard Business Review, 85(11), 69–76.
  • サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015). 『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.

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