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レモネード原則の科学的根拠——Sarasvathy 2008 原典解説と Read et al. 2009 / Chandler et al. 2011 実証研究

エフェクチュエーションのレモネード原則(偶発性の積極活用)を学術的に深掘り。Sarasvathy(2008)の原典理論からKnight(1921)の不確実性論、Mintzberg(1978)のemerging strategyとの接続、そしてRead et al.(2009)とChandler et al.(2011)による実証研究の知見までを体系的に解説する。

約21分
目次

「偶発性の活用」に科学的根拠はあるのか

「レモネードを作れ」——この言葉は直感的に響く。しかし実務家が組織の意思決定においてこの原則を使おうとすると、必ず問われる問いがある。「その根拠は何か?」という問いである。

「ポジティブシンキングと何が違うのか」「セレンディピティに頼る経営が本当に合理的なのか」——こうした反論に対して、レモネード原則を実践的ツールとして使い続けるためには、理論的・実証的根拠の理解が不可欠である。

本稿の目的は、Sarasvathy(2008)の原典理論の構造を精確に解説し、Knight(1921)やMintzberg(1978)との理論的接続を明確にしたうえで、Read et al.(2009)とChandler et al.(2011)による実証研究が「偶発性の活用」について何を証明し、何を証明していないかを整理することにある。

「偶発性を活用できない」のはあなただけではない

多くの組織において、偶発的な出来事に対するデフォルトの反応は「元の計画への回帰」である。想定外のクレームが来たら謝罪して元に戻す。想定外の需要が生じたら一時的に対処するが計画は変えない。偶発性を「システムへの干渉」として除去することが、組織の本能的な反応である。

この反応が不合理なのは、それが「コーゼーション的な世界観」——目標を先に定め、計画を精緻化し、実行の精度を高める論理——の徹底から来ているからではない。問題は、コーゼーションが前提とする「リスクの計算可能性」が、真に不確実な局面では成立しないという点にある。

Kahneman & Tversky(1979)のプロスペクト理論が示した損失回避性も、この傾向を強化する。人間は利益の獲得よりも損失の回避を強く選好する。偶発的な出来事を「計画からの逸脱=損失」として認識する組織においては、それを機会として活用する認知的転換は意識的な訓練なしには起こらない

Sarasvathy(2008)の原典——レモネード原則の理論的構造

「レモン」の定義——偶発性とはサプライズである

Sarasvathy(2008)はレモネード原則を以下のように定義している。「起業家的エキスパートは、偶発的な出来事に対して、単に対応(react)するのではなく、それを積極的に利用(leverage)する」(Sarasvathy, 2008, p. 91)。

ここで重要なのは「偶発性(contingency)」の定義である。Sarasvathy(2008, p. 89)は偶発性を「予測モデルに組み込まれていなかった出来事(events that were not in the model)」と定義している。これはリスク——確率分布が推定可能な不確定性——とは根本的に異なる。確率分布に乗らない出来事は、事前に「対策」を立てることができない。だからこそ、「対策の設計」ではなく「出来事が起きた後の活用」という論理が必要になる。

偶発性活用の3段階プロセス

Sarasvathy(2008)のシンク・アラウド・プロトコル実験——少なくとも1社で年商100万ドル超または時価総額2億ドル超の企業を創業した経験を持つ熟達起業家27名を対象とした認知実験——は、偶発性に対する熟達起業家の対応に共通した3段階のプロセスを示した(Sarasvathy, 2008, pp. 88–93)。

第一段階:サプライズの認識(Surprise Recognition)。熟達起業家は予期せぬ出来事に対して、それを「問題」としてではなく「データ」として認識する傾向を示した。「これは何を意味するのか」という解釈の問いが、「これをどう排除するか」という問いより先に来る。

第二段階:手段との照合(Means Matching)。偶発的な出来事を認識した後、熟達起業家は現在自分が持っている手段(Who I am / What I know / Whom I know)との照合を行う。「この出来事と自分の手段を組み合わせると何ができるか」という問いである。これは手中の鳥原則との直接的な接続点である。

第三段階:コミットメントの獲得(Commitment Acquisition)。偶発性から生まれた新しい可能性を現実化するためには、ステークホルダーのコミットメントが必要となる。熟達起業家は偶発的な機会を独力で実現しようとせず、クレイジーキルト原則に従ってパートナーを巻き込むことで不確実性を削減する(Sarasvathy, 2008, pp. 91–92)。

レモネード原則は「楽観主義」ではない

Sarasvathy(2008)が強調する点として、レモネード原則は「どんな偶発的な出来事も機会になるという楽観的主張ではない」という留保がある(Sarasvathy, 2008, p. 90)。

熟達起業家が偶発性を活用するのは、それが現在の手段と結合可能であり、かつ許容可能な損失(Affordable Loss)の範囲内で行動できる場合に限られる。偶発性を活用するかどうかは、コストとの照合によって判断されるのであり、すべての予期せぬ出来事を「機会だ」と断定する態度とは異なる。

Knight(1921)の不確実性論との接続

レモネード原則の知的基盤を理解するために、Frank H. Knight(1921)の古典的な区分に戻る必要がある。

Knight(1921)は将来の不確定性を「リスク(Risk)」と「不確実性(Uncertainty)」に峻別した。リスクとは確率分布が既知または推定可能な状態であり、期待値計算によって合理的な意思決定が可能である。不確実性——Knight が「真正の不確実性(true uncertainty)」と呼んだもの——とは、確率分布そのものが未知であり、何が起こりうるかの全体集合が定義できない状態である(Knight, 1921, Chapter 7)。

エフェクチュエーション理論の認識論的出発点は、新市場の創造や革新的事業の立ち上げという局面が「真正の不確実性」の世界に属するという主張にある(Sarasvathy, 2001, p. 250)。この世界では、偶発的な出来事に事前に対策を立てることは原理的に不可能である。なぜならば、「何が起こりうるか」の全体集合が定義できていないからである。

Knight的な不確実性の世界においては、偶発性に「対策を立てる」ことはできない。できるのは、偶発性が起きた後にそれを活用する準備をしておくことである。これがレモネード原則の存在論的基盤である。

詳細な理論的背景については「エフェクチュエーションの知的系譜」で解説している。

Mintzberg(1978)のエマージェント戦略との理論的接続

レモネード原則と接続すべきもう一つの重要な理論的先行研究が、Henry Mintzberg(1978)の「意図された戦略(Intended Strategy)」と「創発的戦略(Emergent Strategy)」の区分である。

Mintzberg(1978)は、組織の実際の行動パターン(実現された戦略)は、事前に意図された計画(意図された戦略)とは異なる経路を辿ることが多いという実証的観察から出発した(Mintzberg, 1978, p. 945)。実現された戦略の一部は意図されたものであるが、残りの部分は環境との相互作用の中で「創発的」に形成される——これがエマージェント戦略論の核心である。

エマージェント戦略とレモネード原則の共鳴点は明確である。どちらも「計画外の出来事が戦略的価値を持ちうる」という命題を共有している。しかし両者には重要な違いがある。**Mintzbergの理論は事後的な記述論(descriptive theory)であるのに対し、Sarasvathyのレモネード原則は行為者の認知プロセスに介入する規範論(prescriptive theory)**という性格を持つ(Sarasvathy, 2008, pp. 105–106)。

Mintzbergは「創発的戦略が事後的に形成されることがある」と記述したが、Sarasvathyは「熟達した起業家は意図的に偶発性をレバレッジとして活用する」という能動的なプロセスを明示した。この能動性の付加がレモネード原則の実践的価値である。

Read et al.(2009)の実証研究——メタ分析による検証

研究の概要

Read, S., Song, M., & Smit, W.(2009)は、エフェクチュエーション研究の初期の体系的メタ分析を実施した。彼らは1987年から2007年の間に発表された起業家の意思決定に関する実証研究を対象に、エフェクチュエーション的な行動原則が起業家のパフォーマンスに与える効果を統計的に検証した(Read et al., 2009, p. 573)。

レモネード原則に関する発見

Read et al.(2009)のメタ分析において、偶発性の活用——レモネード原則に対応する概念——と新規ベンチャーのパフォーマンスの間には正の相関関係が確認された(Read et al., 2009, pp. 578–580)。

具体的には、「偶発的な出来事を資源として積極活用する起業家」は、「計画への回帰を優先する起業家」と比較して、新製品開発の成功率と市場浸透速度において優位な結果を示す傾向があった。この傾向は特に、不確実性が高い環境(新市場の創造、急速に変化する技術領域)において顕著であった(Read et al., 2009, p. 579)。

解釈上の留意点

ただしRead et al.(2009)は、この結果の解釈に慎重さを求めている。メタ分析の対象となった研究の多くは相関関係の研究であり、偶発性の活用が高いパフォーマンスを「引き起こす」という因果関係が確立されたわけではない(Read et al., 2009, p. 583)。

また、サンプルの多くが欧米の起業家によるものであり、文化的コンテクストの違いが結果に影響を与えている可能性を排除できないとRead et al.(2009, p. 584)は明記している。これは日本の実務文脈への適用において留意すべき点である。

Chandler et al.(2011)——尺度開発と実証研究

研究の位置づけ

Chandler, G. N., DeTienne, D. R., McKelvie, A., & Mumford, T. V.(2011)は、エフェクチュエーション研究において方法論的に重要な貢献を行った。エフェクチュエーションとコーゼーションの各次元を測定する信頼性・妥当性の高い尺度(scale)を開発したという点で、この研究はその後の実証研究の基盤となっている(Chandler et al., 2011, p. 376)。

偶発性活用尺度の構築

Chandler et al.(2011)が開発した尺度において、レモネード原則(偶発性の活用)は独立した次元として操作化された。偶発性活用を測定する項目には「予期しない情報を事業設計に積極的に取り込む」「計画外の出来事から新しいビジネスチャンスを見つける」といった内容が含まれている(Chandler et al., 2011, pp. 380–381)。

重要な発見として、Chandler et al.(2011)はコーゼーションとエフェクチュエーションは同一次元の対極ではなく、独立した2次元であることを統計的に示した(Chandler et al., 2011, p. 383)。すなわち、ある起業家が高い偶発性活用スコアを持つことは、その起業家が低いコーゼーション使用を意味しない。両者を同時に使いこなすことが可能であり、実際に熟達した起業家はそうしているという発見は、二項対立的な理解を修正する重要な知見である。

業績との関係

Chandler et al.(2011)のサンプル(米国の新興ベンチャー企業の代表者)においては、偶発性活用とベンチャーのパフォーマンス(売上成長・雇用成長)の間に直接的な統計的有意性は確認されなかった(Chandler et al., 2011, pp. 384–385)。

この「非有意」の結果は、レモネード原則の否定ではない。Chandler et al.(2011, p. 386)は、偶発性の活用の効果が媒介変数(たとえばネットワークの規模、手持ち資源の量、産業の不確実性レベル)を通じて間接的に業績に影響する可能性を示唆している。つまり、偶発性の活用は直接業績を改善するメカニズムではなく、環境変化への適応能力という潜在的な能力(capability)を高めるメカニズムとして機能する可能性が高い。

理論と実証が示す「レモネード原則の境界条件」

Read et al.(2009)とChandler et al.(2011)の研究を統合すると、レモネード原則が機能する境界条件(boundary conditions)が浮かび上がる。

第一に、不確実性の水準が重要である。市場の不確実性が高い局面では偶発性の活用が有効に機能するが、既存市場での効率化・最適化の局面ではコーゼーション的なリスク管理の方が適切である。Sarasvathy(2001, p. 250)が示したように、両者は排他的ではなく、状況に応じた使い分けが求められる。

第二に、手持ち資源の豊富さが偶発性を活用する能力の前提となる。手中の鳥原則が示すように、偶発的な出来事は「現在の手段と組み合わせて」初めて機会に転換される。手持ちの手段が乏しい状況では、偶発的な出来事を活用する認知的資源そのものが不足する。

第三に、許容可能な損失の設計が偶発性活用の心理的基盤となる。失っても耐えられる範囲を明確に設計することで、偶発的な出来事に対する行動の余地が生まれる。損失回避性が強い組織では、偶発性に対する対応が萎縮する傾向がある(Chandler et al., 2011, p. 386; Kahneman & Tversky, 1979)。

エフェクチュエーション研究の現在地——理論成熟の課題

エフェクチュエーション研究における実証的検証は2010年代以降に本格化した。Sarasvathy(2001, 2008)の理論が提示してから約10年後に、Chandler et al.(2011)の尺度開発が行われたという経緯は、この理論が定性的・概念的研究から実証的研究への移行期にあることを示している。

Read et al.(2009)のメタ分析が正の相関を示し、Chandler et al.(2011)の実験的研究が直接効果の非有意を示したという一見矛盾する結果は、測定の粒度・媒介変数の有無・サンプルの文化的コンテクストの違いから生じている。この状況はエフェクチュエーション理論の限界ではなく、理論が成熟する過程での自然な揺らぎと解釈すべきである(Sarasvathy & Venkataraman, 2011, p. 114)。

日本語圏において、Sarasvathy原典に基づく学術的な検証研究はまだ限られており、吉田(2018)による日本語圏への翻訳・適用研究が重要な参照点となっている。

実務への翻訳——偶発性を「設計」するという発想

理論的・実証的な検討から実務への翻訳として、一つの重要な示唆を引き出すことができる。偶発性は「来るのを待つ」ものではなく、「起きやすい状況を設計する」ものだという発想の転換である。

具体的には3点の実践が有効である。

第一に、手持ちの手段のインベントリを定期的に更新する。どのような偶発的な出来事が機会になるかは、現在の手段構成によって決まる。手段のインベントリを明確に把握している組織は、偶発的な出来事に対する「照合」が速い。

第二に、弱い紐帯(Weak Ties)のネットワークを意図的に維持する。Granovetter(1973)の弱い紐帯の強さ理論が示すように、日常的な強い関係よりも周辺的な弱い関係の方が、予期しない情報をもたらす傾向がある。クレイジーキルト原則の実践において、強い関係だけでなく弱い関係のネットワークを維持することが偶発性の「受信アンテナ」を広げる。

第三に、許容可能な損失の設計を事前に行う。偶発的な機会が生じたとき、即座に行動できるかどうかは、事前に「失っても耐えられる範囲」が明確になっているかどうかに依存する。この設計がない組織では、偶発性に対する応答がつねに「稟議と計画修正」を経由することになり、機会の鮮度が失われる。


参考文献

  • Chandler, G. N., DeTienne, D. R., McKelvie, A., & Mumford, T. V. (2011). Causation and Effectuation Processes: A Validation Study. Journal of Business Venturing, 26(3), 375–390.
  • Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk. Econometrica, 47(2), 263–291.
  • Knight, F. H. (1921). Risk, Uncertainty and Profit. Houghton Mifflin.
  • Mintzberg, H. (1978). Patterns in Strategy Formation. Management Science, 24(9), 934–948.
  • Read, S., Song, M., & Smit, W. (2009). A Meta-Analytic Review of Effectuation. Journal of Business Venturing, 24(6), 573–587.
  • Sarasvathy, S. D. (2001). Causation and Effectuation: Toward a Theoretical Shift from Economic Inevitability to Entrepreneurial Contingency. Academy of Management Review, 26(2), 243–263.
  • Sarasvathy, S. D. (2008). Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise. Edward Elgar.
  • Sarasvathy, S. D., & Venkataraman, S. (2011). Entrepreneurship as Method: Open Questions for an Entrepreneurial Future. Entrepreneurship Theory and Practice, 35(1), 113–135.

参考書籍

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