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なぜ「人工物」なのか
エフェクチュエーション理論の名を知り、5つの原則を暗記した人でも、「なぜその原則が機能するのか」と問われると言葉に詰まることが多い。原則そのものの説明——「期待リターンでなく許容可能な損失を基準にせよ」「偶発的な出来事を機会として扱え」——は、直感的に飲み込みやすい。だが、その背後にある認識論的な根拠、つまり「そもそも、なぜ起業という行為は予測よりもコントロールを基盤にすべきなのか」という問いには、Sarasvathy(2001)の AMR 論文(Academy of Management Review, 26(2), 243-263)だけでは答えきれない。
この問いに正面から向き合ったのが、Sarasvathy が2003年に Journal of Economic Psychology(24巻2号、pp. 203-220)に発表した「Entrepreneurship as a Science of the Artificial」である(Sarasvathy, 2003)。本論文は、起業家精神をHerbert Simon の「人工物の科学(Sciences of the Artificial)」の枠組みで再定位することで、エフェクチュエーション理論の認識論的基盤を明示的に構築した。
Sarasvathy と Simon の関係は師弟関係に遡る。Sarasvathy は博士研究をカーネギーメロン大学で行い、Simon の直接の指導を受けた。Simon は1978年のノーベル経済学賞受賞者であり、「限定合理性(bounded rationality)」と「満足化(satisficing)」を中心概念とする意思決定理論の巨人だ。Sciences of the Artificial(初版1969年、第3版1996年、MIT Press)は、Simon がデザイン科学・認知科学・人工知能にわたって展開した「人工物」という概念による統合的科学論であり、Sarasvathy の理論形成に最も深く影響した一冊である(Sarasvathy, 2003, pp. 203-204; Sarasvathy, 2008, p. 9)。
Simon の「人工物の科学」——4つの命題
Sarasvathy(2003)は、Simon が Sciences of the Artificial で展開した命題群を整理し、起業家的意思決定に適用可能な4つの中心テーマとして再構成した(Sarasvathy, 2003, pp. 205-210)。
命題1:自然法則は制約するが命令しない
Simon(1996)の核心命題の一つは、自然法則はデザインの選択肢を制約するが、デザインの形を一意に決定しないというものだ。同一の材料と物理法則に従いながら、無数のデザインが可能なように、自然は「このデザインでなければならない」とは言わない。
これを起業の文脈に移すと、市場の競争原理や技術の物理的制約は、事業の輪郭を制限するが、どのような事業を作るかを決定しないということになる(Sarasvathy, 2003, p. 206)。コーゼーション的なアプローチは、市場の「既存の形」——需要分布・競合構造・最適セグメント——を分析し、そこに最適な事業を位置づけようとする。しかしこの姿勢は、自然法則に「答え」を求めるような誤りを犯している。市場は、起業家の行動によって形成される人工物(artifact)であり、分析・発見の対象ではなく設計・創造の対象である。
命題2:デザインにおいて予測の使用を回避せよ
Simon(1996)が設計科学(science of design)で強調した原則の一つが、予測を可能な限り使わずにデザインを構築することの優位性だ。直感には反する。だが Simon の論理は単純だ。予測は計算コストが高く、しかも外れる。設計が予測に過度に依存すれば、予測が外れた瞬間に設計全体が崩れる。ならば、予測なしでも機能するロバストなアーキテクチャを組むほうが、設計としての品質は高い(Simon, 1996, Chapter 5)。
Sarasvathy はこれを起業家的意思決定に適用する。予測に頼らなくても機能するような事業設計——その論理的実装が、エフェクチュエーションの5原則だ(Sarasvathy, 2003, p. 207)。
手中の鳥の原則(Bird in Hand)は「今ある手段から始める」ことで予測の必要を回避する。許容可能な損失の原則(Affordable Loss)は「失ってよい上限」を設定することで期待リターンの予測を不要にする。レモネードの原則(Lemonade)は予測外の出来事を機会に変えることで予測の失敗を無効化する。クレイジーキルトの原則(Crazy Quilt)はパートナーのコミットメントによって環境を共創することで「未来を予測する」必要を「未来を作る」行動に置き換える。そして飛行機のパイロットの原則(Pilot in the Plane)は「予測できる限り統制できる」から「統制できる限り予測を必要としない」への認識論的逆転を明示する(Sarasvathy, 2001, p. 252)。
5原則は個別のヒューリスティクスではなく、「予測に依存しないデザインを実現するための統合的な方法論」だと読み直すことができる。これがSimon からの最も重要な理論的継承だ。
命題3:局所性と偶発性が人工物の科学を支配する
Simon(1996)の第3の命題は、人工物はその環境との関係において局所的・偶発的に形成されるということだ。橋や飛行機のデザインが、その架かる川の幅・その飛ぶ大気圧・その運ぶ荷物の重さに依存するように、人工物の最適形は普遍的に決定されない。局所的な環境条件と偶発的な状況が、デザインの具体的な形を規定する(Simon, 1996, Chapter 2)。
この命題は、起業家研究における根本的な問い——「成功した起業家の「方法」は一般化可能か」——に対する深い示唆を持つ(Sarasvathy, 2003, pp. 208-209)。コーゼーション的な発想は、「最適な市場参入戦略」「最適なビジネスモデル」を普遍的に同定できると仮定する。しかし人工物の科学の視点からは、「最適」はそもそも局所的・偶発的であり、普遍的な最適解は原理的に存在しない。
エフェクチュエーションが「誰でも学べる方法論」として提示される一方で、「熟達した起業家の認知パターン」として定義されるのは(Sarasvathy, 2008, pp. 6-7)、この局所性と偶発性の命題と整合する。エフェクチュエーションは「この状況でこうすれば成功する」という普遍的処方箋ではなく、「不確実な状況を局所的・偶発的に扱うための認知的枠組み」として設計されている。
偶発性(contingency)の概念は、レモネードの原則の理論的根拠でもある。計画から外れた出来事は「予測の失敗」ではなく、局所的な状況が生み出した新しい可能性として扱うことが、人工物のデザインとして論理的に一貫している。
命題4:近可分性が持続するデザインの本質的特徴
Simon(1996)の4つ目の命題で、Sarasvathy が特に強調したのが近可分性(near-decomposability)の概念だ(Sarasvathy, 2003, pp. 209-211)。
近可分性とは、複雑なシステムが**「ほぼ独立した(nearly independent)サブシステムの階層構造」として組織されているという特性を指す。「完全に独立」ではなく「ほぼ独立」——この「ほぼ(near)」が重要だ。完全に独立したサブシステムは相互作用できず、新しい機能を創発できない。完全に依存したシステムは変化に対して脆弱で、一部の変化が全体を崩壊させる。「ほぼ独立」という中間状態が、柔軟性と安定性を同時に実現する**(Simon, 1996, pp. 183-216)。
Simon は、自然界の持続性の高いシステム——生物の細胞・社会組織・言語——が軒並み近可分な階層構造を持つことを示した。これは偶然ではなく、近可分性が複雑な環境に対するロバストな構造を生み出すための原理だからだ(Simon, 1996, p. 207)。
Sarasvathy はこれを起業家的組織設計に適用する。スタートアップが最初からすべてを一体的に構築しようとすると、一つの変更が全体に影響し、適応コストが爆発的に増大する。一方、「ほぼ独立した」モジュール的な組み立て方——製品・チーム・パートナーシップを独立性を保ちながら接続する構造——は、環境の変化に対して柔軟に対応できる(Sarasvathy, 2003, p. 210)。
近可分性の視点からクレイジーキルトの原則を読み直すと、より深い含意が見えてくる。ステークホルダーとのコミットメントを「ほぼ独立した」関係として積み重ねる構造は、一人のパートナーが離脱しても全体が崩壊しない近可分なネットワークを形成する。逆に、特定のパートナーへの完全依存は近可分性を失わせ、脆弱なデザインになる。
「人工物としての企業」——コーゼーション的前提への根本的異議
Sarasvathy(2003)が人工物の科学の枠組みを導入することで達成したのは、企業という存在の存在論的な再定位だ(Sarasvathy, 2003, pp. 211-215)。
コーゼーション的な起業研究の前提では、企業は「発見される機会の具現化」である。市場に潜在するニーズが「客観的に」存在し、起業家はその機会を「発見」して事業を立ち上げる。Shane & Venkataraman(2000)が定式化した機会発見モデル(Academy of Management Review, 25(1), 217-226)がこの前提を体系化した。この前提に立つ限り、より精密な市場分析・より優れた予測能力が起業の成功確率を高めることになる。
人工物の科学の枠組みでは、企業は「デザインされる人工物」だ。機会は発見されるのではなく、起業家とステークホルダーの相互作用によって共に構築される。Simon が「自然法則は制約するが命令しない」と言うように、市場の環境条件は事業の輪郭を制約するが、「このビジネスでなければならない」とは言わない。起業家は制約の中でデザインの選択を行う主体であり、受動的な機会の「発見者」ではない(Sarasvathy, 2003, p. 213)。
この存在論的な転換は、起業研究において重大な方法論的含意を持つ。機会発見モデルに立つなら、起業研究の問いは「どのような機会が発見可能か」「どのような個人が優れた機会発見者か」になる。人工物の科学モデルに立つなら、問いは「どのようなデザインプロセスが優れた企業を生み出すか」「どのような認知パターンが優れた人工物設計者を作るか」になる(Sarasvathy, 2003, p. 214)。
後者の問いが、Sarasvathy(2001)のシンク・アラウド実験——熟達した起業家27名の意思決定プロセスの直接観察——の設計を動機づけた。「機会を発見する」のではなく「人工物をデザインする」プロセスを分析するには、認知プロセスの直接観察が方法論として合理的だ。シンク・アラウドはそのための道具であった(Sarasvathy, 2003, pp. 215-216; Ericsson & Simon, 1993)。
エフェクチュエーションとコーゼーション——「自然科学」対「デザイン科学」の対立として読む
Sarasvathy(2003)の論文が持つ最も重要な理論的貢献は、コーゼーション対エフェクチュエーションの対立を、「自然科学の方法論」対「デザイン科学の方法論」の対立として再定位したことにある(Sarasvathy, 2003, pp. 216-218)。
自然科学は「世界がどのようであるか(how the world is)」を記述・説明・予測することを目的とする。自然法則は発見の対象であり、科学者はその法則に従う存在だ。実験は「仮説が真かどうか」を検証する手続きであり、予測精度がその手続きの評価基準になる。
デザイン科学は「世界をどのようにすべきか(how the world ought to be)」を構想・設計・構築することを目的とする(Simon, 1996, pp. 1-2)。デザイン科学者は法則の制約の中で選択する主体であり、「この設計が機能するか」が評価基準だ。予測精度ではなく、設計の達成度が評価の軸になる。
コーゼーション的な起業研究は、自然科学の方法論を暗黙に採用している。「どの市場に機会があるか」を予測し、「どのビジネスモデルが最適か」を最適化する。これは、あたかも起業という行為が自然現象の「発見」であるかのような前提に立っている。
エフェクチュエーションはデザイン科学の方法論に立つ。起業家は自然法則の発見者ではなく、人工物のデザイナーだ。「市場が存在するかどうか」ではなく「どのような市場を作るか」が問いになる。評価基準は予測の当否ではなく、設計の実現度だ(Sarasvathy, 2003, p. 218)。
この読み替えは、実務家にとって解放的だ。「自分の予測は正しいのか」という不安から、「自分のデザインをどう実現するか」という能動性へ——軸足が移る。予測が外れても、それは「設計ミス」ではなく「デザインの修正機会」になる。
近可分性とスタートアップの組織設計
近可分性の概念は、スタートアップの組織設計に対して具体的な含意を持つ。理論的な精緻化として、Sarasvathy(2003)がこの概念をどのように展開したかを確認する。
第一に、製品開発の近可分性だ。製品機能を「ほぼ独立した」モジュールとして構築することで、一つの機能の変更が他の機能に与える影響を最小化する。これはソフトウェア工学のモジュラー設計の原則と本質的に同じだが、起業家的認知の観点からは、MVP(Minimum Viable Product)設計の理論的根拠として読める(Sarasvathy, 2003, p. 210)。必要最小限の機能から始め、モジュールを積み上げるアプローチは、近可分性を維持したまま事業を成長させる方法論だ。
第二に、チーム構成の近可分性だ。特定の個人への過度な依存を避け、チームのスキルセットが「ほぼ独立して機能できる」状態を保つことが、組織のロバスト性を高める。Sarasvathy(2001, p. 248)が「手中の鳥」の「誰を知っているか(Whom I know)」をネットワークとして捉えるとき、その背景には近可分性の論理がある。人脈の各ノードは「ほぼ独立した」資源として存在し、一つのネットワーク関係の変化が全体に波及しない構造が望ましい。
第三に、ステークホルダー・コミットメントの近可分性だ。クレイジーキルトの原則が示す「自発的コミットメントに基づくパートナーシップの連鎖」は、各コミットメントが「ほぼ独立した」関係として存在することを前提とする(Sarasvathy, 2003, p. 211)。特定のステークホルダーへの過度な依存は近可分性を失わせ、そのステークホルダーが抜けた際の全体崩壊リスクを高める。
2003年論文の学術史的位置づけ
Sarasvathy(2003)は、2001年の AMR 論文と2008年の書籍の橋渡しとなる理論的深化論文として位置づけられる。
2001年の AMR 論文(Sarasvathy, 2001)は、シンク・アラウド実験の結果からエフェクチュエーションを帰納的に提示した。5つの原則の記述と、コーゼーション対エフェクチュエーションの対比が中心で、経験的データから理論を立ち上げた論文だ。
2003年の Journal of Economic Psychology 論文は、同じ理論に認識論的・哲学的な基盤を与えた。「なぜこの原則が機能するのか」という問いに、Simon の人工物の科学という先行理論の力を借りて答えた。
2008年の書籍 Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise(Sarasvathy, 2008)は、2001年と2003年の理論的成果を統合し、教育・実践への応用フレームワークを構築した。5原則の詳解、実証研究のレビュー、教育プログラムへの接続が主な貢献だ。
この3つの論文・著作の連鎖を理解することで、エフェクチュエーション理論がどのように積み上げられたかが見えてくる。特に2003年論文が与えた認識論的基盤は、後の実証研究が「なぜエフェクチュエーションが機能するか」を問う際の理論的準拠点になっている(Dew, Read, Sarasvathy & Wiltbank, 2009, p. 288; Wiltbank, Read, Dew & Sarasvathy, 2006, p. 983)。
「予測しない」のは逃避ではなく設計原則だ
Sarasvathy(2003)の最大の実務的含意は、「予測しないことへの正当化」ではなく、「予測をしないことが設計として優れている条件の特定」だ。
予測が機能する条件——安定した競合構造・既知の顧客ニーズ・確率分布が推定可能なリスク——では、コーゼーション的アプローチが合理的だ。Simon(1996)も、完全に予測可能な環境では予測を使うことを否定しなかった。
しかし、起業家が直面する環境の多くは——特に新市場の創造・技術の不連続な革新・既存市場への根本的な挑戦を含む場合は——確率分布さえ未知なナイト的不確実性が支配する(Knight, 1921; Sarasvathy, 2001, p. 251)。この条件で予測に依拠することは、Simon が指摘した設計の失敗パターン——「予測に依存するロバストでないアーキテクチャ」——に陥ることを意味する。
「予測しないことへの正当化」ではなく「どのような条件で予測を回避し、デザインで代替すべきか」——この問いへの理論的な回答を、Sarasvathy(2003)は Simon の知的遺産を通じて提供した。それがこの論文の、起業研究における知的な意義だ。
引用・参考文献
- Sarasvathy, S. D. (2003). Entrepreneurship as a science of the artificial. Journal of Economic Psychology, 24(2), 203–220. https://doi.org/10.1016/S0167-4870(02)00203-9
- Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and effectuation: Toward a theoretical shift from economic inevitability to entrepreneurial contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263. https://doi.org/10.5465/amr.2001.4378020
- Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar Publishing.
- Simon, H. A. (1996). The Sciences of the Artificial (3rd ed.). MIT Press.
- Simon, H. A. (1955). A behavioral model of rational choice. Quarterly Journal of Economics, 69(1), 99–118.
- Shane, S., & Venkataraman, S. (2000). The promise of entrepreneurship as a field of research. Academy of Management Review, 25(1), 217–226.
- Dew, N., Read, S., Sarasvathy, S. D., & Wiltbank, R. (2009). Effectual versus predictive logics in entrepreneurial decision-making: Differences between experts and novices. Journal of Business Venturing, 24(4), 287–309. https://doi.org/10.1016/j.jbusvent.2008.02.003
- Wiltbank, R., Dew, N., Read, S., & Sarasvathy, S. D. (2006). What to do next? The case for non-predictive strategy. Strategic Management Journal, 27(10), 981–998. https://doi.org/10.1002/smj.555
- Knight, F. H. (1921). Risk, Uncertainty and Profit. Hart, Schaffner and Marx.
- Ericsson, K. A., & Simon, H. A. (1993). Protocol Analysis: Verbal Reports as Data (Rev. ed.). MIT Press.
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