目次
機材もファンもゼロから始めて、なぜか続いている人たち
動画配信やブログ、ポッドキャストで発信を始めた人の多くは、最初にこう考える。「どのジャンルなら伸びるか」「誰に向けて何を発信するか」を、まず紙の上で決めてから動き出そうとする。ところが実際に活動を続けている個人クリエイターを見ていくと、最初から緻密な事業計画を持っていた人はむしろ少数派だ。手元にあるものから始め、思いがけない出会いや失敗をきっかけに方向を変えながら、今の形にたどり着いている。
計画は後からついてくる。
この「計画より先に動く」という行動パターンには、実は名前がついている。経営学者サラス・サラスバシー(Saras D. Sarasvathy)が熟達した起業家の意思決定を研究して見出した理論、エフェクチュエーションである。市場調査から事業計画を立てて実行する従来型の発想(コーゼーション)とは逆に、手持ちの手段から可能性を広げていく5つの原則からなる。クリエイターエコノミー——個人が発信やコンテンツ制作を通じて収益を得る経済圏——で起きていることは、この5原則にほぼそのまま対応づけられる。
ジャンル探しではなく、手持ちの棚卸しから始まる
「バズるジャンル」を外側に探しに行こうとすると、たいてい手が止まる。存在しない完璧な需要を推測するより先にやるべきことがある。エフェクチュエーションの第一原則「手中の鳥(Bird in Hand)」は、Who I am(興味・価値観)、What I know(経験・専門知識)、Whom I know(すでにある人間関係)という3つの手持ち資源の確認から出発する考え方だ。
「好きなことで生きていく」という言い回しと似ているようで、中身は違う。好き嫌いの感情ではなく、今すでに持っている資源を可視化する作業である。特定のジャンルの経験が5年あるなら、それは市場調査より確実な手がかりになる。すでに知り合いに専門家がいるなら、それも立派な手段だ。ジャンルは外から降ってくるものではなく、手元の棚卸しから浮かび上がる。
機材と時間への投資は「失っても諦めがつく額」で線引きする
配信活動を始める人がまず直面するのが機材への投資判断だ。ここで「うまくいけばどれだけ回収できるか」という期待リターンの計算から入ると、動けなくなる。第二原則「許容可能な損失(Affordable Loss)」は、逆の順序で考える。失っても生活が揺るがない範囲をあらかじめ決め、その範囲内で試すという判断基準である。
高額な機材を最初から買い揃える必要はない。手元のスマートフォンで始めて、収益や反応が見えてから投資を積み増していけば、失敗しても痛手は小さい(機材への投資は後からいくらでも取り返せるが、無理な出費で活動そのものをやめてしまえば取り返しがつかない)。副業から専業への切り替えタイミングも同じ論理で判断できる。本業の収入を手放しても耐えられる範囲がどこまでかを先に確認してから動けば、賭けではなく検証になる。
最初のファンやコラボ相手が、企画そのものを変えていく
想定読者層を先に固定してコンテンツを作り込むより、実際に反応してくれた人やコラボレーションを持ちかけてくれた人との関係が、扱うテーマや発信媒体を決めていくことのほうが多い。これが第三原則「クレイジーキルト(Crazy Quilt)」の考え方だ。競合の分析よりも先に、誰が最初にコミットしてくれたかを起点にする。
配信を始めた当初は想定していなかったテーマが、視聴者からのコメントや他のクリエイターとの共演をきっかけに主軸になることは珍しくない。ガジェットレビューのつもりで始めたチャンネルが、コメント欄に集まった読者の質問に答えるうちに「使い方相談」の色を強めていく、といった変化は典型例だ。企画を一人で完璧に設計しようとするより、実際に関わってくれる相手との対話の中で輪郭が定まっていく。パートナーシップは事業計画の後についてくるものではなく、事業計画そのものを作り替える力を持っている。
アルゴリズム変動や炎上は、リスクではなく次の企画の材料になる
配信プラットフォームのアルゴリズムは予告なく変わる。急にバズることもあれば、これまで伸びていた投稿が突然届かなくなることもある。この予期せぬ出来事をどう扱うかが、第四原則「レモネード(Lemonade)」の核心である。想定外の事態を避けるべきリスクとしてではなく、次の一手の材料として積極的に活用する視点だ。
バズらなかった投稿は失敗ではなく、データである。反応の薄かったテーマ、伸びた切り口、コメント欄で出た意外な質問——そのすべてが次の企画の手がかりになる。丁寧に作ったつもりの投稿が伸びず、雑談的に出した一言が一番拡散される、という逆転も珍しくない。炎上や批判的な反応も、放置すれば損失だが、丁寧に向き合えば新しい層との接点に転じることがある。
予測できない変化を前提に置く。起きた出来事を材料として使い倒す。この原則の実践は、それだけのことだ。
トレンド予測ではなく、続けることでファンとの未来を作る
来年何が流行るかを言い当てようとするより、今日できることを続けるほうが確実に効く。第五原則「飛行機のパイロット(Pilot in the Plane)」は、外部環境の予測に頼るのではなく、コントロールできる行動そのもので未来を形作っていくという発想だ。飛行機の操縦士が天候を完全に予測できなくても、目の前の操作の積み重ねで目的地にたどり着くのと同じ構造である。
発信を続けるクリエイターに共通しているのは、派手な戦略よりも、投稿頻度やファンとの対話といった手元でコントロールできる行動を淡々と積み重ねている点だ。トレンドは追いかけるものではなく、継続の中から結果的に捉えられるものになる。
5つの原則を通して見えてくること
事業計画を立てずに動いているように見えるクリエイターたちは、実際には無計画なのではない。手元にある手段から出発し、許容できる範囲で試し、最初に応えてくれた相手との関係の中で方向を定め、想定外の出来事を材料に変え、予測ではなく継続で未来を形作る——この5つの動きは、そのまま起業家の意思決定理論と重なる。
無計画に見えて、実は誰よりも一貫している。
自分の活動を振り返るときの手がかりとして、次の3つを自問してみるとよい。今すでに持っている経験・知識・人間関係は何か。失っても諦めがつく投資の範囲はどこまでか。そして、最初に反応してくれた相手は誰だったか——ここから先は、答えが出るまでに少し時間がかかるかもしれない。
エフェクチュエーションの5原則それぞれをさらに詳しく知りたい場合は、手中の鳥や許容可能な損失の解説、理論全体の体系的な整理は「エフェクチュエーションとは何か」、キャリア設計への応用はエフェクチュエーションとキャリアデザインで扱っている。
出典: Sarasvathy, S. D. (2001). “Causation and Effectuation: Toward a Theoretical Shift from Economic Inevitability to Entrepreneurial Contingency.” Academy of Management Review./Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise.