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エフェクチュエーションの事例記事を読むと、決まって同じ顔ぶれが並ぶ。Airbnb、Tesla、SpaceX。いずれも創業から日が浅いアメリカ発のスタートアップだ。だが、こうした事例ばかりを追いかけていると、ある違和感にぶつかる。創業何十年もの製造業にとって、緻密な計画と予測に基づく経営(コーゼーション)こそが強みのはずだ。エフェクチュエーションは若いスタートアップだけの話なのだろうか、という違和感である。
実は、その代表格として名指しされがちな企業自身が、源流の豊田自動織機の時代から数えれば一世紀近くにわたって非予測的な意思決定を実践してきた。トヨタ自動車である。カイゼン・カンバンで知られ、緻密な生産管理の権化のように語られるこの企業の歩みを、豊田佐吉から豊田喜一郎への事業転身と、トヨタ生産方式(TPS)の現場思想という二つの切り口からエフェクチュエーションの原則で読み解いてみたい。
なお、これはTPSがエフェクチュエーション理論を意識して設計されたという主張ではない。理論の存在しない時代に築かれた実践知が、結果的にエフェクチュエーションの原則と符合する、という後付けの読み解きであることは先に断っておく。本稿は現地取材や関係者インタビューを伴わず、公刊された社史・当事者の言明・学術文献に基づく再解釈であることも併せて明記しておきたい。
自動織機から自動車へ ― 佐吉・喜一郎の非連続な転身と「許容可能な損失」
トヨタ自動車の出発点は、自動車ではなく自動織機だった。豊田佐吉が興した自動織機の事業は、特許を英国プラット社へ売却したことで一定のまとまった資金を手にする。この資金と技術者集団を、豊田喜一郎が未経験の自動車事業へ振り向けたのが、トヨタ自動車の起点である(自動車進出は佐吉の意向を汲んだものだったと社史等で伝えられている)。
ここに、エフェクチュエーションの「手中の鳥」の原則が見える。ただし正確に言えば、喜一郎は市場調査を一切していなかったわけではない。1921年と1929年の欧米視察で自動車産業の現場を見て回り、とりわけ1929年のプラット社への特許譲渡交渉では、かつて栄華を誇った同社の急激な凋落を目の当たりにしたことが、繊維機械一本足経営への疑念を抱かせたと伝えられる。つまり喜一郎が拠り所にしたのは、精緻な需要予測のレポートではなく、現地で自らの目で確かめた手がかりだった。「今、手元に何があるか」——特許売却で得た資金、織機事業で培った技術者、現地で見聞きした肌感覚——という手持ちの資源から、作れるものを考えて動き出している。予測モデルが先にあったのではなく、手持ちの資源と現地での気づきが先にあった。
そしてもう一つ、喜一郎の試作の進め方にも原則が透けて見える。喜一郎はまず乗用車(A1型、1935年5月に試作完成)を先行させながら、実際に市場へ送り出したのはトラック(G1型、同年8月発売)が先だった。当初思い描いた通りの順序で計画が進んだわけではなく、状況に応じて優先順位を組み替えながら前に進んでいる。こうして段階を区切り、そのつど得られた知見を次の投資判断に反映していく進め方は、「許容可能な損失」の原則と重なる。もっとも、これは無傷の安全策ではない。のちに見るように、自動車事業は一度、会社そのものを危機に追い込んでいる。許容可能な損失とは、失うものを自覚した上で刻む判断のことであって、失わずに済む方法のことではない。試作である以上、失敗も当然含まれる。1935年11月、東京・芝浦での発表会に向けてG1型トラックを刈谷から自走させた際には、道中でステアリングのサードアームが折損して修理に追われ、会場到着は発表当日の午前4時という綱渡りだったという。全てが順調だったわけではなく、うまくいかない試みを一つずつ潰しながら段階的に前進した、という点も見落とすべきではない。
「現地現物」「なぜなぜ分析」は飛行機のパイロットの原則そのものだった
トヨタの現場思想を象徴する考え方の一つが「現地現物」である。厳密には、トヨタ生産方式(TPS)の正典的な二本柱はジャストインタイムと自働化であり、「現地現物」はのちにトヨタウェイ2001として定式化された、より広い現場思想の一部にあたる。とはいえ実務上はTPSの判断様式と不可分に運用されてきた考え方であり、机上のデータやレポートだけで判断せず、現場に足を運び、実物を見て、そこで初めて分かることをもとに手を打つ。この発想は、事前の精緻な予測で未来を言い当てようとするアプローチとは対照的だ。
「なぜ」を5回繰り返すという発想自体は豊田佐吉に遡るとされ、大野耐一が著書『トヨタ生産方式』(1978年)で明文化・体系化したとされる「なぜなぜ分析」も同様の構造を持つ。トラブルが起きたときに「なぜ」を繰り返し問い、表面的な対処ではなく根本原因にたどり着くまで現場での観察と仮説検証を積み重ねる。これは事前に立てた完璧な計画を実行することではなく、コントロールできる範囲を手元の行動で広げていくという、「飛行機のパイロット」の原則——天気予報士のように未来を言い当てようとするのではなく、操縦桿を握り続けることで非予測的に不確実性に対処するという発想(Sarasvathy, 2008, pp. 83–90)——に重なる。
さらに、ジャストインタイムや自働化(人偏のついた「自働化」)といった仕組みの背景にも似た構造がある。「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」というジャストインタイムの発想自体は喜一郎がトップダウンで掲げた方針だったとされるが、それを工場の隅々まで実装する過程は、大野耐一以下の現場が一つひとつの不具合や制約にぶつかりながら、その都度の工夫を積み重ねて体系化してきたものだ。しかも当初は現場からの抵抗も大きく、一気に完成形として受け入れられたわけではなかったと伝えられる。予期せぬ不具合や制約は、排除すべき障害としてだけでなく、次の改善の材料として扱われる。偶発的な出来事を機会に転じるという意味では、「レモネードの原則」の発想もここに見て取れる。
制約から生まれた共創ネットワークは、クレイジーキルト戦略として読み解ける
この発想が最も試されたのは、1949年末から1950年にかけての経営危機だった。営業損失は1949年11月の3,465万円から翌月には1億9,876万円へと急増し、資金繰りに行き詰まったトヨタ自動車工業は日本銀行との再建交渉に入る。融資の前提条件として求められたのが、製造部門から販売部門を分離する「工販分離」だった。つまりこれは、トヨタが自発的に選んだ布石というより、外圧起点の制約である。
だが、その制約をどう活かすかには選択の余地があった。販売担当だった神谷正太郎は戦前から温めていたとされる構想をここで実行し、1950年4月、「トヨタ自動車販売」を設立する。月賦販売制度を整え、単発の車両卸売りではなく、長期的な信頼関係を前提としたディーラー網を築き上げていったのが神谷の戦略の核心だ。それでも危機そのものが去ったわけではなく、2か月後の6月には蒲田・芝浦工場の閉鎖(378人)を含め退職者が2,146人に達し、喜一郎自身も社長を辞任するという厳しい代償を払っている。外から課された制約を、単発の市場取引ではなく長期的なコミットメントを積み重ねる仕組みへと組み替えたことと、それでも払った代償の大きさ——この両方が同時に起きたことも見落とすべきではない。のちに系列サプライヤーとの関係にも広がっていく発想の原型が、ここにある。
制約を機会に転じたという点では「レモネードの原則」であり、その先に築かれた関係性は、エフェクチュエーションの「クレイジーキルト」の原則——需要を確定させてから相手を探すのではなく、コミットしてくれるパートナーと先に手を組み、その関係性そのものから市場を共創していく発想——とほぼ同じ形をしている。経営危機という予測不能な事態を製造部門だけで抱え込むのではなく、販売会社という新しいパートナーシップの形に組み替えることでリスクを吸収した。信頼関係の蓄積が、リスクを吸収する仕組みとして機能した側面がある。取引先との間に単発の条件交渉を超えた関係特殊的な結びつきが蓄積されていくことの意味は、日本企業のサプライヤー関係を分析した浅沼萬里の研究(浅沼, 1997)とも重なるところがある。
ただし、この関係性がどんな衝撃にも万能だったわけではない。2011年の東日本大震災、2022年のサイバー攻撃による国内全工場停止は、系列の緊密さゆえにサプライチェーン全体へ影響が波及した事例である。2021年の半導体不足は主因こそ世界的な供給制約だが、供給網の結びつきの強さが影響の速さ・深さに関わった点は共通する。長期的な信頼関係は不確実性を吸収する仕組みになりうる一方、単一の障害点にもなりうる——この両面性込みで読むべきだろう。
自社に引き寄せて考える
ここまでの3つの切り口を、自社の意思決定に当てはめて振り返ってみるとどうなるだろうか。
- 新規事業を始めるとき、市場予測を確定させてから動き出そうとしていないか。手元にある資源(技術・人脈・実績)から、まず何が始められるかを考えているか。
- 現場改善は、完璧な計画をなぞる作業になっていないか。小さな仮説検証を積み重ねながら前進できているか。
- 取引先やパートナーとの関係は、その都度の条件交渉で完結していないか。長期のコミットメントの先に、共に市場を作る関係が見えているか。
結論 ― 日本企業の現場に、既に息づいていた思考様式
エフェクチュエーションは、シリコンバレー発の目新しい理論というよりも、日本の製造業の現場に一世紀近く前——豊田自動織機の時代——から息づいていた思考様式なのかもしれない。トヨタの歩みはその一例にすぎないが、「予測と計画の権化」と見なされがちな企業の内側に、非予測的な意思決定の蓄積があったという読み方は、海外スタートアップ事例だけでは自社の文化に刺さらないと感じてきた読者にとって、一つの手がかりになるはずだ。
自社の過去の意思決定——新規事業の立ち上げでも、現場改善の取り組みでもいい——を一つ選び、それが手中の鳥・許容可能な損失・飛行機のパイロット・レモネードの原則・クレイジーキルトのどれに当てはまるか、振り返ってみてほしい。
答えは、たぶんもう手元にある。
引用・参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- サラス・サラスバシー(吉田満梨 訳)(2015).『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎.
- トヨタ自動車75年史「大学卒業まで/米欧視察へ」「A型エンジンとA1型乗用車の試作」「G1型トラックの施策・発表」「経営危機の発生」「豊田喜一郎社長の辞任」「芝浦・蒲田工場の閉鎖」「トヨタ自動車販売の設立」(トヨタ企業サイト).
- 浅沼萬里 (1997).『日本の企業組織 革新的適応のメカニズム——長期取引関係の構造と機能』東洋経済新報社.