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“We use the logic of effectuation as a foundation for a behavioral theory of the entrepreneurial firm that does not require the homo economicus assumption.”
— Dew, N., Read, S., Sarasvathy, S. D., & Wiltbank, R. (2008). Outlines of a behavioral theory of the entrepreneurial firm. Journal of Economic Behavior & Organization, 66(1), p. 38.
起業家的企業には専用の理論が必要だ
「企業とは何か」という問いに対して、経済学は複数の体系的な答えを持っている。Coase(1937)の取引費用理論は企業を「市場取引のコストを内部化する装置」として描いた。Jensen & Meckling(1976)の代理人理論は企業を「依頼人と代理人の契約の結節点」として扱う。Williamson(1975)は企業を「機会主義的行動と資産特殊性から生じる取引問題の解決策」として分析した。
これらの理論は、すでに事業が軌道に乗った既存企業の構造と行動を説明するには有効だ。しかし一つの問いに対しては、どれも満足な答えを提供しない。
スタートアップが市場に参入するとき、その企業はどのように形成されるのか。
既存の企業理論が前提とする「目標が明確で、資源が市場で調達可能で、効率性を最大化する合理的エージェント」としての企業像は、起業プロセスの初期段階には当てはまらない。まだ市場も製品も顧客も存在しない段階では、効率性の最大化という基準そのものが成立しない。
Nicholas Dew、Stuart Read、Saras Sarasvathy、Robert Wiltbankの4名が Journal of Economic Behavior & Organization(JEBO)66巻1号(pp. 37–59)に発表した「Outlines of a behavioral theory of the entrepreneurial firm」は、この理論的空白を埋める試みだ。エフェクチュエーション理論を基盤として、「経済人(homo economicus)仮説を必要としない起業家的企業の行動理論」の輪郭を描いたこの論文を詳解する。
既存の企業理論が起業家的企業を説明できない理由
Dew et al.(2008)の出発点は、標準的な経済学の企業理論への批判的分析だ(pp. 38–40)。
新古典派価格理論の限界
新古典派の標準的な企業理論は、企業を「生産関数を持ち、利潤を最大化する経済主体」として定義する。この定義には、少なくとも3つの前提が必要だ。第一に、完全情報——企業は市場価格・技術的可能性・消費者選好を知っている。第二に、明確に定義された目標——利潤最大化という単一の目的関数が存在する。第三に、資源の市場調達可能性——企業は必要な資源をすべて市場で調達できる。
しかし起業プロセスの初期段階では、これらの前提がすべて成立しない(Dew et al., 2008, p. 39)。市場価格は未知だ——製品が存在しないのだから市場価格は定義されない。目標は曖昧だ——「何を売るか」「誰に売るか」「どのようなビジネスモデルで」という問いは未解決のままだ。資源は市場調達できるとは限らない——スキル・関係性・信頼は価格シグナルで調達できない。
取引費用理論と代理人理論の境界条件
Coase-Williamson的な取引費用理論は、「なぜ市場ではなく企業が存在するのか」を説明する。しかし、この理論はすでに資源の選択肢が存在し、市場取引とヒエラルキー内部組織の費用を比較できる段階を前提とする(p. 39)。まだ資源も組織も存在しない段階で、「どの取引を内部化すべきか」という問いは意味を持たない。
代理人理論も同様だ。起業家がどのような報酬スキームで共同創業者や従業員を動機づけるかという問いは重要だが、「誰を招き入れるか」「どのような合意を形成するか」という問いが先行する。この「誰をどのような条件で仲間にするか」というプロセスは、標準的な代理人理論の枠外にある。
Simon的な限定合理性の役割
Dew et al.(2008)が既存理論の批判から進んで援用するのは、Herbert Simon(1955, 1996)の限定合理性(bounded rationality)と人工物の科学(science of the artificial)だ(pp. 40–41)。
Simonが示したように、人間は最適化ではなく「満足化(satisficing)」——最適解の探索を認知的・時間的・情報的制約の中で切り上げ、「十分に満足できる」解で決定する——を行う。この洞察は、利潤最大化という目的関数に基づく企業理論の前提を根本から問い直す。
さらにSimon(1996)の「人工物の科学」は、設計された人工的システム——企業もその一つ——の研究は、自然科学的な発見の論理とは異なる「設計の論理」に従うと論じた。企業は自然界の所与ではなく、人間が目的を持って設計した人工物だ。起業家的企業を理解するには、「発見される」ものとしての企業ではなく「設計される」ものとしての企業という視座が必要だ(Dew et al., 2008, p. 41)。
行動論的起業家的企業理論の3つの柱
Dew et al.(2008)が提案する「起業家的企業の行動理論」は、3つの核心的な命題から構成される(pp. 41–51)。
柱1:資源蓄積——市場調達ではなく手中の手段からの出発
新古典派理論は、企業が生産に必要な資源を市場で価格を支払って調達するという前提に立つ。しかし起業家的企業の初期段階では、この前提は成立しない。資源の多くは市場で取引可能な財ではなく、起業家の個人的な知識・スキル・関係性・評判だからだ。
Dew et al.(2008)は、エフェクチュエーションの手中の鳥原則——「Who I am / What I know / Whom I know」——がこの資源蓄積のロジックを正確に記述していると論じる(p. 42)。起業家的企業の資源基盤は、市場で調達されるのではなく、起業家が既に保有しているか、または関係性を通じてアクセスできるものから出発する。
この視点は、Penrose(1959)の資源ベース理論とも共鳴する。Penroseが企業を「生産的資源の集合体」として描いたように、Dew et al.は起業家的企業を「起業家の手中の資源から出発し、コミットメントを通じて拡張する資源の集合体」として描く(p. 43)。しかし標準的な資源ベース理論との差異も明確だ——資源は外部から「取得」されるのではなく、起業家的プロセスを通じて「蓄積」され「変容」される。
柱2:コミットメント形成——契約の論理ではなく自発的関与の論理
代理人理論と取引費用理論は、企業の形成を契約(contract)として描く。雇用契約・パートナーシップ契約・株主間契約——これらの契約が企業という制度を構成する。
しかしDew et al.(2008)は、起業家的企業の形成において最も重要なメカニズムは契約ではなくコミットメント(commitment)だと論じる(pp. 44–46)。エフェクチュエーションのクレイジーキルト原則——「自発的コミットメントのパートナーとの協力関係」——がここで中心的な役割を果たす。
契約は「交換の条件が事前に定義された合意」であり、そこには価格・履行条件・違反時の罰則が含まれる。これは、交換の対象が明確に定義されていることを前提とする。しかし、まだ存在しない製品・サービス・市場を対象とする起業プロセスでは、交換の対象を事前に定義することが原理的に困難だ。
この状況でステークホルダーを巻き込む手段は、精緻な契約ではなく「この起業家の方向性に賭ける」という自発的なコミットメントだ(p. 45)。コミットメントは、契約のような明確な交換の定義がなくても成立する。それは将来の創造に対する参加の表明であり、不確実性を共有することへの意志の表明だ。
この視点から見ると、エフェクチュエーション的な企業形成プロセスとは、様々なステークホルダーからの自発的コミットメントを逐次的に集積していくプロセスだということになる(p. 46)。各コミットメントが企業の資源と方向性を変え、次のコミットメントを引き出す。企業は最初から「設計図通りに組み立てられる」のではなく、コミットメントの積み重なりによって徐々に形を成す。
柱3:チームの形成——採用問題ではなく協働関係の構築
新古典派の雇用理論は、企業が労働市場から最適なスキルセットを持つ従業員を採用するという前提に立つ。技能・経験・学歴という属性が価格(賃金)に対応し、企業は費用対効果の最も高い人材を選択する。
Dew et al.(2008)はこのモデルが起業家的企業のチーム形成に適用できないと指摘する(pp. 47–49)。その理由は2つある。
第一に、必要なスキルセットが事前に定義されていない。起業プロセスの初期では、どのようなスキルが必要かは未知だ。製品が決まっていない段階で「必要なエンジニアのスペック」を定義することはできない。チームの構成は、事前の最適化問題として解けるのではなく、誰が参加してコミットメントを示すかによって事後的に決まる。
第二に、コミットメントの論理が採用の論理に先行する。初期の共同創業者や従業員は、単に「賃金と交換に労働を提供する代理人」ではない。彼らは起業家のビジョンと手中の手段に賭けたコミットメント参加者だ。この「意志」の次元は、価格と効率性だけでは捉えられない。
Dew et al.(2008)は、エフェクチュエーション的なチーム形成を「実験と選択によるチームの進化的組成」として描く(p. 49)。完全に設計されたチームからではなく、小さな関与から始まり、成功体験と失敗体験を通じてコミットメントのレベルが確定し、チームが徐々に安定した形を取る。
「予測を必要としない」意思決定の行動論的基盤
Dew et al.(2008)の論文が最も独自性を持つのは、「経済人仮説を必要としない」という主張の行動論的基礎付けだ(pp. 50–54)。
標準的な経済学的意思決定——最適化としての意思決定——には、3つの仮定が必要だ。完全情報(全ての選択肢とその結果を知っている)、安定した選好(何が望ましいかを明確に知っている)、計算能力(全ての可能性を計算できる)。これらの仮定がなければ「最適解」を求めることはできない。
しかしDew et al.(2008)は、起業家的文脈ではこれらの仮定が全て崩れると論じる(p. 51)。
情報は不完全だ。まだ存在しない市場の価格も需要も技術の可能性も未知だ。選好は不安定だ。起業プロセスを通じて「自分が何を達成したいか」自体が変化する。共同創業者・顧客・パートナーとの対話を通じて、目標は絶えず再定義される。計算能力は制約されるだけでなく、計算すべき問題の定義自体が未決だ——可能性空間の全体が不明なため、選択肢を列挙すること自体が不可能だ。
この状況で起業家はどのように意思決定するのか。Dew et al.(2008)の答えが、エフェクチュエーション理論の行動論的再定式化だ(pp. 52–53)。
手中の手段から出発することで、情報の完全性の問題を回避する。「何が可能か」を未来から遡って演繹するのではなく、「今持っているもので何が可能か」を現在から演繹する。これは計算可能な問題に変換する戦略だ。
許容可能な損失の基準を採ることで、選好の安定性の問題を回避する。「期待リターンを最大化する」には安定した価値関数が必要だが、「失っても耐えられる上限」を設定することは、価値関数が不安定でも実行できる。上限さえ明確なら、選択の基準は成立する。
コミットメントを順次確定することで、計算能力の問題を回避する。全ての可能性を一度に計算する代わりに、一つのコミットメントが確定するたびに次の可能性空間を絞り込む。問題を時間的に分割することで、各時点での計算負荷を許容可能な範囲に収める(p. 53)。
取引費用論の補完——制度的文脈との接続
Dew et al.(2008)は、自らの理論が取引費用論を否定するのではなく補完すると主張する(pp. 54–56)。
Williamson(1975)の取引費用論が最も有効に機能するのは、取引の属性——資産特殊性・不確実性・取引頻度——が測定可能な段階においてだ。資産特殊性が高く、取引頻度が高い場合には市場ではなくヒエラルキーによる内部組織化が効率的だというWilliamsonの命題は、それらの属性を事前に評価できることを前提とする(p. 55)。
起業プロセスの初期では、この評価が原理的にできない。まだ存在しない製品・サービスに関わる取引の資産特殊性は測定できない。取引頻度も未定だ。したがって、「どの取引を内部化すべきか」というWilliamson的な問いが答えられる段階に達するには、まずエフェクチュエーション的なプロセスを経て市場と製品の輪郭が描かれなければならない(p. 55)。
Dew et al.(2008)の含意は明確だ——エフェクチュエーション的な企業形成プロセスは、取引費用論的な効率的組織設計が意味を持つ段階への「前段階」として機能する。起業家的行動が生み出した市場・製品・顧客関係の輪郭が確立されて初めて、Williamson的な効率化の最適化が意味を持つ(p. 56)。
独自考察——行動論的企業理論の射程と限界
Dew et al.(2008)の論文が提供する理論的貢献は、エフェクチュエーション研究の中でもとりわけ学術的な射程を持つものだ。しかし同時に、いくつかの未解決問題も内包している。
貢献の核心は「橋渡し」にある。エフェクチュエーション理論は当初、起業家の認知プロセスの記述的理論として提唱された。Dew et al.(2008)は、この記述的理論を経済学の規範的な企業理論と対話させることで、エフェクチュエーションが「起業家的文脈に特化した経済学的合理性の代替モデル」として機能しうることを示した。これは、エフェクチュエーションを経営学の主流派の理論的文脈に接続する重要な試みだ。
第一の未解決問題は、コミットメントの「質」の評価だ。論文はコミットメントの「自発性」と「積み重なり」を強調するが、全てのコミットメントが同等ではない。初期の共同創業者の強いコミットメントと、遠い顧客の弱い関心とは、企業形成への貢献において質的に異なる。コミットメントの強度と方向性をどのように評価・組み合わせるかは、理論が明示的に扱っていない。
第二の未解決問題は、行動論的企業理論が示す「起業家的企業」から「既存企業」への移行のメカニズムだ。エフェクチュエーション的に形成された企業が、どの時点でどのように標準的な取引費用論・代理人理論が適用される「既存企業」に変容するのかは、論文が輪郭として示した問題であり、完全な答えは提供されていない(Dew et al., 2008, p. 57)。
第三の問題は、失敗の取り込みだ。コミットメントの積み重なりによる企業形成の記述は、暗黙のうちにコミットメントが成功裏に積み重なるケースを想定している。しかし、初期のコミットメントが崩壊した場合——初期の共同創業者が離脱する場合、最初の主要顧客が離れる場合——、企業はどのように次のコミットメント形成の機会を見出すのか。この問いへの応答は、実証研究が担う領域として示されるにとどまる。
後続研究への影響
Dew et al.(2008)の論文が後続研究に与えた影響は、直接的な引用の多さよりも、エフェクチュエーション研究を経済学との対話に開く橋渡しという機能において評価できる。
Read et al.(2016)のEffectual Entrepreneurship第2版(Routledge)は、企業形成の行動論的基盤としてDew et al.(2008)の議論を参照しながら、「エフェクチュアル・ロジックを用いた企業設計の原則」を体系化した(Read et al., 2016, pp. 61–74)。
エフェクチュエーションと企業の境界条件の研究——どのような環境でエフェクチュエーション的行動が有効か——は、Dew et al.(2008)が示した「前段階/後段階」の分析フレームを発展させたものとして位置づけられる。
Simon(1996)の人工物の科学との接続については、後のSarasvathy(2008)Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertiseが「起業家的専門性(entrepreneurial expertise)」の理論的基盤として一章を割いて論じており、Dew et al.(2008)が開いた問いへの応答が体系化されている(Sarasvathy, 2008, Chapter 8)。
参照文献
- Dew, N., Read, S., Sarasvathy, S. D., & Wiltbank, R. (2008). Outlines of a behavioral theory of the entrepreneurial firm. Journal of Economic Behavior & Organization, 66(1), 37–59. https://doi.org/10.1016/j.jebo.2006.10.008
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Read, S., Sarasvathy, S., Dew, N., & Wiltbank, R. (2016). Effectual Entrepreneurship (2nd ed.). Routledge.
- Simon, H. A. (1955). A behavioral model of rational choice. Quarterly Journal of Economics, 69(1), 99–118. https://doi.org/10.2307/1884852
- Simon, H. A. (1996). The Sciences of the Artificial (3rd ed.). MIT Press.
- Coase, R. H. (1937). The nature of the firm. Economica, 4(16), 386–405. https://doi.org/10.1111/j.1468-0335.1937.tb00002.x
- Williamson, O. E. (1975). Markets and Hierarchies: Analysis and Antitrust Implications. Free Press.
- Jensen, M. C., & Meckling, W. H. (1976). Theory of the firm: Managerial behavior, agency costs and ownership structure. Journal of Financial Economics, 3(4), 305–360.
- Penrose, E. T. (1959). The Theory of the Growth of the Firm. Oxford University Press.
- Wiltbank, R., Read, S., Dew, N., & Sarasvathy, S. D. (2006). What to do next? The case for non-predictive strategy. Strategic Management Journal, 27(10), 981–998.
- Knight, F. H. (1921). Risk, Uncertainty and Profit. Hart, Schaffner and Marx.
参考書籍
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