用語集

アントレプレナリアル・デザイン

Herbert Simon の設計科学(Science of the Artificial)を土台にSarasvathyが位置づけた、起業家的行為の認識論的フレーム。「世界のあるべき姿」を構築する人工物の設計として起業を捉え、分析・予測的な自然科学とは異なる知識体系を定義する。

目次

あんとれぷれなりあるでざいん

Entrepreneurial Design起業家的設計設計としての起業

起業は「発見」か「設計」か

起業家研究の主流パラダイムは長らく、機会の「発見」を前提としていた。市場にはすでに客観的に存在する機会があり、起業家はそれを見つけ出してビジネスとして実現するという図式である(Shane & Venkataraman, 2000)。このフレームの中では、起業は自然現象の発見に似た知的行為であり、より優れた情報収集・分析・予測能力を持つ者が成功するという帰結が導かれやすい。

Sarasvathy は、この「発見のメタファー」に根本的な疑問を投じた。熟達した起業家27名を対象とした認知プロセス・トレーシング実験(1997–1998)の結果は、機会の「発見」より「創出(creation)」という動詞の方が観察された行動をよりよく説明することを示した(Sarasvathy, 2001)。そして2003年、彼女はその認識論的位置づけを Herbert Simon の設計科学との接続によって理論化した。

「起業家精神は、ほとんどの自然科学や社会科学がそうであるように、あるものがなぜそうであるかを説明しようとするものではない。むしろ、あるものがどのように実現されるかという設計の問いを扱う科学である。」(Sarasvathy, 2003, p. 208。間接引用)

これがアントレプレナリアル・デザイン(Entrepreneurial Design)の核心命題である。

Herbert Simon:「人工物の科学」の遺産

このフレームの知的源泉は、Sarasvathyの博士課程の指導教員であった Herbert A. Simon(カーネギーメロン大学)の主著 The Sciences of the Artificial(1969, 1996)にある。サイモンは「自然科学」と「人工科学」の認識論的差異を論じた。自然科学は「あるがままの世界(the world as it is)」を記述・説明する。人工科学はそれとは異なり、「あるべき世界(the world as it might be)」を構築・設計することを知識の目的とする。

Simon の命題は4点に要約される(Simon, 1996, pp. 111–130。間接引用)。

  1. 自然法則の制約性: 自然法則は私たちの設計の制約条件であるが、特定の設計を命令するわけではない。設計者には選択の自由がある。
  2. 予測の回避(Avoiding Prediction): 優れた設計は、予測を必要としないように構造化される。予測に依存する設計は、予測が外れた瞬間に崩壊する。
  3. 局所性と偶発性(Locality and Contingency): 人工物は普遍法則より、特定の文脈・場所・時間に依存する局所的な知識によって成立する。
  4. 近可分性(Near-Decomposability): 持続する設計は、部分の変更が全体を壊さない「準モジュール的」な構造を持つ。

Sarasvathy はエフェクチュエーション理論がこの4命題と対応することを明示した。特に第2命題(予測回避)は、エフェクチュエーションの第四原則「飛行機のパイロット(予測ではなく制御)」と直接対応する(Sarasvathy, 2003, pp. 210–215。間接引用)。起業家は不確実な未来を正確に予測しようとするのではなく、自分が制御できる範囲で行動し、その結果として生まれる未来に参与する。これはまさに「設計者の知識論」である。

機会は「与えられる」のではなく「構築される」

アントレプレナリアル・デザインの観点では、起業機会は客観的に存在するものではなく、行為者の行動と環境との相互作用の中で創り出される「人工物(artifact)」である。この立場は「機会創出論(Entrepreneurship as Opportunity Creation)」とも呼ばれ、Venkataraman, Sarasvathy, Dew & Forster(2012)が Academy of Management Review に発表した論文でより精密に展開された。

この論文では、市場それ自体も設計可能な人工物であるという主張がなされる。「市場」や「産業」は所与の制度として発見されるのではなく、起業家と利害関係者のコミットメントの集積によって徐々に構築されるという見方である。エフェクチュエーションの「クレイジーキルト原則(自発的コミットメントによるパートナーシップ構築)」は、市場という人工物の設計プロセスそのものを記述している。

この考え方は、後の研究でもさらに探究が続いており、設計科学としての起業家研究は現在進行形の学術的フロンティアである(DOI: 10.5465/amr.2018.0285)。

デザイン思考との関係と差異

「アントレプレナリアル・デザイン」は「デザイン思考(Design Thinking)」と混同されることがある。両者はともに設計科学の影響を受けているが、出発点と方法論が異なる。

デザイン思考は「共感(Empathy)」から始まる——ユーザー観察を通じて他者の経験を理解し、そこから洞察を生み出す観察駆動のアプローチである(Brown, 2008)。これに対し、エフェクチュエーションが体現するアントレプレナリアル・デザインは「自己(Self)」から始まる——「自分は何者か・何を知っているか・誰を知っているか」という手持ちの手段(Bird-in-Hand)を出発点とする内省駆動のアプローチである(Sarasvathy, 2001)。

Klenner et al.(2022, Journal of Product Innovation Management)はこの違いを「知識の源泉(デザイン思考は他者観察・エフェクチュエーションは自己内省)」と「フィードバックの性格(デザイン思考は意図的な情報収集・エフェクチュエーションは偶発的な学び)」の2点で整理している。両者は相互補完的であり、スタートアップの初期フェーズではエフェクチュエーション的な自己出発が、プロダクト検証フェーズではデザイン思考的なユーザー共感が有効だとする統合モデルも提唱されている。

「予測できないから始められない」を解除する

アントレプレナリアル・デザインのフレームが実務に与える最大の含意は、「予測できないから始められない」という思考の呪縛を解くことにある。設計者は市場の将来規模を正確に予測してから橋を架けるのではない。現在の物理法則(制約)を理解し、今手元にある材料と技術で、どこかにつながる橋を構築し始める。その橋がどこに伸びるかは、設計の進行とともに、利用者のフィードバックとパートナーのコミットメントによって定まっていく。

このプロセスは、アンゾフのマトリクスに代表される戦略計画の「先に目標を決めてから手段を逆算する」コーゼーション的思考とは根本的に異なる。しかし「行き当たりばったり」でもない。Simon が定義した設計者の知性——制約の中で局所的かつ偶発的な知識を蓄積しながら、予測を回避する近可分的な構造を組み上げる——という、洗練された問題解決プロセスである。


関連項目


引用・参考文献

  • Simon, H. A. (1996). The sciences of the artificial (3rd ed.). MIT Press.(初版 1969)
  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2003). Entrepreneurship as a science of the artificial. Journal of Economic Psychology, 24(2), 203–220.
  • Venkataraman, S., Sarasvathy, S. D., Dew, N., & Forster, W. R. (2012). Reflections on the 2010 AMR decade award: Whither the promise? Moving forward with entrepreneurship as a science of the artificial. Academy of Management Review, 37(1), 21–33.
  • Dew, N., Sarasvathy, S. D., & Venkataraman, S. Opportunities as artifacts and entrepreneurship as design. Academy of Management Review. https://doi.org/10.5465/amr.2018.0285
  • Klenner, N. F., Hüsig, S., & Dowling, M. (2022). Entrepreneurial ways of designing and designerly ways of entrepreneuring: Exploring the relationship between design thinking and effectuation theory. Journal of Product Innovation Management, 39(2), 203–225.
  • Shane, S., & Venkataraman, S. (2000). The promise of entrepreneurship as a field of research. Academy of Management Review, 25(1), 217–226.
  • Brown, T. (2008). Design thinking. Harvard Business Review, 86(6), 84–92.

関連用語

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